株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座(123) オロチ退治8 宇摩説解釈7(其腹者悉常血爛也) 

2008-03-29 00:01:04 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

   大蛇の形状(其腹者悉常血爛

 昨日で、古事記にあるオロチの形状の、4まで終わったので、今日はマトメでも書こうかと思っていたら、もう一つ残っていることに気付いた。

 5、として、最後に、「其の腹を見れば、悉に常に血爛(ちただ)れつ」があります。これは、龍の布団締め、掛け布団などが、毛布のような生地で真っ赤であることを言っています。

 普通の生地と違って、凹凸のある毛布状だから、真っ赤に染まっていると、悉く、常に血爛れる肌に似ています。当時の日本では血の色の赤は無かったのでしょう。日本の赤は、柿色より赤味の多い、朱色だったとされています。

 つまり、当時の日本では、異常な真紅と異常な織物だったのです。真紅に染められた生地だから、悉く、常に血爛れていたと見えるのです。そして、最後に「其の身の文をもってくることで、4の「谷八谷、」も大蛇だと思わせているのです。

 以上で、古事記の形状のつは、全て、太鼓台の部分を言ったものと判ります。



 この写真は、寒川町中部の太鼓台で、江之元の南にあります。三島の西隣の町ですが、ヒチジョウが赤一色になっています。


 三島の太鼓台(五色)です。布団締めは古い物には赤い生地が残るのですが、今は小さくなって、見えなくなっています。観音寺市に陳列されたもの、三島の神社の奉納されたものなど、赤地に金糸の刺繍の物が残ります。



 寒川町の西隣の豊岡町大町の太鼓台、その前の太鼓台は、同じ豊岡町ですが、最近導入した新居浜市形の太鼓台です。トンボが黒いのが目立ちます。これは、東隣の(旧)川之江市の太鼓と一致します。

 しかし、太鼓台の飾は、どこも、「赤地に金糸の刺繍」となっています。したがって、腹側は生地の血色の赤の生地で覆われています。つまり、其の腹(下側)は、悉く、常に、血に爛れている事になります。

  オロチ・大蛇・蛇について

 古事記には、「オロチ」と呼び、「大蛇・蛇」と書いている。これまでに、「オロチ」について、「愚・血」であり、「愚かな血筋」の略で、血筋は良いのだが、愚か者との意味である。と、書いてきた。残る「蛇・大蛇」は、形状から当て字をしたのでしょう。

 しかし、考えて見れば、太安万侶が「龍・竜」の字を知らなかったはずは有りません。古事記に「オロチ」や「大蛇」と書き残しても、チマタに残る「神楽では龍」を使っています。人々への印象が強かったのでしょう。

 つまり、朝廷が記録で変更したが、神楽で龍が残ってしまった。ここにも、朝廷が太鼓台や、布団締めの「龍」を隠したかった意図が残っています。つまり、何度か言ったように、高天原の国固めと其の残存は、朝廷に不都合だったのです。

 以上で、古事記のオロチの形状が終わります。太鼓台のアルバムは、ココログの「建国と今」にあります。各地の太鼓台で確認してください。

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