蝶人物見遊山記 第239回&鎌倉ちょっと不思議な物語第

慶派というのは平安時代以降、運慶の父親、康慶に始まる「慶」の字のつく仏師たちの系譜らしいのですが、私は本展のメインとして展示されていた鎌倉の教恩寺と秦野の金剛寺の阿弥陀如来&両脇侍像にはさしたる感銘は覚えませんでした。
その代わりと言ってはなんですが、今回はじめて気付いたのは蘭渓道隆の書の素晴らしさと北条時宗、無学祖元の書の素晴らしい拙さでした。
南宋からの渡来僧、蘭渓道隆は北条時頼の招きで鎌倉に入り、建長寺を創建しましたが、国宝の「法語規則」の見事な書跡をみているとあまりにも完璧すぎて嫌になります。
ところが蘭渓道隆の死後、北条時宗が同じ南宋から呼んだ無学祖元の筆跡はといううと、これが時宗と同じかもっと下手くそであることに気づいて私は嬉しくなりました。
下手くそというても、優等生的な蘭渓道隆の書なんか糞喰らえ、とでもいうような実に素朴な味わいのある朴訥な下手糞なのです。もともと書が苦手であった時宗は、南宋にあった祖元の仮名釘流の、しかしじつに人間味のある筆跡を見てその人物を見抜き、鎌倉へ招聘したのではないでしょうか。
ふたつ並んで展示されているふたりの書状を眺めていると、だんだんそんな気がしてくるから不思議です。
この展覧会は来たる6月4日まで鶴岡八幡宮の境内の国宝館で開催されているので、ぜひご自分の目でお確かめ下さい。
時宗の別称は「朗然居士」明朗闊達な若者なりしか 蝶人