水瓶

ファンタジーや日々のこと

水上・谷川岳連峰一ノ倉沢

2015-08-26 19:50:51 | 
雲の影になって、魔の山という言葉がぴったり来る顔を見せる谷川岳。
少し間が空いてしまいましたが、水上旅行記の続きです。

水上駅から谷川岳ロープウェイ乗り場まではバスで行きます。
8月上旬に行った時には、ロープウェイはまだ運休中でしたが、今は運行再開しているようです。
試運転しているらしき様子を見かけたので、もう少しかなとは思ってたんですが、ほんのちょっとだけ早すぎた。。。


ロープウェイの駅から歩きはじめます。この駅は谷川岳登山の基点になるようで、かなり大きく、
おみやげだけでなく、山用のウェアや道具を置いている売店や、コインロッカーなどの設備が整っています。


ロープウェイの駅から一ノ倉沢までのトレッキング。
舗装道路なのが残念といえば残念だけど、一般車は入れなくなってるし、歩きやすいことは歩きやすいです。
スカートにサンダルばきの女性もいたぐらい、、、ってもさすがにそれだと疲れるとは思うけど。


トチノキの巨大な葉を通ってくる木漏れ日。
天狗の葉団扇ってトチノキの葉っぱかなと思うんですが、どうでしょう。


谷川岳は木に名札がついているのでありがたかったです。
ハリギリ、ハクウンボクなど、耳慣れない木は調べるのも大変だからなあ。。
それに、よく見かけるような木でも意外にわからなかったるするんです。生えてる環境とかでも結構違って見えるから。


ロープウェイ駅と一ノ倉沢の間は、ガイドさんつきのオープンな自動車が往復しています。
帰りに乗ろうかなと思ったんですが、9人定員でオーバーだったので、残念ながら乗れませんでした。
のんびり走ってていい感じなんですよね。


早くも紅葉の走り?今頃もっと増えてるかしら。急に肌寒くなりましたね。


だんだん登ってゆくと、こんな景色が見えだします。あの岩がむき出しの部分は雨が降った時に水の流れる沢でしょうか。
だとしたらかなり急で危険な流れになりそうです。


なんか仙人住んでそうな感じ。というかおサルか仙人ぐらいしか住めなさそうな感じ。


マチガ沢。案内板の説明から。
「その昔マチガ沢の出合いには三軒ほど宿があったらしく、畑や墓跡が残っています。
清水峠を越えて越後から山道を夕暮れに疲れて下ってきた人が、このあたりで灯火を目にして、
「ああ、町が見える」と喜んで発した言葉がマチガ沢の由来といわれています。」


この山深い場所で、宿だけで生計たてるのは難しいでしょうから、畑や狩猟、漁などしながら暮らしていたんでしょうか。
暮れかけた山道で見た人家の灯り。さぞかしほっとしたことでしょうね。


説明板によれば、樹齢二百年ぐらいのブナ林。どの木も大変な高木でみごとでした。
この日の写真を見ると、木の写真が異様に多く、なんでこんな似たような写真ばっかり撮ったのかと思うぐらい。
こういう枝葉が好き勝手に育ったようなのびのびした木を見ると、なんかすごくうれしくなっちゃうんですよね。


ブナの樹肌は明るい灰色。


ひゅうと景色が開けてひんやりした風が顔にあたります。遠くに一ノ倉沢。

グレートトラバースでやってたんですが、もともと登山をレジャーでやるという感覚は、明治期に外国の人が持ち込んだものだそうで、
とすると、それ以前はこういう見るからに難所には、特に必要もなければ行くことはなかったんでしょう。
・・・って、いやいや、修験道というものがありました。
前人未到の険しい山頂を制覇したぞ!と喜んでたら、すでにてっぺんに古さびた錫杖が立ってたという話を聞いたことがあります。
もう、なんでこんなとこまで来るのよう!!
でも「人がここまで来たんだぞ」という印を残しているのがいかにも人間らしいなあ。


真夏に雪の残る一ノ倉沢。ここも滑りそうだけど、まさかこの上にそびえる崖も登ったりするのかな………
グレートトラバースではどう行ってたっけな。。。


沢の近くには面白い岩がむき出しになっています。水の流れにけずられた模様でしょうか。


諏訪峡の水は十秒と足をつけてられませんでしたが、一ノ倉沢の水はさらに冷たくて五秒とつけてられません。
雪どけ水かなあ。本当に澄んだ水です。


人がいっぱいいる中、おサルの群れがどうどうと水を飲みに来ていました。ウッキッキ。


一ノ倉沢から少し行った先に、ブナのしずくという湧水があります。
あとから知ったんですが名水だそうで、飲めたみたいです。飲んどきゃよかった。


一ノ倉沢から先の地図が書いてあった看板。この旧道というのが清水峠越えの道・国道291号線のようです。
清水峠は、群馬県みなかみ町と新潟県南魚沼市の境にあたるそうです。
越後から上州への最短ルートとしてかなり古くから使われていたそうで、
戦国時代、上杉謙信が関東進出を計った際に使ったという記録があるらしいです。ひょえ~!
その後明治に入ってから、馬車が通れるように整備されたそうなんですが、崩落の多い道で、
新道ができるとともに、やがて使われなくなっていったそうです。
今は山歩きに使われるぐらいだそうですが、この時には最前の豪雨で崖崩れがあったとのことで、途中から通行止めになっていました。


今は蔦におおわれる古い石垣。

たしか新潟は塩の生産がさかんだったはずで、とすると上州へはこの道を通って運ばれてったかなあ。
それとも関東で作られた塩が利根川をさかのぼる方が、距離はあるけど重い塩を運ぶにはよかったかなあ。

・・・などと考えて、また塩の道について調べてみたくなって本探したら、調査研究っぽいのは宮本常一さんの本ぐらい。
AmazonもKindleもすごく便利で満足度高いんですが、困るのがこの辺の本のこと。
小説とかじゃない、学術系というか人文系というか、の本の検索についてです。
まだ電子書籍で出版されてない本が多いのは仕方ないけれど、どんな本があるのかすごく調べにくいんです。
すでにその分野について詳しい人ならともかく、少なくとも著者名とか見当ついてないと、とても探せない。
今更ながら、大きな書店のジャンルごとに分けられたコーナーって、それだけですごく貴重な場所だったんだなあと思います。
ずらっと並んだ背表紙でタイトルざっと見られたり、パラパラめくって中身見られたりって、
面白そうな本探すのにすごく便利だったんだなあと。

と、思い出したんですが、まだ若い頃に渋谷の大きな書店でバイトしてた時期がありまして、
その書店はフロアごとにジャンルで分かれてて、かなり専門的な本も置いていました。
で、私は歴史書とかあるフロアで働いてたんですが、定期的に、レジかごを使うぐらい大量に本を買いに来る人がいて、
聞く所によると、東北だったかな、、遠い地方の高校の歴史か社会の先生なんだそうです。
本代以外に時間も交通費もかなりかかったはずですが、かつての書店には、それだけの価値があったってことなんでしょうね。


ロープウェイ駅近くに下りて来て、山岳資料館を拝見。ああ、出会わなくて本当によかったクマくんよ…!!
しかしツキノワグマでこんだけ怖いんだから、ヒグマなんてもうどんなもんだろう。


昔の登山靴。両足と靴下合わせてはくと5キロ近くになることもあったそうです。
足で米5キロひきずるようなものと考えると、そんな状態でふつうは山なんか登れたもんじゃありません。


なんか忍者が使ってたような、雪の上を歩くかんじきのような靴。今のアイゼンにあたる?

そういえば「黒部の山賊」で読んだけれど、山の装備で特に画期的な発明だったのがゴアテックスのレインコートだったそうです。
それまで雨が降ると、古くはそれこそワラ作りの蓑、新しくてもゴム引きのレインコートで、かなり動きが悪くなったそうです。
だからゴアテックスが発売されると、山に暮らす人たちは、かなり高い価格でも早くから買っていたそうです。命に関わるものね。


画家で登山家の上田哲農さんが愛用していたという焼酎を入れていた瓶。趣がよかったので。
一ノ倉沢の辺りで、沢山の慰霊碑が岩に埋め込まれていたのを見て、また谷川岳を見上げた時には、
何か恐ろしいものを影に潜めているようで、明るい陽射しの中でも肌寒いような感じがしました。
なので、山を下りてこうして人の手になじんだ物を見た時には、なんだかほっとしました。。。


自然だけでなく歴史も豊かな谷川岳連峰。
変わりやすい天候の山のはずが、この日は一日中お天気に恵まれて、谷川岳を満喫できました。
夏空の下では少しごきげんよく見えるのかも。今度はロープウェイで天神平まで行くぞ!

土合駅につづく。


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