バガテル―そんな私のここだけの話 第444回
リーマン時代に研究社の英語辞書の広告のアルバイトをしていたことがある。
研究社も辞典も好きだったから、ギャラは安かったがそんなことはどうでもよく、担当の塩入さんから依頼があると、自分の会社の仕事そっちのけでコピーを書いていた。
それで例えば、「研究者の辞書はベストセラーよりロングセラーを目指します」というキャッチフレーズを作ったとすると、塩入さんはいつものようにそれをベテランの書家に渡して、彼のどこか生命力の感じられる流麗な筆文字が辞書の写真に添えられ、しばらくすると山手線などにぶら下がる所謂「中吊り広告」になるのであった。
その後わたくしは、自社を含めてさまざまな企業の「中吊り広告」を制作したり、いち消費者として鑑賞したりしたが、自分も参加して作った研究社の英和辞典の広告ほどインチメイトで、まるで中学生の学級新聞のように素人臭く、でありながら生真面目な印象をもたらす不思議な代物はなかったと断言できる。
ある時、たぶん創刊何十周年のアニバーサリー広告だったような気がするが、塩入さんが我々にいつもより気合を入れてそれが完成し、それが「中吊り」になってしばらくしてから、突然一通の現金書留が届いた。
中には幾枚かの紙幣と謹啓で始まる明治生まれの老人が書いたような達筆の手紙が入っていて、「今回は思いのほか過分の謝礼を頂戴したので、失礼ながら日頃大層お世話になっている貴方様にお裾分けしたいと存じます」と書かれていた。
いつか研究社で打ち合わせをしたとき、塩入さんから紹介されたきりで、それ以来会う機会もなかったが、当時我が家の近所のイチョウの大樹の下の陋屋で、孤高を守りつつ郷土史を研究されていた「鎌倉物語」の著者になんとなく似た風貌の老人だった。
とっくの昔に鬼籍に入られているに違いないが、生涯でただ一度の出会いが、永遠の懐かしさを齎すような、そんな奇遇が誰でもあるに違いない。
「指」だけのミドリと「心」のヒマリのでは断然ヒマリの演奏が良い 蝶人