そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

徒歩の旅 第42日 敦賀市  道の駅河野へ

2009年04月02日 | 2008年日本海側の旅
5月22日(木) 快晴のち曇 (「野坂いこいの森キャンプ場」~南越前町 「道の駅河野」)



キャンプ場は、夜は暖く適度に風もあって、左側のベンチ横の草の上に張ったがテントの結露なし。


6時、出発。
朝日がさす中を、昨日の坂を下り、粟野駅を通過して水田地帯を敦賀市街方面へ向かう。


7時10分、コンビニで買い物と食事。牛乳、おにぎり。
7時25分、西野神交差点で左折、日本海さかな街の角を右折、「松原公園」方面へ。途中で、大勢の敦賀高校生徒の登校に遭遇。
8時05分、「松原公園」に着く。


静岡の「三保の松原」、秋田の「風の松原」と並ぶ、日本三大松原の一つ「気比の松原」。


ここには17000本の松がある。


海も空も青く、砂白く、松は緑。


今日の行程も30キロほどの予定なので、ゆとりの気分である。砂浜のベンチに腰掛けて景色を堪能。
今日は、右手方面へ敦賀湾を回り込んでいく。


9時、公園を出て市街地へ。松原公園の文字は、初代満鉄総裁の後藤新平のもの。


9時05分、敦賀松栄局のATMで2万円を下ろし、
敦賀港を眺めつつ氣比神宮に向かう。


9時30分、「氣比神宮」へ。


「氣比神宮」は、「北陸道総鎮守 越前国一之宮」で、702年に建立されたといわれている。


高さ11メートルの大鳥居は重要文化財。


境内には芭蕉の像があり、台座には『奥の細道』にある「月清し遊行のもてる砂の上」の句が刻まれてある。


さらに、「芭蕉翁月五句」の句碑がある。境内の様子が反射して見づらいが、右から、
国々の八景更に気比の月
月清し遊行のもてる砂の上
ふるき名の角鹿や恋し秋の月   
月いつく鐘は沈る海の底
名月や北国日和定なき(この句も『奥の細道』にある。


こちらは中鳥居と拝殿。


境内で、長命水を教えてもらった地元の老婦人に少し話を伺う。


彼女は、子供の頃この近くに住んでおり、境内は遊び場だったと。空襲で家が焼かれ引っ越したが、近くの病院に来る折には、なつかしくて必ず寄っていくのだ、とのこと。
長命水をペットボトルにつめて出発。
10時15分、金崎宮へ。


このあたりは、南北朝時代や戦国時代の古戦場である。「金ヶ崎城址」についての案内板。


「金ヶ崎の退き口」から、


金崎宮へ。


帰りに、7月の息子の就職試験のため、小豆袋の両端を縛った形になぞらえた、お市の方に由来する「難関突破お守り」を買う。
戻る途中にも芭蕉の句碑があり、「月いつこ鐘は沈るうみのそこ」と刻まれている。


10時35分、曙交差点から、敦賀街道と名を変えた国道8号線に入りゆるく上っていく。
金ヶ崎トンネル(291メートル)を抜け、鞠山トンネル(623メートル)の中で、東京から来たという徒歩の旅人に会うが、場所柄ゆっくり話もできず、エール交換で別れる。
11時、新港口のバイパス合流点。以後敦賀湾に沿って北上する。
11時35分、赤崎海水浴場付近。晴れた空の下、おだやかな海である。


暑くなってきたので、自販機でジュースを買う。
12時、江良海水浴場で食事休憩。シーズン中は賑わうのだろうが、今は誰もいない。気温は25℃になっている。
12時45分、短い黒崎トンネル(97メートル)を抜ける。
13時、阿曽(あぞ)の町を通過。「区民の指標」という看板がある。読んでみると、今ではだいぶ失われてしまった、情緒豊かな美しい伝統のようなものを感じさせられる。もちろん上から押し付けられるのはゴメンだが。


13時30分~14時20分、大比田のコンビニのそばで、国道を南下してきた小柄なホームレスの男性と出会い話。この先の福井県と石川県の道の駅の情報などを教えてもらい、お礼にコンビニで、菓子パン2個とあんずジュースをプレゼントする。かわりに「今こそ出発点」という京都大仙院の尾関宗園師の言葉のコピーをいただく。孔子のような髭をはやしているので理由を尋ねると、街で若い連中に馬鹿にされないため、と。少し話でもしていこうということになり、コンビニの車止めに座って彼の話を聞く。59歳で、バブル崩壊時に東京で自己破産、離婚して、自殺しようと思ったが死に切れなかった、と言う。主にバス停で寝て、歩き旅をしながら自販機の下の硬貨を拾って生活している、とか。先の曲がった針金を見せてくれ、1日400箇所を目途に、これで拾うのだと言う。いつか娘に会うのが夢だということなど、彼の人生についての話を聞く。どこまで本当かなぁ、という気もしたが、そういう人生もあるのかとも思う。


コンビニで自分用にも、牛乳、食パンを買う。
14時50分、手前の敦賀半島と奥の丹後半島に挟まれた若狭湾をを見ながら行く。


15時25分、敦賀トンネルの中でちょっと困難な状況に陥る。歩道のないトンネルの右側を通行中に、対向車の大型トラックが来、すれちがおうと思ったところへ、今度は後方からも大型トラックが来て、三者が狭いトンネル内で横一線に並ぶような形になって立ち往生してしまう。壁面に張り付くも効果なく、結局、後方から来たトラックがバックして回避するが、こちらとしては気が気でなかった。
15時25分、敦賀トンネル(735メートル)を抜けると、南越前町へ入る。


その後、第5から第2まで4つの危険な大谷トンネルをヒヤヒヤしながら抜けて、
16時10分、「道の駅河野」に到着。今日はここで泊まらせてもらう。
休憩所で、大阪から来たドライバーの男性が話しかけてくる。徒歩日本縦断の計画について興味を持ったらしく、あれこれと質問され、いろいろと講釈される。
夕方は雲が出てきてしまい、せっかくの夕陽の名所なのに残念。
ウォーキングシューズの底を見ると、右足の外側が大分磨り減ってきている。やはり歩き方の問題だな、きっと。


夜間、遅くまで点いていたテレビの音が騒々しくて眠りづらく、どこかで耳栓を買おうと思いつついつしか寝入ってしまう。

経費  1,246円     累計  156,860円
歩数  47,798歩    累計  1,971,213歩
距離  32km       累計  1,281km

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