5月31日(土) 雨のち曇 (「料理旅館 有磯」~新潟県・糸魚川市 JR梶屋敷駅)
朝は雨が降ったり止んだり。部屋は日本海の雄大な展望を目の当たりにし、窓を開けると潮騒が聞こえる。
今日はいよいよ親不知・子不知の通過。日本海に沿って国道8号線を行く以上、他に迂回路はない。
とは言え、行程は30キロほどなので、少しゆっくりして天気の様子見。
8時05分、霧雨程度になったので出発。宿の女将さんから宗谷岬まで無事に行けるようにと、ヒスイの根付のお守りを頂く。
8時20分、JR北陸本線に沿って、車両の写真を撮ったりしつつ行く。
普通列車。
特急列車。
雨が強くなり、雨具着用。デジカメはザックの中へ。
8時55分、境川にかかる境橋を渡ると新潟県糸魚川市である。13県目。これで、新潟、山形、秋田、青森、そして北海道とあと1道4県を残すのみ。旅も半分と思うと、にわかに随分と来たものとの感を強くする。
9時、雨が強いので、「道の駅 越後市振(いちぶり)の関」にて50分間の大休止。
情報コーナーで、親不知の道路の移り変わりの歴史などを見つつ過ごす。現在、親不知・子不知はJR北陸本線の市振駅~親不知駅~青海(おうみ)駅の三駅間、約15キロの総称とされている。
この間に、やや遅れて着いたBさんは、5分ほど休んだだけで先行する。
9時50分、雨は相変わらずだが、当分止みそうにないので出発。
10時、JR市振駅を覗く。
当然ながら40年前の面影はなく、モダンな駅になっている。
あの時は、3月に5人で五竜岳から雪の後立山連峰稜線を北上し、2週間かけて国鉄市振駅に着いたのだった。当時は「栂海新道」もなくて、積雪期だけのルートだった。
かつて待合室にかかっていた、芭蕉の「一家に 遊女も ねたり 萩と月」の額を探してみたがが見つからず。
10時15分、小降りになった雨の中、これから行く親不知のトンネルと洞門が、海岸に沿って何処までも続いているのが見えてくる。
10時25分、最初の洞門に入っていく。
幸いなことに、今日は土曜日のせいか、大型トラックは予想していたよりも少なくて助かる。
しかしそれでも、猛烈なスピードで走り抜けていく何台もの車を避けながら、白線で区切られただけの狭い洞門内の「歩道」を通行するのはさすがに神経が疲れる。
一昨日富山市で買った反射バンドを腕に巻き、ヘッドランプを手に持って振りながら、右側のコンクリート壁にへばりつくようにして歩く。左側は、洞門の隙間から曇った空がのぞく。
10時50分、「天険(てんけん)トンネル」へ。ここは海側に遊歩道がついており、そこを通行する。海抜70メートル、距離900メートルのこの道は、天険親不知線という市道で「親不知コミュニティロード」と呼ばれている。
断崖には「如砥如矢」や
「足下千丈親不知」「天下之嶮」などの文字が刻まれている。
11時、前方にはまだまだ洞門が続くのが見える。
11時15分、振り返ると、断崖絶壁がもろに日本海に落ち込んでいるのがわかる。
「親不知文学散歩」の案内板には、尊敬する文学者で共産主義者である中野重治の「しらなみ」の詩が紹介されてある。
(「中野重治詩集」所収「しらなみ」の詩全文。
「しらなみ」 中野重治
ここにあるのは荒れはてた細ながい磯だ
うねりは遙かな沖なかに湧いて
よりあいながら寄せてくる
そしてここの渚に
さびしい声をあげ
秋の姿でたおれかかる
そのひびきは奥ぶかく
せまつた山の根にかなしく反響する
がんじような汽車さえもためらいがちに
しぶきは窓がらすに霧のようにもまつわつてくる
ああ 越後のくに 親しらず市振(いちふり)の海岸
ひるがえる白浪のひまに
旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ )
案内板に親不知・子不知の由来が書かれている。
「親しらず子はこの浦の波枕
越路の磯のあわと消えゆく」
また、親不知観光ホテルのそばには、「栂海新道」の登山口がある。乗鞍岳から始まった北アルプスのどん詰まりである。
11時25分、展望台のウェストン像の横で小休止。トンネルと洞門の前半戦をひとまず終了。
11時50分、「道の駅親不知ピアパーク」で20分間雨宿り、兼小休止、兼昼食。週末のせいか、雨天にもかかわらず結構人がいる。
休憩後、さらにいくつかの洞門とトンネル歩きの後半戦が続き、
13時10分、全部で約3時間の集中力の維持から解放され、この旅の最大の難所が終わる。
13時20分、雨宿りを兼ねて15分小休止。
さらに、降りしきる雨の中を闇雲に歩き続け、青海川を渡り、
13時55分、JR青海駅でまた15分の小休止。
15時30分、姫川にかかる姫川大橋を渡る。
姫川は、フォッサマグナの西縁いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って、白馬から糸魚川へと日本列島を東西に分割する大断層を流れる川。
あらかじめ想定していた旅のちょうど中間地点であるが、「越えては越えて 来つるものかな」と感慨にひたるゆとりもなく、デジカメもザックから出せずに黙々と雨中を歩く。
15時40分、泊まりに備え、コンビニで食料の買い物。牛乳、幕の内弁当、菓子パン。
15時55分、JR糸魚川駅を通過する頃、ようやく雨が上がる。
16時10分、無人駅のJR梶屋敷駅に到着。濡れた雨具やザックを待合室の隅で乾かし、今夜はここで駅寝をさせてもらう。
経費 10,416円(前夜の旅館代含む)累計 191,564円
歩数 45,920歩 累計 2,403,386歩
距離 31km 累計 1,578km
(本日の到達地点――新潟県に入る)
(途中から当ブログにこられた方は、右バー「最新コメント」欄の「★はじまり★/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、最上段の「次の記事へ」から順に、日本縦断徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)
朝は雨が降ったり止んだり。部屋は日本海の雄大な展望を目の当たりにし、窓を開けると潮騒が聞こえる。
今日はいよいよ親不知・子不知の通過。日本海に沿って国道8号線を行く以上、他に迂回路はない。
とは言え、行程は30キロほどなので、少しゆっくりして天気の様子見。
8時05分、霧雨程度になったので出発。宿の女将さんから宗谷岬まで無事に行けるようにと、ヒスイの根付のお守りを頂く。
8時20分、JR北陸本線に沿って、車両の写真を撮ったりしつつ行く。
普通列車。
特急列車。
雨が強くなり、雨具着用。デジカメはザックの中へ。
8時55分、境川にかかる境橋を渡ると新潟県糸魚川市である。13県目。これで、新潟、山形、秋田、青森、そして北海道とあと1道4県を残すのみ。旅も半分と思うと、にわかに随分と来たものとの感を強くする。
9時、雨が強いので、「道の駅 越後市振(いちぶり)の関」にて50分間の大休止。
情報コーナーで、親不知の道路の移り変わりの歴史などを見つつ過ごす。現在、親不知・子不知はJR北陸本線の市振駅~親不知駅~青海(おうみ)駅の三駅間、約15キロの総称とされている。
この間に、やや遅れて着いたBさんは、5分ほど休んだだけで先行する。
9時50分、雨は相変わらずだが、当分止みそうにないので出発。
10時、JR市振駅を覗く。
当然ながら40年前の面影はなく、モダンな駅になっている。
あの時は、3月に5人で五竜岳から雪の後立山連峰稜線を北上し、2週間かけて国鉄市振駅に着いたのだった。当時は「栂海新道」もなくて、積雪期だけのルートだった。
かつて待合室にかかっていた、芭蕉の「一家に 遊女も ねたり 萩と月」の額を探してみたがが見つからず。
10時15分、小降りになった雨の中、これから行く親不知のトンネルと洞門が、海岸に沿って何処までも続いているのが見えてくる。
10時25分、最初の洞門に入っていく。
幸いなことに、今日は土曜日のせいか、大型トラックは予想していたよりも少なくて助かる。
しかしそれでも、猛烈なスピードで走り抜けていく何台もの車を避けながら、白線で区切られただけの狭い洞門内の「歩道」を通行するのはさすがに神経が疲れる。
一昨日富山市で買った反射バンドを腕に巻き、ヘッドランプを手に持って振りながら、右側のコンクリート壁にへばりつくようにして歩く。左側は、洞門の隙間から曇った空がのぞく。
10時50分、「天険(てんけん)トンネル」へ。ここは海側に遊歩道がついており、そこを通行する。海抜70メートル、距離900メートルのこの道は、天険親不知線という市道で「親不知コミュニティロード」と呼ばれている。
断崖には「如砥如矢」や
「足下千丈親不知」「天下之嶮」などの文字が刻まれている。
11時、前方にはまだまだ洞門が続くのが見える。
11時15分、振り返ると、断崖絶壁がもろに日本海に落ち込んでいるのがわかる。
「親不知文学散歩」の案内板には、尊敬する文学者で共産主義者である中野重治の「しらなみ」の詩が紹介されてある。
(「中野重治詩集」所収「しらなみ」の詩全文。
「しらなみ」 中野重治
ここにあるのは荒れはてた細ながい磯だ
うねりは遙かな沖なかに湧いて
よりあいながら寄せてくる
そしてここの渚に
さびしい声をあげ
秋の姿でたおれかかる
そのひびきは奥ぶかく
せまつた山の根にかなしく反響する
がんじような汽車さえもためらいがちに
しぶきは窓がらすに霧のようにもまつわつてくる
ああ 越後のくに 親しらず市振(いちふり)の海岸
ひるがえる白浪のひまに
旅の心はひえびえとしめりをおびてくるのだ )
案内板に親不知・子不知の由来が書かれている。
「親しらず子はこの浦の波枕
越路の磯のあわと消えゆく」
また、親不知観光ホテルのそばには、「栂海新道」の登山口がある。乗鞍岳から始まった北アルプスのどん詰まりである。
11時25分、展望台のウェストン像の横で小休止。トンネルと洞門の前半戦をひとまず終了。
11時50分、「道の駅親不知ピアパーク」で20分間雨宿り、兼小休止、兼昼食。週末のせいか、雨天にもかかわらず結構人がいる。
休憩後、さらにいくつかの洞門とトンネル歩きの後半戦が続き、
13時10分、全部で約3時間の集中力の維持から解放され、この旅の最大の難所が終わる。
13時20分、雨宿りを兼ねて15分小休止。
さらに、降りしきる雨の中を闇雲に歩き続け、青海川を渡り、
13時55分、JR青海駅でまた15分の小休止。
15時30分、姫川にかかる姫川大橋を渡る。
姫川は、フォッサマグナの西縁いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って、白馬から糸魚川へと日本列島を東西に分割する大断層を流れる川。
あらかじめ想定していた旅のちょうど中間地点であるが、「越えては越えて 来つるものかな」と感慨にひたるゆとりもなく、デジカメもザックから出せずに黙々と雨中を歩く。
15時40分、泊まりに備え、コンビニで食料の買い物。牛乳、幕の内弁当、菓子パン。
15時55分、JR糸魚川駅を通過する頃、ようやく雨が上がる。
16時10分、無人駅のJR梶屋敷駅に到着。濡れた雨具やザックを待合室の隅で乾かし、今夜はここで駅寝をさせてもらう。
経費 10,416円(前夜の旅館代含む)累計 191,564円
歩数 45,920歩 累計 2,403,386歩
距離 31km 累計 1,578km
(本日の到達地点――新潟県に入る)
(途中から当ブログにこられた方は、右バー「最新コメント」欄の「★はじまり★/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、最上段の「次の記事へ」から順に、日本縦断徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)
足の怪我、お大事に。
徒歩の旅人にとって、今も難所なのですね。
振り返って撮った写真、圧巻でした。
芭蕉の昔がしのばれます。