株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

地名と歴史(7) 宇摩説の地名と語義2 大阪地名3 ヒラ1 枚方市(ひらかた)

2009-04-27 00:08:41 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

  ヒ・ヒラ地名1

 

  枚方市(ヒラカタ)

 

 枚方市のヒラカタは読み難い。通常は枚をマイと読むが多いからだが、花びらの場合は、一枚で、ヒトヒラと読むので、読めない事もない。

 

 谷川氏は、「田圃をヒトヒラ、二ヒラと呼んだのなら、それはそれで、理解できる」としている。田んぼは確かに平たいが、この呼び方が有れば、全国にも幾つか残った事だろう。

 

 また、田圃のホウ(方)なら判るが、カタ(方)と言うのも何だかおかしい。だいたい、日本中に田んぼであったと思えば、尚更、説明になってない気がする。

 

 方(かた)の説明では、「方はやはり「干潟」であったろう」としている。先の田んぼはいつの間にか消えて、干潟にしている。干潟も平であるが、どの程度の大きさを呼んだものか?

 

 結論は「つまり、淀川に近い所に、いくつもの干潟があって、これを、「一枚」「二枚」と数えたところから、このような地名が生まれたと考えるのが至当である」としている。

 

 先に疑問を書いたが、干潟の大きさの問題と、全国の干潟も多いが、ヒラカタに限って、干潟をヒラカタと呼んだ理由も判らない。つまり、答えになって無い。

 

 ヒラを平と思い込んで、必死に説明らしい事を書いたものだと言える。

 

  現在史学が語義制約

 

 実は、ヒラは平だけでは無い。ヒラで転換すると、平・比良・平良・片が出てくる。また、ヒラケル(開ける)、ヒラキ(開き)、ヒラキ「開き)などは、開を使っている。

 

 そこで、手持ちの辞書を調べてみた。『大辞林』もヒラの付くものは平としての解釈がほとんどだ。これは、現在の史学が神話を創作とするから、ヒ・ラ(日・等)の思考が無いためだ。

 

  地名事典・辞典

 

 手軽な地名用の辞書・辞典を見ると、以下のようになっている。

 

 (1)三省堂の『コンサイス地名事典』には、枚方市の現状があるが、語源の説明は無い。

 

 (2)新人物往来社の『日本地名事典』には、ヒラカタの項に、「播磨の国風土記」が紹介されている。「揖保郡枚方里は河内の国の枚方里から、人が来たためという。

 

 (3)東京堂出版『地名用語語源辞典』のヒラカタ・ヒラオカは無い。ヒラの項には、「ひら、平、枚、衡、広、開、比良、比羅」がある。(*、以後、辞書1、辞書2、辞書3とする)

 

 1、崖。2、傾斜地、斜面。3、山の中腹。山腹。4、坂。5、岡。6、縁。へり。7、側。方。8、自然堤防なども言うか。9、山の一部が平になっている所。10、台地。11、平地。平面の地。12、平原。

 

 と、ヒラに、12もの説明が有る。島国の日本の地形を考えれば、これだけ含めると、この解説は、日本全国の説明であると私は思う。

 

 つまり、傾斜地と平地を含むと、当てはまらない地域は山頂ぐらいで日本の人々が普通に住んでいる全地域がヒラになる。

 

   宇摩説の枚方解釈

 

 宇摩説では、ヒラカタの語義を重視するので、漢字は二次的に参照する程度である。ヒラカタは、「ヒ・ラ・カタ」と区切れば、「日・等・方」になる。

 

 このヒ(日)は、もちろん、天照大神の日である。ラ(等)は、複数の人々を意味する。ヒラとは、日の神に関連する人々の意味である。

 

 全国のヒラ地名の、日の神に関連する人々とは、高天原の組織に関係した地域の出先機関である。もちろん、全てとは言わないが、私はほとんどそうだと思っている。

 

 ヒラカタは、宇摩説では、日の神の味方、仲間の意味である。この地に、高天原と関係深い人々と、産業・技術指導などの、センター的役割をする地域であった思われる。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。