株式投資と邪馬台国女王、卑弥呼

"卑弥呼"と"株"。株は49年,古事記は30余年で、邪馬台国=北四国の独自見解です。

地名と歴史(9) 宇摩説の地名と語義4 大阪地名5 ヒラ3 枚方・枚岡の関係

2009-04-29 00:18:39 | 古代史・古事記講座(宇摩説)

  はじめに

 

 大阪府には、ヒラの地名がもう一つある。今は東大阪市になったが、元は枚岡市である。先の枚方市から、15キロほど南にあり、生駒山麓にある。

 

 枚方市と枚岡市は、ヒラに同じ「枚」を使っているのは偶然であろうか?そうではないように思えるのだ。日下・草香の所で書いた事を思い出そう。

 

 生駒山はニギハヤヒの山とも書いた。このニギハヤヒの山の麓に、高天原からの荷物が付いたり、送ったりしていたとすれば、港には「日のカタ(方、尊敬)」の港が有った事だろう。

 

  ヒラカタとヒラオカ

 

 現在のヒラカタは、北に随分離れてしまったが、私は、2000年もの淀川の変化によって、生駒下の港だったヒラカタが、少しずつ、離れたのではないかと思っている。

 

 つまり、古代の淀川は、生駒の麓を流れていたと、推定するのだ。大阪平野は水没していたと言われる。だから洪水の度に流れを変えた。その都度に港を様々な場所に移動した。

 

 が、二ギハヤヒの「日・等・方」の港だった誇りは人々に受け継がれていたから、地名を普通の、多分朝廷が勧めたであろう「平方」にしなかったのだろう。

 

 もし、枚を平にして入れば、地名事典などで、ヒラカタもヒラオカもタイラ(平)な地と、歴史無視の説明をされて、一巻の終わり、これで歴史の消滅である。

 

 ヒラに枚を使った事で、私は、大阪のヒラの人々の心意気、または、残したかった思いを残したものと思う。

 

  宇摩説の古代の謎の解明

 

 古代の四大国の一つ、近畿の王朝は朝廷の歴史からは、表向きは消された。(と言っても分散して幾つかは語られている事は、先に「刺国・栗・櫛」などで紹介した。)

 

 宇摩説は、謎の邪馬台国や高天原の所在を、二国は同じ物で北四国の中央にあった。これは、「やさしい古事記講座」の最初の部分だけでも読めば、古事記で解いたと判る。

 

 謎の女王、卑弥呼は天照大神であった。これは、邪馬台国と高天原が同じなら当然である。こうなると、これまでの多くの説と違って、論拠が一気に増えるし、整合が重要になる。

 

 つまり、宇摩説は古事記を中心にして、倭人伝の行程なども合わせて解いた。だから、多くの論拠があって、この面だけでも、これまでの説とは、雲泥の差なのである。

 

 こうして、古代史最大の謎を解くと、次は、近畿の国、銅鐸の文化であろう。これまで書いたように、宇摩説では近畿の国をあちこちで述べている。

 

 これらに、新しい近畿の情報を集めて組み立て直せば、銅鐸文化の国は、もっと明確に姿を現すことだろう。どうなるのか、私自身も楽しみである。



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