森かずとしのワイワイ談話室

平和・人権・地球・子育て・教育・くらし・そしてまちを語る

子どもたちの歓声に思う

2011-06-01 01:08:50 | 森かずとしの子育て・教育相談室
 雨風をもたらした台風崩れの低気圧が去って、肌寒いながら曇天を維持した31日。富樫小学校でも運動会が開かれた。一年ぶりに運動会に熱中する子どもたちの歓声を心地よく聞いた。
 私も教員としてこの運動場に91年から4年間立った。あの当時、子どもたち主体の運動会を目指し、子どもたちが描いた顔顔顔をつないで運動場の空を飾った。それが伝統となって今も引き継がれている。
 グランドを所狭しと躍動する子どもたちの姿は本当にまぶしい。そして、このようにグランドに立つことすら許されない津波震災原発震災被災地の子どもたちの現在を思うと、事態の痛ましさを再認識させられる。

 この子どもたちが、市民社会の担い手となり、民主主義を発展させる力に育って欲しい。そう考えると、大阪維新の会が提出した「君が代強制条例」のあまりに愚かしい政治的振る舞いに憤りが沸く。そしてそれを追認するかのようなタイミングで東京申谷訴訟への最高裁判決つまり職務命令合憲判決だ。裁判官達は言い訳を付加した。権力亡者達にとってはそんなものは何のほど目にもならないことを百も承知だろう。立法当事者が国旗国歌法は強制を意図するものではないと言明しなければならなかった内心の自由という人権と民主主義の根底的な価値を弁護士でもある橋下府知事がかなぐり捨てる。人類社会に進歩というものがあるならば、この逆流は厳しい社会的な制裁を受けることになるだろう。脅迫まがいの強制が、愛国心ではなく自己保身を生み出して堕落することは幾多の歴史が証言してきた。愛とは他者の受容のはずだ。

 因みに、申谷原告は、南葛飾定時制高校で、社会や家庭の厳しい状況下で苦しむ生徒達の側に立って教師の領域を超えて徹底して苦闘してきた教育実践家だった。青年の頃、何度か金沢で申谷雄二の火を吐くような問題提起を受けた体験がある。彼が身を賭して権力に抗ったことは、実に納得できる。どちらに教育の名に値する実態があったかは火を見るより明らかだ。

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1 コメント

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hierarchy (noga)
2011-06-01 06:34:00
我が国の序列体制の美しさは、教育勅語の中で語られている。

我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそわが国体の誉れであり、教育の根源もまたその中にあります。
(我カ臣民克ク忠ニ克孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス: ワがシンミン ヨくチュウに ヨくコウに オクチョウココロをイツにして ヨヨソのビをナせるは コれワがコクタイのセイカにして キョウイクのエンゲン マタジツにココにソンす )


忠:  主君に専心つくそうとするまごころ。
孝:  よく父母に仕える。父母を大切にする。
国体:  主権のありかたにより区別される国家の形態


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