刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

【刮目天の古代史】すんまへん!いつものお邪魔虫コメント(^^;)

2024-07-04 00:00:17 | 古代史
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前回記事にしたYouTube動画にいいコメントとユーザ同士のそそる議論があったので、いつもの悪い癖で、2件返事を書いてしまいました。Up主様にはご迷惑だったようで、申し訳ありませんでした。よろしければ、またお付き合いください(;^ω^)

@user-dr8ts7fy9o
魏志倭人伝に載っていることを、鵜呑みにしてきた事が間違いではないのかということだと思われます。大和王朝と邪馬台国は連合国家だったと考えることもできる。卑弥呼という巫女のトップがいた場所が宇佐神宮ではないかと考えられる。


@katumoku10
そうなんです。邪馬台国問題が解決しないのはそれです。ですから、事実、つまり考古学や民俗学の成果から、史書を参考にして仮説を立てて、事実で検証していくと科学的に真相にたどり着けます。その科学的な手法について解説していますので、よろしければ「刮目天の古代史」をご参照ください。

おっしゃるとおり、卑弥呼は外交上女王にされた姫巫女です。宗像三女神として隠されていますが、主神市杵嶋姫です。日本書紀も、上で書きましたが都合の悪い史実を隠すために神話を創り、歴史を捏造していますので、嘘を見抜き、編纂者の意図を推理して仮説を立て、事実で検証してゆくと分かりました。卑弥呼は二度改葬されていますが、宇佐神宮の前は安心院町妻垣神社奥宮一柱謄宮で、魏志倭人伝に書かれた径百余歩の墓は安心院町「三柱山古墳」です。邪馬台国は卑弥呼が宮室とした三女(さんみょう)神社で、宮ノ原遺跡にあります。

ここには奇妙な伝承がいくつもあり、卑弥呼を隠そうとした努力が見え見えですが、卑弥呼に所縁の地元の方は何とか真相を伝えたいと思っているようです。一方で、明治に記紀神話を刷り込まれているので、そういう伝承を打ち消そうという勢力もあり、複雑です。よろしければ「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」をご参照ください(#^.^#)



【関連記事】
【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!
卑弥呼に関する疑問が解消されなければ、コメントください(#^.^#)

宇佐は記紀が隠した秘密が満載だ(^_-)-☆
宇佐地区は藤原氏が必死に隠したものがまだ、眠っているかも知れませんよ(@_@)

++++++++

@tadano1zinnminn
卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命(第7代孝霊天皇の皇女で、卑弥呼がいた西暦200年代に建設された日本初の前方後円墳箸墓古墳の埋葬者)だと思います🫡


@nubo520
だとしたら崇神天皇の立場は?国家の代表・大王では無いの?それに箸墓古墳は現在の箸墓で決まりのように言っているが、山の辺の道の位置や年代的にも纏向石塚古墳の可能性もある。


@katumoku10
纏向遺跡は考古学の成果から完全に否定されますが、畿内説にこだわる方はそれを無視するので決着できないのです。
つまり、三世紀前半の纏向遺跡の外来土器に北部九州(倭国)のものが無いのですよ!
魏志倭人伝では伊都国の一大率が女王への貢物を間違いなく届けるなどの役割があるのですから。
畿内説の方は非科学的ですね(;´Д`)

前方後円墳での大事な祭祀にも北部九州の倭国の人々は参加していませんので、纏向遺跡は対立していた狗奴国と考えるといいです。
范曄後漢書も女王国から東に渡海一千余里に狗奴国があると明記しています。

多くの文献史学者は陳寿愛ですので、范曄はホラ吹きとして全否定しています。

でも、5世紀の倭の五王の時代の人ですから倭国の情報は陳寿よりもあったのでそう書いたのだと推理できます(詳細は「金印偽造説は現代の陳寿愛訓詁学者の思い込み?」参照)(^_-)-☆




最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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