そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第65日 八峰町  道の駅みねはまへ

2009年05月20日 | 2008年日本海側の旅
6月14日(土曜) 晴ときどき曇(「道の駅 ことおか」~秋田県・八峰町 「道の駅 みねはま」)


  
5時25分、八郎潟の朝。北風が強く、雲の流れが速い。肌寒く、未明に降雨があったであろうと思われる。その分、空気が澄み渡り、水田と遠くの家々が輝いている。


5時30分、出発。今日も羽州街道の国道7号線を北上する。八郎潟の東部承水路とJR奥羽本線に挟まれた道である。左側には昨日と同じフェンスが続く。
5時50分、コンビニで買い物。牛乳、おにぎり3個。
民家の庭につつじが咲いているのを見かける。鹿児島でつつじを見たのは、もう2ヶ月も前のことになる。ここが北国であることを実感する。
6時10分、鹿渡駅通過。遠く、陽を浴びて白く輝く風車がいくつも回っている。今朝ほど見た田の中の家々といい、この風車の群れといい、あまりに大きな景色の中にいるので、それらが本当におもちゃのように感じられる。


それにしても広い景色。水田も、空も。このデジカメは24ミリの広角だがとても収まらない。


6時30分、風に乗って、どこからかラジオ体操第二の音楽が流れて来て、懐かしさを覚える。
道路は八郎潟に沿って左にカーブし、さらにフェンスが続く道を行く。
7時、「じゅんさいの館」を通過。三種町は、じゅんさいの全国出荷量の8割を占める。


7時10分、左手遠くの山は寒風山(標高355メートル)。


7時25分、路傍に庚申塚。


7時40分、三種川にかかる川尻橋のバス停で20分間の小休止、食事。このあたりまで来ると、八郎潟ももう北の端である。
8時55分、大曲で男鹿半島方面から来た国道101号線と合流。
9時10分、能代市に入る。


9時25分、八郎潟を過ぎても田園地帯はさらに続いている。


9時45分、左に浅内沼を眺めつつ行く。


10時20分、秋田自動車道南能代入口を通過。
断続的に延々と続いてきた防風防雪のフェンスもこのあたりでいったん終わる。
10時30分頃、地震について自宅より安否確認の電話あり。9時40分頃に東北地方に大規模の地震が発生し、大きな被害が出ているとのこと(宮城岩手内陸地震)。回線混雑のためなかなか連絡が取れなかったが大丈夫か、と。こちらは歩行中で揺れにはまったく気づかず。心配なき旨応答する。
11時、バス停にて食事と小休止。
11時30分、芝童森(しどうもり)交差点で国道7号線と別れ、国道101号線を行く。
交通量も増えた市街地を行き、
11時40分~12時25分、スーパーにて買い物と食事。食パン、海鮮天丼、焼きイカ、ミニトマト、吹雪饅頭。
スーパーのベンチで近くに住むおばあさんと食事をしながら話。
地震は、彼女のところでは蛍光灯の笠が揺れた程度、死者が出たことはテレビのニュースで知ったとのこと。
旅のこと、彼女の膝痛のこと、「風の松原」のことなどについて話。
彼女の、時間があるならぜひ「風の松原」に寄って行きなさい、今日みたいに風が強く気温が低い日でも、中でなら昼寝が出来るからという勧めの言葉に従い、「風の松原」に立ち寄ってみることにする。
12時35分~14時10分、「風の松原」にて昼寝、食事、散策で過ごす。


「風の松原」は、日本五大松原の一つで、クロマツの数が約700万本、日本一の規模の防砂林。


幸田露伴の「能代の防風林是なり」という賛がある。


五大松原とは、ここの他に、天橋立(京都)、気比の松原(福井)、虹の松原(佐賀)、三保の松原(静岡)を指すそうで、今回の旅では、天橋立、気比の松原に続き3ヶ所目になる。






どの木も、草食恐竜の首のように陸地側に傾いている。
そのわけは、露伴の文章に「むかしは風すさまじく烈しくして、水の上はもとよりの事、陸の住居さへ安きを得ざりしなり。其故を如何にといふに、礙(ささ)ふるものなき日本海を渡り来る風の直に此方に衝き當ることなれば、其勢の猛きこと喩ふるに物も無きほどにして、石礫(じゃり)を飛ばし土砂を捲き、天を晦(くら)うし地を撼かし、行客を倒し民家を埋め、人をして如何ともすべからぎるを歎ぜしむること、秋冬は一ト月に二度三度のみならざりしを以てなり」とあるごとく、風の凄まじさによるもの。しかし中は別天地で、温室のように無風で暖かく、広場で日差しを十分に浴びながら、午睡をむさぼる。
14時45分、米代川にかかる能代大橋を渡る。


上流側の鉄橋は、JR五能線。


大型店が並ぶ通りを行き、途中ダイソーで封筒を買う。
15時、さらにスーパーで食料の補充。クッキー、ココナツサブレ、柿ピー、レトルトビーフハヤシ、からしマヨネーズ。
道は大間越街道と名称を変え、再びフェンスと水田の中を行く。
15時55分、JR五能線が通る時間帯になり、道の駅手前の田圃の脇で待ち体制。


16時25分まで五能線の写真を撮る。






16時30分、「道の駅 みねはま」に到着。
隣の販売所で買い物。きゅうり、大福、シュークリーム。なにやら無性に甘いものが食べたくなって、余計なものまで買ってしまう。
休憩所には菅江真澄の歩いた軌跡が展示されており、食べながら拝見。




この休憩所で泊まらせてもらうつもりだったが、係員が来て18時で締め出されてしまう。彼の話では、国道7号線など数字が1桁の国道は利用者が多いので、夜間も休憩所が開放されている道の駅もあるが、101号線のような3桁の国道は利用者が少ないので、管理会社に委託し夜間は閉めてしまうところが多い、とのこと。とすると、今後も国道101号線を行くわけだから、青森市までの間では道の駅の休憩所は夜間締め出しかな。
四阿もなく仕方ないので、販売所終了後に、入口の屋根の下にテントを張らせてもらう。明朝も早く出発する予定だから、営業妨害にはならないだろう。

経費  2,800円     累計  242,995円
歩数  53,461歩    累計  3,173,294歩
距離  35km       累計  2,095km

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