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三島 明 拝
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卑弥呼の謎を解く(112) 宇摩に残る物⑤ 高天原古墳群
先に、愛媛県の無形文化財の、船神輿歌を紹介した。その祭りをする神社が、石戸八幡神社という。今の人は、イシトと呼びそうだが、これは、『イワト、八幡』と言う。
古事記では岩戸と書かずに、『石屋戸隠れ』と書いている。石はイワと読むのだ。この神社も、イワトと呼んでいる。何故、イワトなのかは、まだ、未調査だが、私の説に関係有りそうだとは思っている。
もう一つ、土居町には、高天原古墳群と呼ばれる古墳の多い地域がある。これも、続けて載せることにしよう。
上の写真が古墳の一部。多くは破壊されたが、幾つか残っている。この地域の呼び方が、私の説に一致するが、ここも、詳細な調査はしていない。したがって、宇摩説に関係するかどうかは、まだ判らない。
また、先に説明した、鳴女の神社跡があるので、これも、載せておこう。
今は鳥居と三つの立石が残る。神社の敷地も更地となっているのは、寂しいものだが、残されていることが重要だと思う。
話の時に載せれば良いのだが、写真が多すぎて、何処のあるか判らず、別の写真を探していて、出てくるので、申し訳ないが、バラバラになっている。
読み直しも兼ねて、古事記の解説を見直すのも良いのではないかと、勝手に思っている。また、場所が違っても、載せないより、載せる方が良いとも思っている。
これで、土居町で説明した物は、ほぼ、終わった。