
照る日曇る日 第1025回
むかし「戦争と平和」を読んでこの偉大な作家が描きだすロシアの雄大な自然と大地、そしてそこを舞台に生きる人々の喜怒哀楽、それをうわばみのように飲みつくす歴史と戦争の雄渾な描写に驚嘆したことがありました。
この「アンナ・カレーニナ」も、すぐに読もうと思って1989年に3冊の岩波文庫を買ったのですが、そのまま書斎の奥でつんどくとなり、遅まきながら28年ぶりに読みはじめたという体たらくであります。
私は毎日20冊を読むという歌人、奥村晃作氏にならって常に同時並行していろんな本を読むことにしているのですが、そうするとこの文豪と言われた大作家の文章が最近の内外のどの作家のそれよりも胸にまっすぐ届くことに驚かされました。
トルストイの文章は「幼年時代」「少年時代」でもそうでしたが、音楽家で言うと直球を豪速球で投げてくるベート-ヴェンに似た明快さがあるのですね。癖のある変化球を多投するドスト氏との大いなる相違です。
そのロシアのベトちゃんを、私は中村白葉か米川正夫選手の翻訳で読みたかったのですが、残念ながら入手できませんでした。しかしこの中村融選手のほんやくを通じても、原文の背後に眼光鋭く睨みを利かせている大作家の、突如愛に落ちた人間への洞察が隅々まで行きわたっていることを感知できるのでした。
どうして人は愛に落ちてしまうのか、そして愛に落ちたアンナとウロンスキーの初めての情交がすっぽり欠落しているのはいかなる次第によるのか分かりませんが、それがトルストイ流であり、彼の時代の文学と検閲の流儀によるものなのでしょう。
さ、今日は前置きだけでお時間が参りました。どちらさまもご機嫌よろしゅう。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
目上からの年賀状には返事を出せと言いたれど目上ってなにと返す息子である 蝶人