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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

東大寺山古墳に武振熊が眠る!(^_-)-☆

2024-03-06 20:02:17 | 古代史
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いつも興味ある話題を提供してくださる武田晴樹様の動画にいつも通りの不躾なコメントしました。怒られたかもしれません。よろしければ、お付き合いください。動画をぜひご覧ください(;^ω^)


いい動画をありがとうございます。東大寺山古墳の被葬者は正解だと思います。古墳の被葬者を考えるときには最寄りの神社の祭神が参考になります。

しかし、和邇氏は日本建国で重要な役割を果たした氏族で縄文海人ムナカタ族宗像氏・宗形氏と同族なのですが藤原不比等によってワニ氏とされたと見ています。それは和邇坐赤阪比古神社の祭神から分かります。二柱あり、阿田賀田須命と市杵嶋比賣命です。アタカタスはムナカタ族の祖神でイザナミの父と推理しました。

イチキシマヒメが卑弥呼だと多数の証拠から突き止めています。三女神は卑弥呼を誤魔化すための創作です。宇佐神宮の二之御殿の比売大神です。

そして卑弥呼の父がこの神社の社名となっている先代赤坂比古で祭神でもあったと考えています。この人物を記紀では建振熊として系図も誤魔化しています。魏志倭人伝に登場した正始四年(243年)の正使倭大夫伊聲耆(本当の倭国王難升米が漢字で書いて帯方郡太守に届けた名前で、老いたイセ=シャーマン王の意味)です。現地で病死して、帰国後、宇佐市安心院町奥城古墳に葬られたと推理しています(直径約120mの巨大円墳、現在ブドウ園の展望台にされています)。



息子の掖邪拘ら7人が率善中郎将の印綬を賜っています。掖邪拘(ヤヤコ、若様・脇役の意)が卑弥呼の弟赤坂比古(記紀の日触使主)と推理しています。

近江八幡市日牟禮八幡宮の元の社名が不比等によって強権で替えられた日群社(ひむれのもり)です。本当の社名は日蝕社(ひはえのもり)として卑弥呼と弟を祀っていたと推理しています。

藤原氏は日本建国時代の史実が不都合なので徹底的に隠したつもりでもどこかにヒントが転がっています。富雄丸山古墳の被葬者も弟赤坂比古の孫で応神天皇の皇太子ウジノワキノイラツコですが、天皇に即位していたことも隠しています。何故隠す必要があったかも突き止めています。日本書紀の最大の秘密ですよ(「【刮目天の古代史】今年の大発見第1位!(^_-)-☆」 参照)

東大寺山古墳の中平銘鉄刀は難升米(師升の子孫)が公孫氏から拝領したものですが、魏によって公孫氏が滅亡したので、先代赤坂比古(東大寺山古墳の被葬者)に下げ渡したと推理しています。馬も拝領したようですが、投馬国の長官弥弥に下げ渡され、倭国には馬がいないとした模様です。



どうも突然、驚かれたかもしれませんが、考古学や民俗学の成果などからアブダクションと言われる第三の推論法によって推理しましたので、よろしければ【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆ をご参照ください。どうもお邪魔しました( ^)o(^ )

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆




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