1910(明治43)年6月12日から運行を開始した宇高連絡船。 戦後は、乗船客の増加により、1947(昭和22)年7月6日に紫雲丸(1500トン)が就航。
同型船の眉山丸
1955(昭和30年)年5月11日 女木島沖で第3宇高丸と衝突し、紫雲丸が沈没。修学旅行を楽しみにしていた多くの児童が亡くなった。 これを契機に瀬戸大橋架橋の話題が次第に大きくなっていった。
1966(昭和41)年3月1日に大型連絡船伊予丸(約3千トン)が就航。
紫雲丸の大惨事から30年余りの昭和63年4月9日。瀬戸大橋の完成により、最後の連絡船が宇野港を離れ、2度と帰ってこなかった。
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