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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

青谷上寺朗・ひとみ(仮称)は弥生人なのか?(@_@)?

2024-07-05 00:00:03 | 古代史
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#Y染色体DNA解析の記号について注を追加しました(;^ω^)

#いつものように、とてもいいYouTube動画を見つけたのでまた、お邪魔虫コメントを入れさせていただきました。よろしければお付き合いください(#^.^#)



【ゆっくり解説 】鳥取青谷上寺地遺跡の謎!!弥生時代人の脳が出土した!
古代史ヤバイ【ゆっくり解説】@YouTube


青谷上寺地遺跡の無差別大量殺人事件は弥生時代ではないです。
三世紀後半の古墳時代初頭の事件です。
日本建国の過程で起こった悲劇です。
鉄鏃・銅鏃の出土状況から戦乱があった痕跡が見つかりました。
よろしければ「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」をご参照ください。
お邪魔しました(;^ω^)


青谷上寺地遺跡の無差別大量殺人事件については「【検証8】青谷大量殺人事件の真相は?」で詳しく述べました。弥生後期後半の倭国大乱の時代ではありません。この時代の倭国は北部九州なのです。その他の列島各地では鉄鏃は出ますけど、ほとんど住居の中や墓の中だけです。見た限り、環濠や溝などから出ないので、地域間の戦争の痕跡すらないのです。だから青谷上寺地遺跡の弥生時代の土器が出土しても、ここで虐殺が起こる理由が分からないのです。ということで、次の古墳時代を考えることになります。下の図は、卑弥呼の死の直前(弥生終末期)の勢力分布図です。



247年の卑弥呼の死後に倭王に立ったのが倭国征伐に向った狗奴国軍の大将尾張王乎止与命(ヲトヨノミコト、記紀の仲哀天皇)を大国主久々遅彦(日本海沿岸部のムナカタ族を束ねる王、魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗、記紀の武内宿禰、豊岡市久久比神社祭神久久遅命、王の襲名)が討って、狗奴国王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇)を裏切って倭国王に立ったのが戦争の原因です。大国主久久遅彦の裏切り・狗奴国の実力者乎止与命の殺害に対する強い恨みから、大国主の配下の兵士に護られていない民間の交易集落青谷上寺地遺跡を襲って、幼児や女性・老人らへの無差別大量殺戮を行ったと推理できます。

日本人がこれほど残虐な事件を起こすことはこれまでなかったと思いますから、激しい怨恨によることは明白です。

しかも、この時代に大国主傘下の地域では鉄流通ネットワークができていました。それから外れた地域で、元から青銅鏡製作の工人を抱えていた尾張王の勢力は、銅鏃を好んで使用していたと推理しています。青谷上寺地遺跡の出土品データベースによると60点もの銅鏃が出土しており、溝や土坑などから出土しているものは明らかに外部の侵入者によるものと推定できます。

父の仇討ちで九州遠征した尾張王建稲種命(熱田神宮祭神、日本武尊のモデル)の話が、日本書紀で景行天皇の九州遠征として、その様子が詳細に述べられています(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)(その4)」参照)。仇討ちに成功した後に纏向遺跡に凱旋しましたが、すぐに大国主傘下の東海道遠征を卑弥弓呼大王に命ぜられて、その途中で戦死したと推理しています(詳細は「【検証26】建稲種命の終焉の地は?」参照)。その後、建稲種命の子尾綱根命の尾張勢や畿内の物部勢が再び丹後半島や出雲、北陸などを遠征して日本を統一したと推理しています(詳細は「【検証19】日本建国のための戦いだ!」参照)。

ということで、青谷上寺地遺跡から鉄鏃はわずか2点しか出土していないので兵士に護られていない状況の青谷を襲った事件は270年頃の建稲種命の九州遠征よりも少し前の話だと考えられます。

父系のルーツが分かるYーDNA分析の新たな情報がこの動画にあったのが有難いです(11:45-12:00)。

更に、2021年の研究報告で同じく青谷上寺地遺跡出土の別の5人の男性人骨をもって遺伝子検査を行った結果、二点がY染色体ハプログループD、そのうち一点はD1bまで特定、二点がハプログループO1b2 、そのうち一点がO1b2a1まで、もう一点がO1a2a1a1まで特定

現在、ハプログループD1a2a(D-M55)が日本列島固有の縄文人のものですので(注)、多分これです。すでに述べましたが、C型縄文人系C-M8のものもあり、Oタイプまでしか分からなかったのですが、O1a2a1a1はO-47zですから江南出身の倭人系です。ですから、青谷上寺地遺跡の男性は江南系と縄文系の混血したムナカタ海人族で間違いないと思います。母系のルーツが分かるミトコンドリアDNAもほとんど渡来系ですので、すでにムナカタ族が縄文時代から、主に半島だとは思いますが、アジア各地に出かけて混血が行われたのではないかと思います。青谷の場合は交易都市ですので、親子関係はほとんど見られない出稼ぎの人々が集まっていたのでしょう(^_-)-☆

ということで、冒頭でお見せした青谷大量虐殺の被害者の人骨から復元された青谷上寺朗さんも、静岡第一TVの大人気のイメージキャラクター久保ひとみさん激似の二人目の弥生人(女性)青谷ひとみちゃん(仮称)」も、弥生人ではなく古墳時代初頭の人ですよ。これだけ分かってくると、もう時代区分が適切じゃないのかも知れませんね(;^ω^)

【関連記事】
日本民族とその周辺民族の父系のルーツ!

(左クリックで拡大)

日本列島に集まった人々とは?
最近発表されたゲノムワイドの遺伝子解析による三重構造説は、考古学、民俗学、Y染色体やミトコンドリアDNA解析などの成果から推理した日本列島に集まった人々の歴史と一致しません。もっと、サンプル数を増やすといいのかも知れませんが、考古学などを無視したら最先端の遺伝子解析だけでは歴史は分からないということですよ(詳細は「古墳人って何なのさ?」参照)(;^ω^)

(注)D1bは現在D1a2aという呼称になっています。wiki「ハプログループD1a2a (Y染色体)」によれば遺伝子系譜学国際協会ISOGGでの名称の変遷は以下のとおりです。
2006年   ハプログループD2
2014年5月 ハプログループD1b (D1,D2,D3→D1a,D1b,D1c)
2019年6月 ハプログループD1a2 (D1a,D1c→D1a1a,D1a1b D1b→D1a2)
2020年4月 ハプログループD1a2a (D1a2,D1a3→D1a2a,D1a2b)

ですから、毎年見直されるISOGGの旧呼称(記号)をそのまま書いて、歴史を議論する場合に混乱して訳が分からなくなってしまいますので、解析した研究者に因む記号D-M55や縄文人系などの一目でわかる呼称にする必要があるのです。このことを知らずにすでに出版された多くの関係図書はYーDNA解析の成果をISOGGの旧呼称で記載してあると思うので、使い物になりませんよネ。変更の都度、改訂する必要があるのですよ!(;^ω^)


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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