森かずとしのワイワイ談話室

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福島を未来のために心に刻む 福島訪問記(飯舘村編追記) 

2012-11-01 23:49:41 | 反原発・脱原発
 市議会議会運営委員会の議会改革視察で、長崎市議会視察を終えて、金沢に戻った。日程の都合で、羽田経由での帰沢になったが、小松上空の強風のため、飛行機は着陸を一度あきらめ、それから約45分間周辺上空を旋回待機して、ようやく小松空港に降り立つことが出来た。金沢は、木枯らしが吹き荒む季節に早変わりしていた。
 長崎市議会の議会基本条例は、昨年3月に制定された。その直後の改選によって、条例制定に中心的に当たってきた市議が、県議に転身したり、地方選で落選するなどして、条例制定事項の履行に困難な状況にあることがわかった。私たちの条例制定特別委員会は、条例案後半の議論に入っており、運営規定の審議も視野に入ってきた。いかにして、条例事項を実現するか、これもより厳しい責任ある仕事であることが痛感された。

◆飯舘村全村見守り隊 
 さて、福島訪問記第二部に話を戻そう。真行寺を辞した我々一行は、遠藤秘書の先導で、飯舘村へと向かった。飯舘村は全村避難地区だ。私は、昨年7月以来の再訪だ。放射線量は、車中で2μsv/hに跳ね上がった。廃墟と化した放牧場での聞き取りを思い起こす。警戒区域だった飯舘村は、この夏に再設定された帰還困難区域、居住制限区域が大半で、依然厳しい状況が続いていた。
 この人が住めない村を犯罪から守ろうと結成されたのが、全村見守り隊だ。私たちは、その詰め所になっている村役場に隣接するコミュニティセンター「いちばん館」を訪れた。前の助役で、自治会長を務める斉藤政行さんが、応対された。斉藤さんのお話を以下報告する。

 
 飯舘村は第一原発から30㎞から45㎞に位置するが、放射能雲がやってきて汚染された。230平方㎞もの広さがあって、放射能濃度には濃淡がある。飯舘には、これから国が主導する除染隊が4300人が入ってくる。これには不安もある。準備は行われているが、進んではいない。山の除染は果たして行われるのか・・・。

 ここで、320人から330人の見守り隊員が一人一日8時間45分の勤務(拘束)時間で、各自が自分の地域を中心に、交代制、24時間態勢で全村の家々を見守りしている。国の緊急雇用対策事業として行われているので、助かっている。見守りは、家が荒らされていないかを中心にパトロールする。警察が全国から50人応援に来てくれている。窓ガラスが割られたり、中に入って盗まれるという事件はあるが、被害はあまりない。

 原発事故による放射能汚染によって、村民6200人が避難している。福島市を中心に仮設住宅、借り上げ住宅に別れて避難生活を送っている。精神的な苦痛が深まっている。安否の確認は親戚頼みが実態だ。
 飯舘村独自の村活性化の地域つくりにとりくんでいた矢先の原発事故だった。私の経験上、地域づくりには10年はかかるものだ。避難先で自治会をつくりたいが、個人情報が壁になっている。頭が痛い。賠償金によってももめる。世帯主には500万円、女性?には250万円の補償金が支払われるのだが、裁判に鳴るケースも出ている。これには弁護士が調整を仲介している。
 高齢者は孤独が深まっている。102才になったある高齢者は、「長く生き過ぎた」と自殺した。避難先を転々とすると、心臓や血管の病で亡くなってしまうケースが増えている。
 子どもたちをどう育てていけばよいのかもとても心配だ。元々小学校3校、中学校1校、高校が1校あったが、今は、隣の川俣町、飯野町に仮校舎をつくって通っている。小学生で8割、中学生で7割の子どもたちしかいない。若い人は、自宅に戻っても、一時間もしたら帰って行ってしまう。帰村のためのプランを考えているが、妙案はない。村民の意識調査が行われている。「すぐ帰りたい」が高齢者中心に40%、「帰りたいが帰れない」が20%、「帰らない」が若い世代中心に40%もいる状態だ。

 やはり、バラバラになって避難したことが困難をつくっている。連絡しようにも呼びかけて応えてくれるのを待つしかない。仮設住宅には、津波避難者も混じっている。それで、情報でつながるために村では、避難者宅一軒にタブレット端末Ipadを二台配布し、村としての情報を発信している。これは役立っているが、高齢者世帯には使えないと苦情もある。
 認知症高齢者は移動が心身を弱らせるので、施設生活を続けてきた。しかし、スタッフが不足し、経営の維持が難しくなっている。

 山の除染はしないという政府方針は今見直されているようだ。来年一生懸命に除染したら、4μsv/hぐらいには下げられるのではないかと思っている。1μsv/hはとても無理だろうが・・・。仮の町構想が言われているが、たいへんなことだ。川内村の村長はたいへんだ。帰村はまとまってしたいというのはよく分かる。私は、いつか村へ帰って、もう一度村づくりをしたいと思っている。大方の村民は原発には絶対反対だ。


 斉藤さんには、深い苦悩の中で、淡々と状況をお話し頂いた。原発事故が村を壊した。その村を再興したいという意欲を振り絞って生きておられるのがよく伝わってきた。人々の思いに国はどこまで応えてきたのか・・。
 

 

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