古代豪族越智氏の氏流
伊予国風早郡河野郷(愛媛県北条市)発祥の豪族にて古代末に武士化して中予・東予の実権を握り、南北朝時代以降守護大名として活動した名族。
水軍を擁して代々中予知方に勢力を振るった。瀬戸内海に海賊が横行した時、その子孫は郡司のほかに追捕使に任ぜられ、さらに伊予掾・大目に補せられた。古代末期に本拠を風早郡河野郷に移して高縄山城を築き、親清の時河野氏と称した。
源平合戦の際、河野通信は源 義経軍を援けて活躍し、御家人となった。通有・通忠の代に元寇の来襲があり、志賀島の戦に殊勲をあげた。通貞が越後国上田荘小栗山郷を領し、越後国の河野氏祖となります。
戦国末期、長宗我部に敗れて没落し、天正15年(1587)福島正則の伊予入国で直系は滅亡した。
日本家系調査会
伊予国風早郡河野郷(愛媛県北条市)発祥の豪族にて古代末に武士化して中予・東予の実権を握り、南北朝時代以降守護大名として活動した名族。
水軍を擁して代々中予知方に勢力を振るった。瀬戸内海に海賊が横行した時、その子孫は郡司のほかに追捕使に任ぜられ、さらに伊予掾・大目に補せられた。古代末期に本拠を風早郡河野郷に移して高縄山城を築き、親清の時河野氏と称した。
源平合戦の際、河野通信は源 義経軍を援けて活躍し、御家人となった。通有・通忠の代に元寇の来襲があり、志賀島の戦に殊勲をあげた。通貞が越後国上田荘小栗山郷を領し、越後国の河野氏祖となります。
戦国末期、長宗我部に敗れて没落し、天正15年(1587)福島正則の伊予入国で直系は滅亡した。
日本家系調査会