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コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

秋葉山から火事(番外編)その1

2014年09月17日 | 歴史ネタ
木下恒雄氏の著『山の人生 川の人生』207ページから209ページをご覧いただきましょう。

著者が「和知野信一郎氏」より聞き取った言葉を記録として、口語のままで掲載されています。


常夜灯のことで思い出したがの、坂下んとこに伊豆の石が在るってことぉ知ってるか、坂下の参道近くの道端に転がってる奴。もうあれよぉ知ってる衆も居んずらのぉ。
そりゃわしが、伊豆から来たっていうのぉ見たんじゃないが、他人(ひと)から聞いて知ってることだがの。一抱え(ひとかかえ)もある白っぽい石だよ。
わしん思うに、そりゃ秋葉山の参道の常夜灯や何かの石柱を作った時の残りの分だと思うだいの。要するに、登山口辺でもって、石工が注文を受けて、そこで石柱を作ってたと思うだいの。そりゃ古い昔のこんだいの、それ常夜灯に年月日が出てるで。
聞いた話じやぁ、その伊豆石というのはの、掛塚(天龍川河口)からあがって来る船が載せてきたもんだということだったの。おそらくそれやぁ秋葉山で入用があるでって、船頭が頼まさっての、そんでこっちへ上がってくる次いでに、その船に載せて来たもんだと思うだいの。
何で伊豆の石がっていうとの、掛塚の港ぉ出て東に向かった船、江戸行き、東京だいの、あっちへ荷を積んで遠州灘ぁ通って行った帰りの船が、空船で遠州灘へかえると、そこで船が軽いと風に流されていまうで、そんで伊豆の何処っかの港へ寄ったとこで、船の重石に伊豆の石よぉ積み込んで、掛塚へ無事に戻ってきた。それが掛塚の伊豆石であり、坂下に残っている伊豆石だいの。
思うに掛塚の港辺に於かれて在った石がだよ、今度ぁ川船に載って、天龍川から気田川の上がって、そんで坂下に来たっていうことだいの。
ここで伊豆っていうと遠いとこと思うがの、昔っからの話じやぁ結構、こっちの秋葉山と伊豆の方とは、関わりがあるっていうことだでの。
例えばの話、戦争(太平洋戦争)前のことだがの、神社を造ったり修繕したりしてた大工というは、その宮大工というはの、伊豆から来てたっていうことだで。それとそれも戦争前のことだがの、宮司をやってた人というも、伊豆の方から来てたっていうことぉ聞いてるの。そんだで繋がりというはあっただいの。それよぉ思うと、昔っから往来(ゆきき)というがあっただいの、伊豆の方とはの。まぁわしの話よぉ信じて、そんなことぉ調べて見るのもええことだと思うよ。


今まで、自らも気づいていませんでした。
何故ワタシが、そこまでして秋葉山についての調査にとりつかれたのか?

現場へ出向いた机上調査で
この文章を読んだ瞬間に、これこそがその答えとだと確信しました。

すべての道は秋葉に通ず。陸路のみならず、海路も含め。

番外編その2へつづく