公園の鳩と猫
昔、ジュディ・オングさんが、来日当初は、日本の公園の何処にも居る鳩を見て、捕まえて食べたい衝動に駆られたと書いていた。
何時もの様に、公園のベンチに座って、餌に集まった鳩を見ていたのだが、鳩は、目に付く餌が無くなると、何時もの様に、集団の中の、二羽の争いが起こった。
投げられた、餌の奪い合いで、気に入らなかった相手なのだろうか?
何時もは数度の突き合いで、終わるのだが、今日は何だか、二羽ともやめようとせず、必用に続いていた。
何となく、気になって見ていると、争う鳩に向かって、白い物が突進した。
猫だった。
手前に居た、数羽を無視して、集団の一番奥で争っていた一羽に一直線だった。
何をする暇も無い。気づいた時には、鳩の首を咥えた猫がいた。
鳩は一撃で即死なのか、気絶なのか、ブラブラ揺れていた。
猫は、悠々と、残った鳩が飛び上がる横を、鳩の首をくわえて退散した。
一瞬の出来事だった。公園には多くの人が居たが、気づいた人はほとんど無い。この時、私は、立ち上がる事もできずに、猫を見送った。
「これが生存競争」
と、「鳩も猫も生きるための行動だ」と、自分を慰めた。
また、鳩は争う相手を見ていたために、猫の接近に気付かなかったのだろう。
人もまた、他の命を食べて生きている。
自然は厳しい!
目の前で起こった捕食は、強烈であった。そして、色々考えることになった。
もし、あの時に、喧嘩をしてなければ、助かったのではないか?
もし、喧嘩が無ければ、猫は襲わなかったのではないか?
もし、仲良くしていれば、逃げられたのではないか?
色々思う内に、人の世界ではどうだろう?
日本は今、殴り合っては無いが、国内で左右が喧嘩をしている。
論争に明け暮れて、鳩になってないだろうか?
こんな国は、襲い安いのではないか?
簡単に、具体的に言えば、
今の日本を中国が襲うと、日本の中に協力者が多いのではないか?
鳩の喧嘩のように、身を滅ぼすのではないだろうか?
軍備不足で中国に狙われた国、軍事侵攻された国がある。
チベットでは、デモをするだけで、殺戮される現実がある。
中国では、宗教団体の弾圧もあり、人体実験や販売材料にされる。
ここでは、デモさえできない。
しかも、日本の左翼は、中国の残虐な虐待を訴えることはない。
中国は軍備の弱いチベットなどに侵略したが、インドでは抵抗された。
カルタゴの滅亡
思えば、カルタゴはローマに敗れて軍事を放棄して平和国家となった。
そして、欧州一の貿易国家になった。
今の左翼と同じで、平和が最も重要だと、軍備はせずに、ローマに任せた。
カルタゴ内は、軍備必要論と、不要論で争っていた。
この争いの中で、ローマが攻めてきて、人々は皆殺しにあった。
軍備の無かったカルタゴは抵抗もできずに滅亡した。
国土は荒野となり、民族が居なくなったと、歴史は教えている。
今の日本とよく似た国家が作られて、平和(鳩)の名の下に滅亡した。
理想と現実の違いを明確に分離する必要があろう。
日本を考える
今の日本は、カルタゴ以上に危険なのではないか?
米国(右)派と中国(左)派が居て、彼らは共に自国軍備不要論である。
特に、中国派は平和を旗印にして、米国と叩き、自国軍備の皆無が理想である。
恐ろしいことだ。喧嘩をする鳩の二の舞にならねば良いが、、、。
日本にとって滅亡の危機から言えば、米国より中国であることは明確だ。
中国は今も自国領土拡大の野心を続けている。
目の前で、犠牲になった平和の鳩が教える。
日本は米軍の軍備の元に平和であった60年。
この事実が欠落した平和論を叫ぶ人が居る。
憲法で平和だったと、嘘を言う。
中国や米国は、当然、自国優先、第一である。
米国が日本を見限る可能性は常にある。
現状の危うい日本の立場を基礎にした論議が必要である。
平和の象徴、鳩の死に、立場が違う国(猫)の行動を思った。
世界の国は、自国優先なのだと。
そして、日本は自国最優先の認識を持つ人がどの程度の比率なのだろう?
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