男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

石川県岡田家ルーツ

2020年07月04日 | この名字のルーツは?
石川県能登町の岡田氏調査、家紋は蔦でした。
清和源氏義光流
源 義光の子・親義(ちかよし)は、保元元年(1156)に平野神社領(のちに岩清水八幡宮領)であった信濃国筑摩郡岡田郷(長野県松本市岡田町)の浅間神社領の荘官として下向し、岡田冠者を称した。
また「武田系図」には佐竹正義の子・親義が、信濃国筑摩郡岡田郷を領して岡田氏を名乗ったとある。
寿永2年(1183)の越中国志保山合戦で、木曽義仲に従っていた親義は平 知度(たいら の とものり)を打ち取り、同族の岡田久義(義の次男)は平 為盛(たいら の ためもり)と組打ちをしている。
「武田系図」「尊卑分脈」                    諸説あり
〇源 義光-義業-佐竹昌義-岡田親義(冠者)-重義
〇源 義光-岡田冠者親義-重義・久義

清和源氏満政流
山田重親の次男・泰親が、尾張国知多郡岡田(愛知県知多市岡田町)を領して岡田氏を称した。
別資料では、重賢の子重篤は山田を改めて岡田与七郎を名乗り、以後岡田氏を称した。また重政が尾張国知多郡岡田村に住して、岡田与二郎を称したという説もある)ともある。
重政が斯波氏に仕え、善同が徳川家康の旗本で5千石。

「寛政重修諸家譜」 〇山田重親-岡田泰親…重政-重章-重賢
-岡田重篤-重頼-重善-直孝・善同-善政

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