下の写真は、左記に一度載せたと思うが、纏向遺跡から、木製の仮面がでと言うので、もう一度載せる事にした。
この写真の中央部上段に、女性と、男性の顔が並んでいる。ほぼ大きさが一致する二人の顔は、髪の部分が手ぬぐいのような物で覆われている。丁度、アイヌの頭に似ていると私は思っている。
男性は顎鬚を伸ばして、先の漫画の起源に乗せた縄文土偶のハート型の顔にも似ている。このハート型の類型は縄文土偶の顔に幾つか有った。2000年前に顎鬚を伸ばした男が多かった事も考えられる。
そして、今回、卑弥呼の時代とされる、纏向遺跡の井戸から、出土した木製仮面も、この顎鬚を持っている。何と無く、縄文から続く、類型の気がしないでもない。
宇摩説では、古事記の神話は、古代の通知、連絡方法として全国に芝居をして周り、知らせたと解いた。
このお芝居には、誰かに似せた仮面も使う事もあろう。特に、トップの顔に似せた仮面は必要不可欠とも言える。
何様、トップの意向や、政策の連絡用の芝居だから、トップの役者が居て連絡をする必要がある。また、神楽のように毎年、重複して舞った事も考えられる。
だから、宇摩に造作された顔に類似の仮面が卑弥呼(天照大神)時代に各地にあった事は、当然とも言える。この仮面の一つが出てきた可能性がある。
山の男性と、仮面は似ている。山の造形の女性は卑弥呼(天照大神)だと、次のことから説明した。
この写真の左下(写真より左側になる)にある細面の巨大な半身像の女性と、顔立ちは同じであり、この巨大女性像は、周囲の神社から天照大神と判る。
そうなると、上の写真は天照大神と並んだ男性になり、父親の、イザナギになろう。ここまで判ると、この仮面は、イザナギ・イザナミの芝居に、または、神楽の面であった可能性が高くなる。
とすれば、このお面は祭祀用と言うより、国固めに使われた可能性が多くなる。
この面には紐を通す穴が無い。読売新聞は「手に持って使った」と書いているが、これは、上の山の像から判るように、目の上を手ぬぐいのような物で、頭に縛り付けたと見て良いだろう。
つまり、イザナギの役に使われた物と思われる。下の写真が巻向から出た木製仮面であり、先の山の造形と比較していただきたい。
纏向遺跡から出土した弥生期の木製仮面=26日、奈良県桜井市の市埋蔵文化財センター
下に、産経と読売のURLを載せておくので、記事を読みたい人はどうぞ。
<産経新聞>
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070926/bnk070926004.htm
<読売新聞>
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070926it12.htm?from=top
考古学は弥生時代に使われた物は見つけてくれるが、用途は判らない。だから、史学者が文献から、考古学の謎を解く事になるのだが、現在の史学は、まったく、その役目を負う事ができない。
だから、ほとんどが、出てきた遺物は、生活用具か祭祀に使われたで、誤魔化すか、銅鐸のように謎のままに放置するかである。
これは、今の史学が歴史学として、人々に役立たないだけでなく、同時代の謎さえ解けない解明、解説と言うことだ。こんな解明で、史学者と言うのだから、驚きである。
とにかく、宇摩説では、銅鐸も解いた。銅鐸国の国名や王まで説明した。そして、この仮面も矛盾無く用途と使い方まで解いた。
それが、宇摩説が、古事記の解説で書いた、「弥生時代の連絡方法の一つに芝居の伝達」があったという解明の補足にもなった。
解明が正しいから、このように、様々な遺物が、嵌まり込んで行き、矛盾無く、説明できるのではないかと思う。
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