はじめに
本当に古代を知りたいなら、これまでの常識を忘れて、宇摩説を真摯に読むことだろう。読めば、少なくとも、8割以上が納得の行く説明に成っていると判る。
私の古代研究は長いが、これまでの人と、一線を隔した新説になったのは、私の古代史は、社会経験を、20年近く経た後に、古事記を読み始めたと言う違いのためであろうと思っている。
高天原の三役
昨日は、中途半端な最後になった。
高天原の三役を書く予定であったが、予断が多くなって、三役の天照大神さえ、まともに書かないうちに終わってしまった。
おかげで、もう一度、別の面から、全体的話しをしておくことが出来る。
また、高天原の三役の仕事は、「やさしい古事記講座」の古事記冒頭に、説明している。三役は、以下のように定まっていた。
1、天之御中主(あまのみなかぬし)神が、国の統率者
2、高御産巣日(たかみぬすひ)神、物質関係の指導者
3、神産巣日(かみむすひ)神、教育、占い、縁組など、精神的、知的な指導者
この取り決めが出来たのは、国々が未だ、バラバラで、定まった方向の無い時代である。これは、各地の意向を持ち寄って、人々が決めたのである。そして、三役の配分も、けっていした。
神話的表現で言えば、高天原に集まった八百万の神々によって、統一国家の決定がなされたのである。もちろんここに意たる社会の成長が、海運による貿易国家(著書)によって、認められたと言うことでもある。
紀元前、300~500年ほどの前であろう。神武の即位と言うことになっているが、これは古事記冒頭に書かれた、高天原の成立年代であろう。この三役の人事は公正になされたのである。つまり、三地域三人の三役である。
1の天之御中主神は、先の交易、海運、金属原料などを産する、地域であり温暖で雨も、雪も殆どない中心部で、潮流の関係から、全国の人々が一番集まりよい、四国の主と決定したのである。最初の時は、「主」とあり、男性であった。
2の高御産巣日神は、沖縄などを通して入る物資(装身具の貝、稲など)で指導的立場となっていた、南九州の建族(熊襲)の主が決定した。この建族については、国生みの所で書いておいた。
3の神産巣日神は、次に大きな地域を「シラス」近畿の主である。弥生文化では地域の関係で、受身の地域となっていたためであろう。しかし、縄文時代から蓄積してきた日本文化の元(精神文化)は、この主が日本一であったものだろう。
こうして、纏め直して見ると、この建国合同は、近畿の主から提案があったものと思われる。これで「互いの特色を出し合って、国を豊かにしよう」と言う計画である。これによって、崑崙(こんとん)としていた社会に、突然、「高天原」が、出現したのである。
ところで、先に、イザナギの任命で、生れた三役は、試練の任務だったと書いた所、天照大神には、試練は無かったのかと言うコメントがあった。天照大神は、最初からトップであり、試練の期間がなかったわけではない。
一つは、伊予の国主(伊予国の愛比売)となって、子供の時から試練を積んでいたのである。そして、何年かは、イザナギが後見して、学んで行ったと言える。これはその時に書くが、そのように古事記にはある。
天照大神の仕事の中に、古代から続く交易、海運が入っている。先にスサノオの時に、カミムスビの掌握と言ったが、これは、決定が天照大神がするということで、日々の連絡や手配は、カミムスビが補助していた意味である。
倭人伝によると、「卑弥呼を見る人は少ない」、「卑弥呼の元に出入りするのは男が一人」などと出ているが、これは、男の方を書いたのであり、(タカマイムスビ)を書いたもので、カミムスビは女官ぐらいに思っていたか、隠したのであろう。
卑弥呼が常時、一人でいたとは思えない。食事の件も、誤魔化したから、使者の居る間は、タカミムスビが行ったかもしれない。これで、三役の仕事の分担と範囲、出身などが、明確になった。
以上が、宇摩説の解く「高天原(邪馬台国)」の基本的状況である。
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