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中国の本家は日本だった?!(#^.^#)

2024-06-30 00:00:08 | 古代史
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#前回のつづきのような話題です。一部重複していますが、よろしければ、またお付き合いください(;^ω^)




いい話題をありがとうございます。
中華人民共和国を中国と呼ぶのは、古代史を解明して間違いだと分かりました。

中国には本来の意味があります。

「なかつくに」です。真ん中の国と思っている方は間違いです。

「中」は「奴、ナーガ、龍蛇神」を意味します。

日本神話で、高天原に最初に降りてきた神は天御中主(あめのみなかぬし)なのです。

実はこれは史実だと分かりました。福岡市吉武高木遺跡に日本で最初の王墓が見つかっています。
宋史 王年代紀によれば、天御中主・天村雲尊・天八重雲尊と妃や王族が葬られていると分かります。
天村雲尊の副葬品は三種の神器(鏡・剣・玉)が揃っています。

四代目天爾聞尊(あめのににぎのみこと)から春日市須玖岡本遺跡に王宮を遷しています。
天孫降臨神話はこの史実から作られたものです。
16代王沫名杵尊の時に後漢光武帝から国宝金印を賜っています。
17代王伊弉諾尊は日本海沿岸を支配下にした縄文海人ムナカタ族の王の姫イザナミと結婚し、王族レベルで混血しました。
日本列島の大半を奴国王が支配したのです。
18代王素戔嗚尊(スサノヲ)の時に悲劇が起こります。
奴国宮廷楽師師升らのクーデターで奴国が滅びます。国宝金印はその時に志賀島に隠されました。

反乱を逃れて出雲方面に逃亡したのが弟ニギハヤヒと王子イタケルらです。
ニギハヤヒは師升の倭国に寝返った吉備の勢力を討ち、奴国を再興し、ヤマト王権の基礎を築きます。
二世紀末の倭国大乱で活躍したのがスサノヲに所縁の出雲・丹後を支配したイタケルの子孫三代です。
彼らの活躍で倭国がほぼ統一されますが、纏向遺跡を王宮とするニギハヤヒの子孫が倭国を滅ぼして日本が建国されます。
こういう三世紀の出来事で日本が建国されたのです。

現在日本で中国地方と呼ばれる地域は彼らが活躍したので「なかつくに(龍蛇神国)」なのです。

そして重要な話ですが、記紀神話は実は江戸時代に国学者本居宣長が古事記を発掘し、絶賛しました。
その影響を受けた神道家平田篤胤が復古神道を唱えたのです。
それが幕末の志士らに人気になり、明治新政府が神仏分離令を発し、廃仏毀釈が行われ、寺は破壊され、
僧侶は無理やり還俗させられました。
国家神道が創設されて、学校で国史が教えられるようになったので、戦後の日本人も何となく日本の神話・歴史だと思っています。

しかし江戸時代までは日本書紀が創った神話が神仏習合、修験道、道教などの影響で記紀神話とは全く異なるナーガ(龍蛇神)信仰の中世日本紀と呼ばれるものになっていたのです(斎藤栄喜「読み替えられた日本書紀」角川選書 参照)。



日本人の本当の神話は三皇五帝の中国(なかつくに)神話です。

天御中主の祖先が天皇伏羲なのです。
その証拠は吉備で見つかっています(詳細は「【大発見!】日本の天皇のルーツだ!」参照)。
ニギハヤヒの王墓楯築遺跡の神社のご神体「亀石」が天皇伏羲と同じ人面蛇体だったのです。
天皇陛下は、ニギハヤヒの子孫ということなのです(注)。
詳細は「刮目天の古代史」をご参照ください。

中共を中国と呼ぶのは全く間違いだったのですよ。
東シナ海などと表記されるので、シナと呼んでいます(^_-)-☆


【関連記事】
中国神話は日本人の神話だった?
【刮目天の古代史】目からうろこの大発見?(その19)

紀元前3200年に興った長江文明のひとつ良渚文化(りょうしょぶんか)が紀元前2200年頃突然消えました。洪水伝承があり、生き残った伏羲と女媧の二人が人類を創ったという伝説です。その末裔の禹が黄河中流域で夏王朝を建て、その末裔の古公亶父(ここうたんぽ)が、周初代武王の曾祖父です。長男の太伯(たいはく)と次男の虞仲(ぐちゅう)が長江下流域で呉を興し、倭人の王となりました。紀元前473年に呉王夫差が越に敗れて自害しました。呉王族の一部が半島南部に逃れ、紀元前4世紀初頭に福岡市吉武高木遺跡に降り立った天御中主です。天皇陛下の先祖です(^_-)-☆


王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)


(注)平安時代、貞観の前から日本の火山が活動期に入り、富士山や阿蘇山などが噴火し、地震などの災害が多発しました。朝廷は皇祖神を疎かにしたことを反省し、伊弉諾尊と吉備津彦命に皇族に与える特別な神階「品位(ほんい)」を差し上げ、二柱を祀る淡路國伊弉諾神宮と備中国吉備津神社に捧げものをして、祟りを鎮めてもらっています。ここから、日本書紀がニギハヤヒ大王を吉備津彦命として隠していたことがバレてしまいました(詳細は「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?」参照)。


最後まで読んでいただき、感謝します。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)

初めての方は「【刮目天の古代史】古代史を推理する(^_-)-☆」に基本的な考え方を説明していますので、是非ご参照ください!

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