ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

済州4・3の韓国化、世界化への道

2010年04月13日 21時44分49秒 | Weblog
<form mt:asset-id="596" class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">43写真.jpg</form>
 朝鮮半島の分断に反対する民衆の蜂起に国家権力が弾圧を加えて3万人が死亡したとされる済州島4・3事件の悲劇から62年を迎えた4月3日、私は済州島の慰霊祭の式場にいた。2年前の60周年の参列者とそう変わらない1万人という人の波だった。

昨晩までの雨はあがり、晴天で、空はどこまでも青かった。この10年に様々な法制度上の取り組みが実現した。その一番が被害者の名誉回復であり、歴史の真実の探求であった。『4・3事件真相調査報告書』も出された。しかし守旧勢力は次々と裁判に出て、憲法裁判所への訴訟のほか、行政訴訟2件、損害賠償請求訴訟6件と、2000年に出された「4・3特別法」の空洞化を目途としていることがわかる。

しかし日本でも韓国でもいえることだが、歴史の教訓から得ることは平和と共存の社会の招来である。いくら極右勢力が跋扈するようになろうとも、歴史の歯車を逆には戻すことはできない。式典での挨拶ではそうした同様の確信に近い発言が遺家族代表や慰霊祭実行組織の代表から出た。決して抽象的世界を表したのではないのだ。

式典終了後、会場の4・3平和公園入り口近くにある食堂で遺族会の方々と昼食をともしたが、ここでは「4・3特別法」に尽力した民主党国会議員が挨拶した。今後も法の充実のために尽力するとの言葉に拍手がおきた。法制定をライフワークとした姿に私は日本の八木一男(1911―1976)さんを思い出した。一本気とともにそこには兼ね備えた清潔さが支える両者の共通点があるように思えた。

 1日おき、ソウルに入り、進歩的新聞と言われる『ハンギョレ』『京郷新聞』は4・3の慰霊祭を伝えていたが、一地方の出来事扱いだった。日本での広島、長崎の被爆に頭を垂れる8月の日々を知るだけに、4・3の中央との落差の現実にはショックを受けた。本当にこれは大変なことだ。4・3の韓国化、そして世界化。
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1 コメント

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やはり・・・ (てんこ)
2010-04-20 20:35:36
ありがとうございました。<済州四・三>に出会って、かれこれ17年? 「特別法」が通り、また「ここに公園が・・・>と聞いて、その地に行ったときには、ただの草原でした。しばらくして、行ったときは、ちょっと工事が始まっていました。そして、60周年のとき、すでに今の政権に変わってのとき・・・。わたしは、<やはり>と感じたデスね。かわやん、「世界化」やなくて、とりあえずは、「東アジア」で再スタートしましょうよ。
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