蝶人物見遊山記 第287回

吉祥寺は何年ぶりだろう?JRの駅から下に降りても構内の様子がすっかり変わっていてこれが毎週確か金曜日にせっせと通っていた吉祥寺かと訝しむ。それでも昔のカンで駅前に出たら、なんと目の前のビルが18年前に非常勤講師をしていた古屋学園だったので吃驚。長年勤めた会社を突如2000年にリストラされて路頭に迷っていた私は、『MR.ハイファッション』などの編集長を歴任された元文化出版局の執行さんの斡旋でこの学校を紹介して頂き、第2の人生を始めることができたのだった。私は「ありがとう執行さん!と心の中で礼を言いつつ、お世話になった現任の吉野校長先生にお会いして久闊を叙してからマチネーに向かったことでした。
さて平田オリザ作・演出による「日本文学盛衰史」は全4幕、およそ2時間、全幕がお葬式という異色の公演であった。喪主が設けた通夜ぶるまいの場に出席したメンバーたちによって繰り広げられる故人の思い出話がお芝居のネタになるのである。
一場は1894年明治27年5月の「北村透谷」の葬儀で、森鴎外、中江兆民、田山花袋、二葉亭四迷、島崎藤村、幸徳秋水、夏目漱石、国木田独歩、樋口一葉、正岡子規などの面々がずらりと居並んで、おそらくは自由民権運動への失望から精神に異常をきたして弱冠25歳で自殺した故人を偲ぶ。
この席に明治18年の未完の反政府武力闘争「大阪事件」の参加者である大矢正夫と兆民の弟子の幸徳秋水が列席しているのは見過ごせない。当時の文学界の一大テーマは国民国家にふさわしい「国語」の創設であったが、と同時に、その国家権力に対する鋭い疑義、政治と文学の角逐も既に頭を擡げていたのである。
鴎外のリクエストに応えて樋口一葉が次回作「大つごもり」の構想を歌い踊るように解説するところなど奇想天外で素晴らしい。また遠く式場で奏されているBGMは、賛美歌320番「主よ御元に近づかん」であるが、キリスト者であった透谷にふさわしい演出である。
二場は1902年明治35年9月の、正岡子規の葬儀。前場で「さあ皆さん、しめっぽいお葬式よりベースボールをやろうではありませんか」と鴎外、漱石はじめ列席者を戸外へ誘った「のぼさん」は34歳で斃れ、(英京留学中の漱石は欠席だったが)、鴎外、陸羯南、伊藤左千夫、花袋、藤村、河東碧梧桐、高浜虚子、石川啄木、独歩、秋水、与謝野晶子、相馬黒光などがその早世を悼む。
妹の律が「兄が悪口書いて」と死んだ中江兆民の「一年有半」への子規の論難を直弟子の秋水に対して謝る個所など渋過ぎるずら。
ちなみにこの頃、田山花袋は「蒲団」でベストセラー作家になっているが、高橋源一郎の原作にのっとってAⅤの人気監督でもある。そして彼が女人が座っていた座「蒲団」に鼻を埋めるたびに、場が転換するという演出も秀逸である。
三場は1909年明治42年6月、朝日新聞ロシア支局員であったが帰国の途時ベンガル湾上で客死した二葉亭四迷の葬儀で朝日新聞の大物、池辺三山、鴎外、漱石、白秋、花袋、藤村、抱月、碧梧桐、高村光太郎、啄木、晶子、野上弥生子、牧水、荷風、幸徳秋水、菅野スガ子、相馬黒光などが集っている。日露戦争に「勝利」した興奮が一座を覆っているが、普段冷静沈着な鴎外が、陸軍の脚気を責められて逆上したのを漱石に宥められるところが面白い。漱石は秋水にも何度も自重促していたのだが、この葬儀の翌年にとうとう大逆事件が勃発する。文学者が懼れていた思想言論弾圧開始前夜の雰囲気を伝える本場は、平成末期の現在の黙示録のようだ。ただし源チャンの原作が問題提起していた石川啄木と漱石のただならぬ関係は描かれず、その代わりに石原さとみの「校閲ガール」に扮した啄木が彼の代表歌を歌いまくるのである。
四場は、夏目漱石の葬儀で、当時大流行していた島村抱月の愛人、松井須磨子の「カチューシャの唄」が歌われる。出席はその抱月をはじめ、坪内逍遥、鴎外、白秋、花袋、藤村、花袋、与謝野晶子、森田草平、平塚雷鳥、芥川龍之介、志賀直哉、若山牧水、高村光太郎、野上弥生子、伊藤野枝、川端康成などであるが、坂口安吾、太宰治、織田作之助の無頼派による狂言回しで、この時点までの日本文学史の総括が語られる。
そしてわれらが高橋源チャンが登場して全員を自撮りするところで大団円を迎えるのだが、ラッパーに扮した宮沢賢治が歌う「来し方ゆく末の歌」が素晴らしい。
数多くの出演者は複数役を務めることになるので、その役名を小学生のようにハンカチ名札でぶらさげているのも面白いが、もっと面白いのは、漱石、啄木、独歩、賢治などを女性が演じて違和感がないこと。あまりにも膨大な事象を取り扱っているので突っ込みが弱いところもあるが、たった2時間で日本文学の盛衰を描きつくすという文字通り破天候の試みを成功させた平田オリザに惜しみない拍手を贈りたい。
なお本公演は来る7月9日まで。
http://www.seinendan.org/play/2018/01/6542
水無月の洗濯機は海にして私のパンツはスルメの臭い 蝶人