水瓶

ファンタジーや日々のこと

文字にならなかった言葉

2014-11-13 08:54:20 | 民俗のこと
・・・またも、宮本常一さんの本から民俗のことになります。。
宮本さんの本にちゃんと全部書いてあるんですけども、こんな風に自分で人に読ませる形に書き表してみると、
注意深く読んだり、しっかり考えざるをえないようになるので、
そうすると別の枝葉が生えて来たりして、目がさめるような感じがして面白いのです。
というわけで、気の済むまでしょうがないと思って読み流していただければ。
うん、しょうがないったらしょうがない。いいじゃないか、趣味なんだもの!

「庶民の発見」の「民話と伝承者」という章には、伝説と昔話の違いについて書かれています。
伝説と昔話の違いについては、柳田國男さんが草分けをしたと思うんですが、
柳田國男さんの文章は、格調高い感じでいいんですけど、すっごく読みづらいんですよ。。。
それをわかりやすくまとめて、宮本さんなりに深めている感じです。

伝説は、記憶のとっかかりとしてある事物が指し示されていることが多いんだそうです。
たとえば石や木について、こういういわれがある、と説明の書かれた札があったりしますよね。
そういう、源頼朝が腰かけて休んだ石とか、弘法大師が杖で地面を叩いて湧いた井戸だとかの話は伝説になります。
一方、昔話は、「昔々あるところに」から始まるような、一定の形式や語り口があり、
伝説に「どこで誰が」という固有名詞がわりにはっきりしてるのに対して、
昔話のそれは、どこでもよく、誰でもよく、
隣のなんとかさんや自分にも入れ替え可能な形になっていることが多いようです。

昔話に一定の形式や語り口があるのは、文字を持たない社会で、長い話を記憶し、伝承してゆくため、
また繰り返しに耐えるためだったそうです。おお、納得!
新しい、その時々の時流に乗った話の方は、宮本さんはこれを区別して世間話と呼び、
聞き流されどんどん忘れられてゆくもので、昔話として残すものとの取捨選択は、非常にはっきり行われていたようす。
自分らの村に残すと決めた話には、文字ではない、別の形を与えて伝承して来たんですね。
昔話を繰り返し聞くことには、日々のなぐさみに世間話を聞くのとは違う別の意味があって、
つねに権力者に圧迫され、天候だよりで非常に不安定でもあった農村の生活の中で、心を安定させ、
農村で生きるのに適したものの見方や考え方を、感覚的に身につけることにもなったそうです。

日本の昔話に武勇伝や英雄譚がほとんどないのは、昔話を語り伝えて来たのが農民だったからで、
桃太郎や金太郎のような話でも、武勇それ自体が讃えられるのではない、
農村の匂いの強い話になっていると宮本さんは言っています。
そうして昔話の中では、弱いものいじめはけっして許されないことになっている。
当時の圧迫された農民の暮らしが、そうした話を望んだんですね。
たとえば桃太郎は、自分らを苦しめて宝をひとり占めにしていた鬼たちを退治して、
その宝を村に持ち帰って来ますけれど、それをなし遂げたのは、川を流れて来た桃から生まれた男の子で、
自分らの村から鬼を倒す者は生まれない、とあきらめていたようにも思えて、
うーん、、なんかちっとつらいなあ。。。
まさかり担いだ金太郎は、杣人の話かもと思いました。山に住んでて熊と相撲とったりするもんね。
昔話には、現代の目からは見えなくなってしまったものが、いっぱい隠れているんじゃないかと思います。

武勇伝や英雄譚は主に武士の社会や町で好まれ、室町時代以降に、平家物語や太平記などの、
戦記ものがいっぱい出た時期があったそうですが、これはあくまで文字の記録がもとにあって、
農村で語り継がれる昔話とは違います。
(平家物語や太平記は、琵琶法師など、これを職業的に語る人たちがありました。)
文字の記録があれば、たどってゆけば必ずもとの話があって、大きく変化することはないけれど、
文字を持たない社会の中では、昔話はたえず変化してゆく。
変化するのは、昔話が実際に生きていた、農村の実用にあてられていた証拠でもあります。
だから今、本になっている桃太郎や金太郎、浦島太郎などにも、
かつてその話が持っていた全てが表されているわけではないんですね。
文字に記録することによって話が固定されたことで、失われてしまったものも多く、
昔話は、ただ幼児が親しむためだけの話になってしまったと宮本さんは言っています。

(ちなみに、文字なき昔話の武勇伝や英雄譚はアイヌの民話に多く、
アイヌ世界の基礎を築いたオキクルミという英雄がよく出て来ます。
「銀の滴ふるふるまわりに」という神謡集があるんですが、アイヌの民話も面白いですよ。
「謡」、うたい。アイヌの言葉でユーカラと言いますが、やっぱり文字のない社会で伝承される話は、
文字ではない別の形を持ってるんですね。)

本来昔話は、村々の正統の伝承者によって語られて来ました。
たいてい老女か老爺でしたが、子どもや孫たちだけではなく、大人だけでも話されました。
そうして、いつでもどこでも話してくれと言われて話すようなものではなく、
これには昔話を集めた人たちも苦労したようで、
宮本さんは、昔話はある興奮の中にいないと話せないものなのだと言っています。
たとえば、俳優やミュージシャンの人がまるでふつうにしている時に、
突然誰それの役であのセリフを言ってくれ、とか、あの歌をうたってくれ、とか言われても、
すぐさまできるものじゃないと思うんですが、それに近い感じかも知れません。
昔話が語られる場は、特別な村人たちの集まりだとか、
(講とか庚申の日とか、今の親睦会みたいなものだと思いますが、、)
または正月とかお盆とか節句とかの、季節おりおりの節目の時だったといいます。
「昼昔はねずみが笑う」と言って、日のある内から昔話をするのをいやがったり、
素面醒面じゃ話せねえ、と言った人もいるそうです。そういうものなんだね。

私も、正統といわれる語り口で語られた昔話を聞いたことはないけれど、
語りについてはわりとはっきりしたイメージを持っていて、何がもとになってるんだろうと考えたら、
若い人はご存知かどうか、「ぼうや~よい子だねんねしな~♪」の、日本昔話のアニメでした。
あのアニメでの常田富士男さんと市原悦子さんの語りは、正統の語り口なのかどうかはわからないけれど、
今思い出しても結構すごいなあと思うのです。
耳なし芳一とか、すっごい怖かったんですよね。平家武者の亡霊の声とか。。
また絵が太い筆で荒っぽくなぐり描いたような絵で、怖いんですよ。。。
あれは夜中にトイレ行けなくなったなあ………

で、村の外から昔話の種を持ち込んだのは、伝説のかく乱者ともいうべき漂泊の人々で……
と、すでに大分長くなってしまってたので、次に持ち越します。つづく。

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