過去は過去だと切り離して考えていた私。
でも、過去は現在と繋がり続けているのだと悟った。
身につけたこと、やってきたことは繋がっているとは感じながら、感情が繋がっているとは思ってもみなかった。
考えてみれば、当たり前なんだけど。
過去の問題を現在の問題にしたい時にフラッシュバックを起こすのだと、ワークショップで斎藤先生が言われていたけれど、まさに今、フラッシュバックの連続。
フラッシュバックというのは、なんだか苦しい悪いものだけのような気がしていたけれど、そうではなくて、温かい情景が重なることもあって、私にとって必要なものなんだなと思う。
忘れ去られていた記憶が、現在の出来事に重なって、景色やその時の空気、音、ときめきまでをも浮かび上がってくる。
ここまで覚えていたのかと思うほど鮮明な記憶が、目の前に浮かび上がってきて、不思議な気持ちなる。
私は、中学生の頃から、自分の気持ちを書き綴っていたけれど、それはやはり言葉でしかなくて、あいまいで…
その時あった出来事を自分なりの解釈で言葉として書き綴られているだけで、すべてが記憶に繋がるかというとそうではない。
でもフラッシュバックで蘇った記憶の解釈は、今の私がつけることが出来る。
その時は、幼かったり、未熟だったりして、考えられなかったことを、今の私が考えることによって、その情景から受ける印象が変化していく…
これが記憶の書き換えなのかなと思う。
生育歴を語ることによって、無理にフラッシュバックを起こしてしまうことも大切だけれど、それはそれで、受け止める枠組みを自分自身が持っていなかったら、同じ情景にもう一度傷付けられてしまう気がする。
何度話しても、何度思い出しても、フラッシュバックを起こさなかった自傷のこと。
あの時、カウンセリングでフラッシュバックを起こしてしまったのは、私なりに現在の問題にしたいと思った時期なのかもしれないけれど、かなり辛かった。
出来事を話していたのは、今の私ではなくて、過去の傷付いていた私で、私には思い出すことの出来なかった感情を話していた。
傷付いた私を、私自身受け止めることが出来なくて、自傷した時と同じように死にたい気持ちに陥った。
でも、まだ小学生だった私が受け止めた出来事を、大人の私が受け止められないのはおかしいと思った。
それでも、私はそれを乗り越えて生きてきたんだと、過去の自分に励まされた気持ちになった。
辛かったけれど、苦しかったけど、私は生き抜いてきたんだと感じることが出来た。
そこに至るまでは、やっぱり辛くて苦しかったけれど…
もしかしたら、人によっては意識することなく、記憶の書き換えを行っているのかもしれない。
私は、そういうことが上手く出来ないままに、大人になってしまったんだろうな。
それは、自分にとって都合がいいように、解釈できなかったからだろうなと思う。
もうすぐ5歳になる長男。
私に妹が生まれた頃の年頃だ。
その頃の子どもというのは、自己愛的な考え方をするのだと先日の講演会で、斎藤先生が話されていた。
まさにその通り。
長男は、私は自分のことを好きだと思っているし、大切にしてくれていると思っている。
そればかりじゃなくて、クラスの友達も自分のことが好きなんだと思ってる。
先日、
「○ちゃんね、俺のほっぺと口にチューしたんよ。
○ちゃんは、俺のこと好きなんよ。
俺、○ちゃんと結婚しないといけないかもしれない…」という長男。
まぁ、なんて自分に都合のいい解釈。
でも、実際○ちゃんに聞いてみると、本当のことみたいだったけど…
その頃の子どもって、こんなにも自分に都合のいい解釈が出来るはずだったのねと今更ながら、私は知ることになった。
そんな時期に、私はどうだったのだろう。
お母さんは、私よりも妹が大切なんだ。
私は愛されていないんだと感じてしまった。
そして、愛されないのは、自分が悪いからだと思ってしまった。
以前、私のインナーチャイルドは、4歳くらいだと感じたことがある。
男性に、
「何て呼んだらいい?」って聞かれると
「ねこちゃん。」と答えた。
ねこちゃんは、妹が生まれるまで、父や母が呼んでいた愛称だ。
妹が生まれてからは、お姉ちゃんと呼ばれていたから。
とっさに、
「ねこちゃん。」と答えて、いつも不思議だった。
いい年をして、なんでこう言ってしまうのだろうと。
実際、旦那と別居してすぐに、チャットで知り合った男性にも言ってしまったから…
インナーチャイルドワークを、私は途中で辞めてしまっている。
ちゃんと育っているのかなぁ。
少なくとも、子ども達と張り合うことが少なくなったから、子ども達の年齢くらいには成長できているのかなぁ。
色々こうやって考えると、私にとって3人の子ども達がいることは必要だったんだなと思う。
子ども達、一人一人に、色んなことを気付かせてもらって、教えてもらっている。
私は、こんな風に生きていくことを与えられているのかなと思う。
まだまだ現在と過去の間に、たくさんの霧が掛かっている。
伝え切れなかった自分の想いと一緒に、たくさんのやりきれない想いと一緒に。
一つずつ、今度は自分の手で、救い出してやりたいなと思ってる。
すべてが繋がって、今私はこうやって生きていると、胸を張って言えるようになるといいな。
悲しい出来事も、辛い出来事も、嬉しい出来事も、楽しい出来事も、すべて自分の宝物になればいいな。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
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でも、過去は現在と繋がり続けているのだと悟った。
身につけたこと、やってきたことは繋がっているとは感じながら、感情が繋がっているとは思ってもみなかった。
考えてみれば、当たり前なんだけど。
過去の問題を現在の問題にしたい時にフラッシュバックを起こすのだと、ワークショップで斎藤先生が言われていたけれど、まさに今、フラッシュバックの連続。
フラッシュバックというのは、なんだか苦しい悪いものだけのような気がしていたけれど、そうではなくて、温かい情景が重なることもあって、私にとって必要なものなんだなと思う。
忘れ去られていた記憶が、現在の出来事に重なって、景色やその時の空気、音、ときめきまでをも浮かび上がってくる。
ここまで覚えていたのかと思うほど鮮明な記憶が、目の前に浮かび上がってきて、不思議な気持ちなる。
私は、中学生の頃から、自分の気持ちを書き綴っていたけれど、それはやはり言葉でしかなくて、あいまいで…
その時あった出来事を自分なりの解釈で言葉として書き綴られているだけで、すべてが記憶に繋がるかというとそうではない。
でもフラッシュバックで蘇った記憶の解釈は、今の私がつけることが出来る。
その時は、幼かったり、未熟だったりして、考えられなかったことを、今の私が考えることによって、その情景から受ける印象が変化していく…
これが記憶の書き換えなのかなと思う。
生育歴を語ることによって、無理にフラッシュバックを起こしてしまうことも大切だけれど、それはそれで、受け止める枠組みを自分自身が持っていなかったら、同じ情景にもう一度傷付けられてしまう気がする。
何度話しても、何度思い出しても、フラッシュバックを起こさなかった自傷のこと。
あの時、カウンセリングでフラッシュバックを起こしてしまったのは、私なりに現在の問題にしたいと思った時期なのかもしれないけれど、かなり辛かった。
出来事を話していたのは、今の私ではなくて、過去の傷付いていた私で、私には思い出すことの出来なかった感情を話していた。
傷付いた私を、私自身受け止めることが出来なくて、自傷した時と同じように死にたい気持ちに陥った。
でも、まだ小学生だった私が受け止めた出来事を、大人の私が受け止められないのはおかしいと思った。
それでも、私はそれを乗り越えて生きてきたんだと、過去の自分に励まされた気持ちになった。
辛かったけれど、苦しかったけど、私は生き抜いてきたんだと感じることが出来た。
そこに至るまでは、やっぱり辛くて苦しかったけれど…
もしかしたら、人によっては意識することなく、記憶の書き換えを行っているのかもしれない。
私は、そういうことが上手く出来ないままに、大人になってしまったんだろうな。
それは、自分にとって都合がいいように、解釈できなかったからだろうなと思う。
もうすぐ5歳になる長男。
私に妹が生まれた頃の年頃だ。
その頃の子どもというのは、自己愛的な考え方をするのだと先日の講演会で、斎藤先生が話されていた。
まさにその通り。
長男は、私は自分のことを好きだと思っているし、大切にしてくれていると思っている。
そればかりじゃなくて、クラスの友達も自分のことが好きなんだと思ってる。
先日、
「○ちゃんね、俺のほっぺと口にチューしたんよ。
○ちゃんは、俺のこと好きなんよ。
俺、○ちゃんと結婚しないといけないかもしれない…」という長男。
まぁ、なんて自分に都合のいい解釈。
でも、実際○ちゃんに聞いてみると、本当のことみたいだったけど…
その頃の子どもって、こんなにも自分に都合のいい解釈が出来るはずだったのねと今更ながら、私は知ることになった。
そんな時期に、私はどうだったのだろう。
お母さんは、私よりも妹が大切なんだ。
私は愛されていないんだと感じてしまった。
そして、愛されないのは、自分が悪いからだと思ってしまった。
以前、私のインナーチャイルドは、4歳くらいだと感じたことがある。
男性に、
「何て呼んだらいい?」って聞かれると
「ねこちゃん。」と答えた。
ねこちゃんは、妹が生まれるまで、父や母が呼んでいた愛称だ。
妹が生まれてからは、お姉ちゃんと呼ばれていたから。
とっさに、
「ねこちゃん。」と答えて、いつも不思議だった。
いい年をして、なんでこう言ってしまうのだろうと。
実際、旦那と別居してすぐに、チャットで知り合った男性にも言ってしまったから…
インナーチャイルドワークを、私は途中で辞めてしまっている。
ちゃんと育っているのかなぁ。
少なくとも、子ども達と張り合うことが少なくなったから、子ども達の年齢くらいには成長できているのかなぁ。
色々こうやって考えると、私にとって3人の子ども達がいることは必要だったんだなと思う。
子ども達、一人一人に、色んなことを気付かせてもらって、教えてもらっている。
私は、こんな風に生きていくことを与えられているのかなと思う。
まだまだ現在と過去の間に、たくさんの霧が掛かっている。
伝え切れなかった自分の想いと一緒に、たくさんのやりきれない想いと一緒に。
一つずつ、今度は自分の手で、救い出してやりたいなと思ってる。
すべてが繋がって、今私はこうやって生きていると、胸を張って言えるようになるといいな。
悲しい出来事も、辛い出来事も、嬉しい出来事も、楽しい出来事も、すべて自分の宝物になればいいな。
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