株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

やさしい古事記講座(11) 神代七代<1>宇比地邇神、須比智邇神

2007-10-29 00:07:11 | 古代史、卑弥呼、神輿太鼓、倭人伝

  戦後の東京大学が共産主義に染まり、史学・考古学の教授達によって、日本を根底から覆す「記紀の創作論」や、「騎馬民族の征服王朝説」などが出されて、社会に浸透している。

 東大史学教授の日本の基礎の破壊で起こっている現状の混乱は、基礎の再構築から直すことだ。日本人の「和」の基礎は、古代に始まる。日本を正常に戻すには、歴史でスタート(古代)から知る事が重要だ。

 日本の本当の姿を知るのは、古事記の合理的で、科学的な、現代解釈によって、日本の基礎、古代日本の社会を、皆が正しく知る事によって判明する。古代史は非常に大事だ

 なお、ここまに書いた古事記の解明でも、東大教授が言う「古事記は創作」ではないと判るだろう。

 正しく、合理的、科学的に解釈、理解すると、高天原、天之御中主神、、、宇摩志(略)神、、、、天・国之常立神まで、全て北四国の中心部と成り、そこに地名等の一致がある。創作ではこうはならない。

 古事記は、冒頭で、迷彩はしているが、史実の記録をしている。しかも、全てが宇摩郡周辺で一致する。この整合は古事記が明らかに史実である事を、示すものである。

 戦後の反日・左翼思想による古代史を駆逐する。この「宇摩説」が、正解だと、気に入ってくれれば、ぜひ、人々に知らせて、広げて欲しい。この古事記講座は、日本を愛し、日本の本来姿に変える(戻す)元になるはずだ。


 一昨日(8)に、通説を載せたが、重複して載せて、一つ一つ、突っ込みを入れてみよう。そして、通説と宇摩説の違いや、縄文の神だと言う説明をしよう。

 <>は、岩波・角川などの解説。 
 ( )内が、宇摩説の話である。


        *****通説(歴史の謎研究会)******

  次に現れる神々は、男女と思われるカップルの神たちである。。。 いずれも、兄と妹という組み合わせで、同時に夫婦でもあるらしい。

 だが、これ等の神についても、名前が列挙されるだけで、何をしたともかかれていない。そこで、その名が何を象徴しているかを考えていかなければならない。

(名前が何を象徴するか、考えるのは良いが、漢字の意味に限定しては、本当の史実は解けない。日本には中国くと違う日本語があった。古来から続く、日本語の意味を、探りながら、解いて行くのが本当だろう)

 ウヒヂニの神(宇比地邇)と妹スヒヂニの神(須比智邇)は泥と土の意味だから、この神が現れたことで、地がだいぶ固まってきた事を意味する。

<岩波のウヒヂニ、スヒヂニは、泥や砂の神格化>

(この神は、漢字の音で日本語を残している。したがって、最初にある注釈から、使われた漢字の意味より、言葉を理解する事が大事である。私は、「著書1」で、土器と、炊事の神だと、解いた)



 ウヒは、「ウイウイシイ(初々しい)」、「ウイ奴」、「ウイコウブリ(初冠)」、「ウイザン(初参)]など、始めてを意味する。ヂは、「地」の意味もあるが、宇摩志(略)神も、ヒコヂと、ヂ(爺)の意味がある。

 ニはニギワウ(賑わう)、神武天皇の先祖で、九州に天下った神が、ニニギの命と言い、その頃近畿に下っていたのは、「ニギハヤヒの命」と言う。人々が寄り集まる事、多いの意味である。

 土で多いとなれば、土そのものではなく、土で作ったものであろう。で、土器ととした。これは、続く、ウヒヂ(炊事)の神と組み合わせての解明でもある。なお、縄文土器は、12,000年も前に生まれている。

 穀物の貯蔵から、煮炊きの土器の神だろうと思う。最初に出ているから、縄文の古来の伝承(最初)を含む可能性もある。石器時代から、時の出来た時代である。これを伝えて、人々の生活を豊かにした。

 最初の頃と成れば、中国や、韓国には土器の無い時代である。中韓の数千年前に、日本は土器を作っていた。日本は文明国家だったのだ。しかも、北から伝わった土器が、四国の上黒岩遺跡に12,000年前の土器だあった。

 自然に、何の拡大方法も無ければ、伝わり方が早すぎるであろう。私は、アイヌの伝承を思い出す。アイヌの長(オサ)は、年中旅行をしていたと言う。神話の「大国主が兄弟と国々を廻っていた」話と共通する内容だ。

 年代から言えば、アイヌの方が古いであろう。つまりアイヌの社会に、総本家のような制度あり、各地を廻って見聞した中から、役立つ物を広げていたと見られるのだ。これが、日本の建国時に、組織的に作られたと言うことだ

 ここに、統治を「知る、知らす」と言った原点がある。この、気の遠くなるような時を、伝承されていたであろう、ウヒヂニ・スヒヂニの名が残すのだ。

 とにかく、縄文の土器の神だと、解いた。学者の、土地が出来た、固まったなどという、抽象的な解釈ではない。この解釈は、宇摩志神の葦の芽の頃には出来ていただろう。これでは重複になる。もっと、的確な山などの神にするだろう。

 宇摩説では、この二神が、土器とすひぢ(炊事)の神と解くから、縄文時代の神だとする。考古学で、縄文土器が各地に出ている。この土器を初めて作った神の名が伝承されていた物だ推定する

 なお、「アイヌの主は、毎年各地を訪問していた」と言う、伝承は、私が中学の時に(五十数年前)に、アイヌの民族芸能として、アイヌの伝承や、踊り、音楽を公演した時の講演にあった話である。

 この話には、もう一つ、気になる話があった。倭人とアイヌは仲良くなっていたが、争いとなって、日本を東西に分けて和解した。しばらく平和が続いたが、倭人が攻めてきたと言う話である。

 これは、岐阜辺りで東西に分けたと言ったので、東西文化に痕跡が残る。気になる話である。また、イザナギト、イザナミの話にも似ている(後述)。文化が同じ水準だと、古代の伝承も同様に、時を越えて伝承される物と思う

 以上で、夫婦の神の最初の二神を終わる。

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