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コンテンツ作製のため、山風景等を素材にして様々な試みを綴ってみます。

秋葉山から火事(その1)復興碑

2014年09月02日 | 歴史ネタ
秋葉山から火事の意味とは「指導的立場にあるものが、過ちを犯してしまう」たとえ

火伏の神様だって昭和18年に火災で焼失した事実をご存知ですか?


ともあれまずは、秋葉山本宮秋葉神社(上社)境内にある復興碑文をご覧くださいませ


画像が小さく読めない方のために、ワープロ打ちしたものも掲示しておきましょう。

復興記念碑
秋葉山本宮秋葉神社は、紀元二千六百年(昭和15年 西暦1940年)を奉祝し、御神殿の大造営を斎行せしが、
その翌昭和十八年三月十三日、如何なる禍事ならむ磐田郡龍山村雲折の峯(峰)之澤鉱山よりの失火に端を発せし山火事の類焼に遭い、御神殿悉く烏有に帰せり
時(とき)あたかも大東和戦争の戦中戦後にして、人員物資共に窮乏甚だしく、直ちに復旧する能はず
止む無く山麓坂下に奉還す
されど大神の御神徳は海内に通じ、山上の元の御座所に遷御し奉り、愈々御神威の発揚を仰ぐべしと常に絶へず模索す
然る所山麓の市町村の協力を得て秋葉山頂に達する林道が開通し、建築資材の運搬の便開け、昭和五十五年五月二十七日山上の拠点となるべき斎館の新築を見るに至る
これより復興の機運高まり、財界の有志に依り奉賛会が結成され、之に応へて全國津々浦々より協賛の誠が捧げらる。
昭和六十一年十月二十五日御本殿及附属舎の竣工を始め、御末社十一棟、神楽殿及手水舎の新築又参道並鳥居、狛犬、燈籠等が逐次奉納建築され、秋葉山本宮としての威容整ふるに至りぬ
ここに大神の御神威の発揚を冀ひ、以って宝柞長久、天下泰平、国運隆昌、火災鎮護、家内安全を記念して萬代不朽の石碑を策定す


平成九年十月十日
神社本庁長老
秋葉山本宮秋葉神社宮司 川村豊

この碑文だけでも様々な事象がおわかりいただけるでしょう!

その2へ続く