刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

天照大神を男神とする説(^_-)-☆

2023-07-17 21:58:44 | 古代史
いつも応援ありがとうございます。
よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング
2018-07-07 23:13:26にアップした記事を少し改訂して再掲いたします。お付き合いください(#^.^#)

【邪馬台国】天照大神を男神とする説があります。調べてみました。
2018/07/05 に公開 まあちゃん@YouTube




JAZZFUNK01さん

天照大神が、もとは男神であったという説の論拠になっているのは

・紀記の成立が(天武天皇の政策を否定した)持統天皇以降であること。
 ・天照大神と高皇産霊神と、持統天皇と藤原不比等の関係の相似性。
 ・天照大神と天忍穂耳尊(息子)と瓊瓊杵尊(孫)、持統天皇と草壁皇子(早世した息子)と軽皇子(文武天皇・孫)の関係の相似性。
 ・現伊勢神宮の成立が天武天皇~持統天皇以降の時代であったこと。

・天照大神の紀記での初出の名前が「大日孁貴」であること。
 ・「孁」の本来の意味は「巫女」…つまり「神を祀る側」の存在として記されていること。
  (「祀る者」が「祀られる者」に後世になって変化した。)
 ・伊弉諾尊と伊弉冉尊の「長子」は「ヒルコ」であったこと。「ヒルコ」に対する「ヒルメ」であり、(縄文時代から続く)ヒメ・ヒコ信仰の典型。紀記神話から意図的に消された「男神」が居たとも考えられる。

・伊勢神宮外宮に祀られているのが「豊受大神(豊宇気毘売神)」という女神であること。
 ・また、伊勢神宮内宮の正殿床下中心に立てられる「心御柱」の存在。
  式年遷宮の際に一番最初に祀り移される「心御柱」は、明らかに「リンガ=男神の象徴」であると考えられる。

・伊勢神宮よりも古くから大和で祀られている大神神社のご祭神が「大物主大神」であり、大和を最初に造成した神であると天皇家が認識していること。
 →崇神天皇の御製歌「此の神酒は我が神酒ならず倭成す大物主の醸みし神酒幾久幾久」

・大神神社に由来する三輪神道では「天照大神と三輪大明神は一体分身」とされていること。

・神武天皇より先に大和を治めていた「ニギハヤヒノミコト」は、「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」の名前を持ち、やはり「太陽神(天照)」と見なされること。

等々…

これら全ての論拠を肯定するワケではありませんが…
少なくとも、「神仏混淆」や「武士の台頭」といった後世の牽強付会で説明されるべきではありません。



刮目天一
JAZZFUNK01さん 詳しい解説をありがとうございます。
でも精力的に話題提供していただいている「まあちゃん」さんもアマテラス女神に少し疑問があるのでこの動画をアップされたのだと思いますよ( ^)o(^ )
わたしも男神説ですが、とても参考になります。

ヤマト王権は、ご存知の通り、皇位継承のレガリア=三種の神器から倭の奴国の系統だと分かりますし(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)、シナの正史「新唐書」にも「日本は古の倭の奴也」と明記されてますね(*^。^*)

奴国は57年後漢光武帝から賜った金印の紐のデザインから分かるように、龍蛇神(ナーガ)を信仰する水田稲作・漁労民族国家ですので、そのような国名になっています。そして、ヤマト王権の発祥の地の三輪山に祀られている大物主大神(大国主命)もご神体は蛇だとされていますから一致します。

そして、「日本国」へ、八百年も掛かったのか?で紹介した「宋史」日本伝の中で、984年第64代円融天皇が、「初代天御中主から23代の王が筑紫の日向宮に居て、最後の王の4男の神武天皇が大和州樫原宮に都を遷して、その後も、一姓の世襲で王位継承している」という内容の『王年代紀』を東大寺の僧奝然(ちょうねん)に持たせ、宋の皇帝に差し出して、ようやく日本国への変更が認められたという経緯からも明らかです(注1)。



いわゆる天之御中主神に始まる高天原神話の時代が奴国にあたることを日本の朝廷が正式に認めたので、シナの朝廷もようやく了解したということです。

そして、その中に17代奴国王が伊弉諾尊、18代が素戔男尊、19代が天照大神尊と記載されていることから、「記紀」にある女神アマテラスがスサノヲの姉という話もデタラメで、天照大神がスサノヲの次の王だということを日本の朝廷が認めたということですし、考古学的にも全く矛盾のない信ぴょう性のある話です(天照大神と物部氏については、いろいろと謎があり、現在まとめています)。

つまり、天照大神が男王であることは奈良・平安時代から恐らく明治直前までご皇族は皆ご存じだったと思いますよ(*^▽^*)。なぜなら、伊勢神宮には持統天皇から明治天皇まで天皇はどなたも行幸されず、ご皇族も熊野本宮・石上神宮・大神神宮・賀茂別雷神社などにしか詣でていないからです(原田常治「古代日本正史」同志社、1976,p.165)。

日本各地の神社のご祭神を見ても天照大御神や神武天皇に比べ、スサノヲと応神天皇をお祀りする神社の数が圧倒的ですので本当の皇祖神がどなたかを皆知っていたのだと思います。女神アマテラスは持統天皇の皇位継承の正統性を主張するために「日本書紀」でねつ造されたというのが事実ですよ(*^▽^*)

ついでにヤマト王権成立に関して概略を述べさせてもらえば、19代奴国王天照大神尊は物部氏の祖ニギハヤヒ、初代神武天皇は応神天皇のことで、ニギハヤヒの直系の大王=狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤写か?)が二人目のハツクニシラススメラミコト崇神天皇でしょう。この狗奴国ヤマト(纏向)の大王が政治的な理由でスサノヲ直系の狗古智卑狗(久々遅命=大国主命=武内宿禰)と女王卑弥呼の宗女台与(神功皇后)との間の子ホムダワケをヤマトに呼び寄せ初代祭祀王とし、列島に前方後円墳と三角縁神獣鏡を広めて物部氏が外戚として政治の実権を握ったのがヤマト王権成立の真相ですよ( 詳細は「何故、大和をヤマトと呼ぶのか?」参照)( ^)o(^ )




(注1)日本国の国号は、通説では大宝元年(701年)第8次遣唐使 粟田真人によって唐(当時は則天武后の大周)に変更を申し出て了承されたとされていますが、その後の945年に完成した「旧唐書」の編纂者らは、倭国と日本の二本立てで記しています。そして倭国の条の冒頭に「倭国は古の倭の奴国也」と書き、648年(貞観二二)までのことを記し、703年(長安三)以後を日本の条に記しています。その中で、
『日本国は、倭国の別種也。其の国、日の辺に在るを以って、故に日本を以って名と為す。或いは曰く、「倭国自ら其の名の雅やかならずを悪み、改めて日本と為す」と。
或いは云う、「日本、旧くは小国なれども、倭国の地を併せたり」と。
其の人、〔唐の〕朝〔廷〕に入る者、多くは自ら大を矜(ほこ)り、実を以って対(こた)えず。故に中国は焉(これ)を〔どこまで真なりや〕と疑う。』
とあり(藤堂明保ほか「倭国伝」講談社学術文庫2000,pp.205-208)、更に粟田真人の後の遣唐使の話の中で「日本に調布の制度があるなんて嘘だろう」とまで書かれています。つまり、倭国は日本国だという国号変更の主張は実際には了承されていなかったということです。日本書紀の内容に添って説明したので、後漢光武帝への朝貢の話がなかったことが大きな原因と考えられますね(詳細は「日本国」へ、八百年も掛かったのか? 参照)(^_-)-☆

【関連記事】
卑弥呼の墓は見つかってるよ(^◇^)

邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!

【参考図書】
伊勢神宮の暗号 (講談社+α文庫) 文庫 – 2013/1/22
関 裕二 (著)

古代史 不都合な真実 12の古代文書が暴く「日本書記」の嘘
(じっぴコンパクト新書) 新書 – 2018/1/10
関 裕二 (著)


通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
応援をしていただき、感謝します。
よろしければ、またポチ・ポチ・ポチっとお願いします( ^)o(^ )
古代史ランキング


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。