はじめに
前回示した古事記原文7では、基本的には、宇摩説も史学と変わらない。ここは、第三の使者の選任の部分であり、先の選任と大差の無い記録である。
前回、大国主の態度が別人を思わせると言うのを紹介したが、次回<原文8>の内容だった。この話は次回に繰り越して、次回のお楽しみにする。
そこで、前回の本に描かれた内容を幾つか、説明して置こうと思う。「大国主が正史から消せない存在だった」と云うのは、当然のようだが、実は、高天原を半島辺りを念頭にした解釈にもなる。
この書いて無い(半島出身)を、陰で導いているのが、「大国主は、高天原の神のごく一部を神と、良好な関係を作っていた」と、説明するのが、その一つである。
高天原の三柱の神は、個々に役割が有り、国々を固めると最初の女神の派遣があり、携わるのは、神産巣日神だ。高天原内部で意見相違が有ったものではない。
「天若日子は高天原の刺客に暗殺された」は、返し矢の勝手な想像であり、宇摩説では、解任であり、そのために葬儀が有った事。葬儀は天若日子の衣類・身分証等が小さな喪屋にあった。
アヂシキタカヒコネの剣で切ったり、蹴飛ばしたり等の説明をした。つまり、天若日子は死んでは無いのだし、「御田に、再び赴任した歌が有る。つまり、前々記述にわ無い創作である。
以上のように、国津神(日本の神)、高天原(国外・国内をボカス)という、反日・左翼思想に合せて踏み出した解説なのだ。だから、高天原の一部懐柔等になる。
古事記は記録の全てに一致する説が宇摩説しかないのだが、宇摩説から見ると、異常な創作が多く加わっている。宇摩説は古事記の新解釈だが、一番進んでいる。
この後の紹介は大国主に関するものだったので、次回以降に描く事にする。では、原文7の宇摩説を紹介しよう。
古事記講座、国譲り、建御雷神1
<国譲り原文7>
於是、天照大御神詔之、亦遣曷神者吉。爾、思金神及諸神白之、坐天安河河上之天石屋、名、伊都之尾羽張神、是可遣。若亦非此神者、其神之子、建御雷之男神、此応遣。
且其天尾羽張神者、逆塞上天安河之水、而、塞道居故、他神不得行。故、別遣天加久神加問。
故爾使天加久神、問天尾羽張神之時、
答白、恐之、仕奉。然於此道者、僕子、建御雷神可遣、乃貢進。爾天鳥船神副、建御雷神、而遣。
<国譲り原文7>読み下し(* 宇摩説現代語訳)
ここに、天照大御神詔りたまひしく、「また、曷(いず)れの神を遣はさば吉(よ)けむ。」とのりたまひき。
ここに、思金の神、及び、諸(もろ)の神、白(まを)ししく、「天の安の河の河上の石屋(いわや)に坐(ま)す、名は、伊都之尾羽張(いつのをはばり)の神、これ遣わすべし。
もし、また、この神にあらずは、その神の子、建御雷(たけみかづち)の男の神、これ遣わすべし。」
* ここに、天照大神は詔をで、「また、どの神を遣れば良いだろう」と問われた。思金の神や、諸の神がが諮って、天の安の河の上流のイワヤ(石屋)に居る、名は、イツノヲハバリの神が、好いでしょう、もし、此の神で無い時は、其の神の子、建御雷お男の神がが好いでしょう」
「また、その天尾羽張の神は、逆塞上天の安の河の水を塞(せ)き上げて、道を塞き居(を)る故(ゆえ)に、他(あだし)神は得(え)行かじ。
故、別(こと)に天の加久(かく)の神を遣はして問ふべし。」とまをしき。
* また、天之尾羽張の神は、天之安の河の水を塞き上げて、道をふさいでいるので、誰でもは行けないので、特別に、天の加久の神を遣わして問わせるのが好いでしょう」と、奏上した。
** 実はアマノヲハバリの神の行為は、河の砂金採取・採集の行為だと、著書1で書いている。宇摩説の高天原比定地は、宇摩郡の山間部であり、安の河は、吉野川の支流、銅山川である。
** 天照大神(卑弥呼)の居た(比定地)は、金砂町中峰であり、この上流は、住友の別子鉱山があった。これは、中峰の南と西にあたる。つまり、青銅時代の首都に相応しいのだ。
** また、今回のように、余れら巣大神の居住地より、上流に河を関上げて砂金を取る神の存在を書いた古事記の記録にも一致する。
故、ここに天加久神をつかわして、天尾羽張神に問はしし時に、
答え白ししく、
恐(かしこし)、仕(つか)へ奉(まつ)らむ。然せどもこの道には、僕(わ)が子、建御雷神を遣わすべし。」とまをして、すなわち、貢進(たてまつり)き。
ここに、天の鳥船の神を副え、建御雷神を遣はしたまひき。
* ゆえに、ここにアマノカクの神を遣わして、アマノオハバリの神に問はせた時、答えて、
カシコシ(恐れ多し)、仕え奉ります。しかし、この使者には、僕の子の、タケミカヅチの神を遣わす方が好いでしょう。と云って、奉った。
ここに、天の鳥船の神を副えて、建御雷神を遣わされた。
以上が宇摩説の訳である。
宇摩説の高天原比定地
宇摩説の高天原は宇摩郡であり、宇摩郡は四国の北側の中央部にあり、北は燧(ひうち)灘で、瀬戸内海の中心にある。陸地は東西に宇摩平野、その南に法皇山脈(海抜600m)がある。
法皇山脈の小高い所は、平石山・翆波(水波。水波の女の伝承・加賀山とも言う。)峰・高取山(高取比古の伝説)・豊受山(とようけ姫伝承)と続いている。
この法皇山脈には、「大松明」など不思議な伝承や、面白い図形が多いし、谷を埋めた広場など、今後の発掘が楽しみな山脈である。
法皇山脈に並行して、其の南(奥)に四国山脈が有る。この二つの山脈の間に銅山川があり、西から東に流れる。今は金砂町となっている。この川の南側(四国山脈)に中峰が有る。
中峰は四国山脈の麓にあり、すぐ、銅山川が有る。ここには、「ヤス石」があり、「安の河」でもある。ヤス石は、古代精練の廃棄物とされ、重く、固く、黒い拳以下の石である。
ヤス石は、黒くて穴が多く、「夜・巣・石」とも取れるが、落すと、良く跳ねる。自然の石では無い事は明確だ。とても多くて、今はお宮・公園、個人宅で、コンクリートの飾りに使われている。
国譲り <原文7>語義(*宇摩説)
伊都之尾羽張神 名義未詳。
<イザナギがカグツチを切った時>
<角川、イザナギの命の剣の神霊。水神。
* 宇摩説では、切ったは解任だ。先に書いたが、この時はかけ落ち後(おカメヒョットコ)で、もう居なかった。イザナギで説明。
建御雷之男神 雷神であり、同時に刀剣の神である。
<=建御雷神>
天加久神 鹿の神格化。鍛冶に使う鞴(ふいご)が鹿の皮で作るために、鹿神が特別に使する事になったのであろう。
<角川、かくは、鹿児。鹿の神霊>
* 宇摩説では、神・来として、先に説明した。
天鳥船神 雷神は船に乗って天空と地上を往来すると信ぜられていた。
*宇摩説では各地に居た「鳥(連絡員)」を運んだ笛とする。
以上だが、宇摩説は、古事記のあちこちと関連する時からをしているので、一部を読んでも判り難い事が多い。是非、時間のある時に、「やさしい古事記講座」だけでも、読んで欲しいと思う。
これで、<国譲り原文7>を終わる。次回は<国譲り原文8>に移る予定である。
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