母方の鹿沼市下粕尾の大塚家を調査中です。同地にある大塚城跡との関連を調べています。大塚氏はこの地に集住しており、古い家系は母方と同じ違鷹羽紋を使用しています。
大塚城は天亀、天正のころ、大塚信濃守綱利が佐野の支城として築いたと伝えられる。綱利は初め左衛門尉といった。後裔は大塚貞之助氏。のち粟野地区は皆川氏の勢力下にあり、綱利は佐野氏から離脱、大塚氏の城付近でひそかに余生を送り慶長十七年(1612年)二月死去。菩提寺は慈眼寺。自然石の墓石が残る。
大塚城は栃木県鹿沼市下粕尾にあり、粕尾小学校(栃木県鹿沼市下粕尾1444−1)の西側、今は廃業したが美容室ミチ(栃木県鹿沼市下粕尾1520−1)反対側の小高い山、地上から約80メートルにある。大きな堀切等が残っている。
大塚城は天亀、天正のころ、大塚信濃守綱利が佐野の支城として築いたと伝えられる。綱利は初め左衛門尉といった。後裔は大塚貞之助氏。のち粟野地区は皆川氏の勢力下にあり、綱利は佐野氏から離脱、大塚氏の城付近でひそかに余生を送り慶長十七年(1612年)二月死去。菩提寺は慈眼寺。自然石の墓石が残る。
大塚城は栃木県鹿沼市下粕尾にあり、粕尾小学校(栃木県鹿沼市下粕尾1444−1)の西側、今は廃業したが美容室ミチ(栃木県鹿沼市下粕尾1520−1)反対側の小高い山、地上から約80メートルにある。大きな堀切等が残っている。
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