行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

米中会談の仕掛け 日本が汲むべきメッセージ

2017-11-11 18:09:05 | 日記
習近平国家主席夫妻がトランプ大統領夫妻を迎えた「国賓訪問+(プラス)」の破格待遇については、故宮の南北中心軸から見た視点を指摘した。習近平はトランプを招いた故宮参観の際、こんな言葉も残している。



「中国の歴史は5000年以上前にさかのぼるが、中国の文化は悠久で、途絶えることがなかった。今まで継承されているのは、中国だけで、こうした我々は黒い髪、黄色い肌を保ち、自らを龍の子と呼んでいる」

習近平は、スローガンである「中華民族の偉大な復興」の起点を中華文明の発祥に求めており、民族の一貫した伝統を強調しなければならない。それぞれの文化が混ざり合い、刺激し合いながら発展してきた人類史の尺度からすれば、非常に狭隘な見方だ。「龍の子」も多くの少数民族には縁のない伝説だが、56民族と14億人を束ねるためには、中華民族の歴史としてこの架空の物語を言い続けるしかない。

漢族を中心とする中国人は、概して宗教には関心が薄いが、歴史、そしてそれを記録する文字、言葉を強く信仰する。いくら憲法や共産党規約で社会主義を標榜していても、「主義」を信じているわけではない。「中国の特色を持つ社会主義」という但し書きがついている。「中国の特色」が前につけられたとたん、「社会主義」の看板を掲げ、国づくりを進めてきた毛沢東や鄧小平の歩み、つまり人が残した歴史へと信仰の対象が転換している。

過去の米中首脳会談に様々な歴史の仕掛けがされてきたのも、歴史を受け継ぎ、新たな歴史を刻むためだ。日本人にとっても他人ごとではない。外野で野次を飛ばしても始まらない。一緒にゴルフをしたぐらいで「友情」をたたえる児戯とは次元が違う。日本人としてどのようにこの歴史の教訓を受け止めるか、という視点を忘れてはならない。

米中両首脳は、皇帝が天下を治める権威の中心である故宮の中心軸に立った。皇帝のみが通行を許される中心軸には、舞い上がる龍の彫られた階段もある。その中心軸に並び、米中のトップ二人で天下を語り合うという趣向だ。



2年前の抗日戦争勝利70年記念では、習近平が中心軸上にある天安門楼上から軍事パレードの指揮をした。米国の要人は参加しなかったが、対日本において米中は事実上の同盟関係にあった。

実は、習近平とトランプの両国首脳が訪れた太和殿の前庭は、その抗日戦争に深いかかわりがある。軍閥が支配していた中華民国時代の1918年、当時の徐世昌大総統が第一次世界大戦の戦勝国として内外の軍を集めた閲兵式の場所が、太和殿の前庭だった。太和殿では1945年10月10日、日本軍の華北方面軍司令官の根本博中将から中国の第11戦区司令官、孫連仲将軍に降伏状が手渡され、日本による北京占領に終止符が打たれた秘話もある。

米中首脳が立った南北中心軸は、盟友として抗日戦争を戦った歴史も刻んでいる。もし習近平がトランプに盟友時代の秘話を打ち明けていたとしたら、相当手の込んだ舞台裏の演出になる。もっとも、大型商談のそろばん勘定を気を取られたトランプは、ほとんど関心を持たなかったに違いないが。
 
過去の米中首脳会談の隠されたメッセージからも、日本は教訓を読み取ることができる。

昨年9月、主要20か国・地域(G20)首脳会議が浙江省杭州で行われた際の米中首脳会談は、習近平が当時のオバマ米大統領を西湖畔の西湖国賓館に招いた。45年前、電撃訪中をしたニクソン米大統領が周恩来首相と、国交正常化に向けた「上海コミュニケ」を練ったゆかりの場所だ。米中が関係構築の初心に戻ることを示唆したメッセージだったが、日本にとっては頭越しをされた苦い外交の経験、いわゆるニクソン・ショックの記憶が残っている。現在も日本を抜きにした米中の緊密化は着実に進んでいる。

また、習近平が2014年11月、北京のAPEC首脳会談に訪れたオバマ大統領を北京・中南海に招待した際は、「中国近代以降の歴史を知ることは、中国人民の今日の理想と前進の道を理解するために重要だ」と述べた。中南海に政治の謀略がはびこった清朝末、中国は列強の侵略を受け、半植民地となった。米国も侵略に加わったが、後発だったため中国に残した傷跡は少ない。むしろ、深い関係を築くきっかけを残している。

以前にも指摘したが、それは、習近平、胡錦濤をはじめ歴代指導者を多数輩出したエリート校、清華大学の生い立ちに隠されている。

清朝末の1900年に起きた義和団事件では、列強による中国支配に反発した秘密結社・義和団が北京の各国公館エリアや天津の租界を襲撃し、日本や米英露など8か国が連合軍を派遣して鎮圧した。清朝は事後処理として巨額の賠償金を要求された。米国は中国人を米国に留学させるための費用として賠償金を中国に返還し、その資金で設立された留学生養成機関が同大の前身、清華学堂である。

清華大学人脈は今は政権の中枢を占め、深い米中関係を築く強固な土台となっている。日本は中国に最も深い侵略の傷跡を残したが、改革開放にあたっては、どの国よりも大きな貢献をした。それは習近平も天皇陛下の前で認め、感謝している。問題は功罪の伴う日中の歴史を日本側がしっかりと認識し、継承してきているかかということである。

習近平はトランプとの会談で、両国間の青少年を中心とした人的交流を、「先人が木を植え、後に人が樹陰を楽しむ」長期的な事業だと形容した。自らの母校である清華大学の創設エピソードが脳裏にあったのかも知れない。日中間の人的関係に、そうした長期的な視点があるのかどうか。実に心もとない。

習近平とトランプが並んだ故宮の中心軸

2017-11-09 17:53:24 | 日記
中国が「国賓訪問+(プラス)」の待遇で迎えたトランプ米大統領の初訪問だった。2日間の滞在中、エネルギー、製造業、農業、航空、電気、自動車などの分野で総額2500億ドルを超える貿易契約・投資協定を手土産に渡され、ビジネスマンの大統領はさぞご満悦だったに違いない。

数千年に及ぶ王朝体制の中で培われた接待文化において、中国の右に出る国はない。だからこそ、一つ一つの行事に深い意味が込められている。はっきりとしたメッセージとして伝えられることもあれば、相手に悟られないよう巧妙に仕掛けられることもある。

私が今回注目したのは、習近平国家主席と彭麗媛夫人が11月8日、中国入りしたばかりのトランプ大統領とメラニア夫人を北京の故宮博物院に招いたことだ。同博物館は一般公開されているが、この日は貸し切りとなった。



両国夫妻は、近代に入って増築された宝物館の宝蘊楼(ほううんろう)でお茶をし、故宮内で京劇の上演を楽しんだ。新華社の公式報道は、習近平がトランプに対し、

「故宮は中国の歴史文化を理解するうえで不可欠の窓だ」

と説明したと伝え、次のように続けた。

「習近平夫妻はトランプ夫妻に同行して三殿を参観した。両国元首夫妻は内金水橋を渡って太和門を越え、壮大で威厳ある太和殿広場で記念撮影をした。両国元首夫妻は故宮の中心軸に沿って、太和殿、中和殿、保和殿を参観し、三つの大殿に込められた“和”の中国伝統文化を体感した」

世界をリードする米中の「和」を世界に発信する手の込んだ演出だ。新華社電の中にあった「故宮の中心軸」との表現が、私の目にとまった。

故宮はかつて紫禁城と呼ばれ、元帝国の初代皇帝、フビライが矢を放って場所を定め、そこを起点に城壁を築いたとの伝承を起源とする。明朝の永楽帝以来、清朝が滅ぶまでの約500年間、皇帝の住む宮殿として引き継がれてきた。天子である皇帝が天下を治める中心だ。

南北に延びる中心軸は、左右対称の故宮を東西に分ける座標軸である。王宮の紫禁城で、皇帝が居る権威と秩序の象徴がこの中心軸だった。毛沢東の肖像画も天安門広場の毛主席記念堂も、そして国旗掲揚ポールもこの線上に並んでいる。延長すれば北の鼓楼から南の永定門を貫く旧城のラインだ。地の利を占う伝統的な風水の上からも重んじられ、北京五輪メーンスタジアムの「鳥の巣」は南北中心軸を北に延伸した場所に作られた。

過去から現代に至る時空の中心は、56民族と14億人を束ねる権力と権威を視覚的に示す舞台装置となる。2015年9月に行われた抗日戦争勝利70年の軍事パレードはまだ記憶に新しいが、あの時、習近平は国家、共産党、人民解放軍の総指揮者として、南北中心軸上にある天安門楼上の演台に立った。

私はその3か月前、新聞記者を辞職していたので、取材パスの待遇を得られなかったが、北京に飛んだ。天安門の式典会場から5キロ離れたホテルで、

「習近平という現代の皇帝が即位し、自ら内外に新たな時代を予告したのだ」

との感想を抱いた。北京を流れる長い歴史の空気を肌で感じながら、身震いがした。

天安門をくぐる南北中心軸上の通路には赤絨毯が敷かれ、習近平は軍事パレードに先立ち、ロシアのプーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領(当時)ら49か国の代表や、国連の潘基文事務総長など計10の国際組織の代表を握手で迎え入れた。軍事パレードにこれほど広範な外国首脳を招いたのは初めてだった。私がホテルで見ていたテレビ画面からは、各国代表が大仰な仕掛けに戸惑う様子も見受けられ、皇帝が外国使節に謁見する図が再現されたように感じた。

あれからわずか2年だが、習近平の反腐敗キャンペーンを通じた権力掌握は想像以上に早く進んだ。閉幕したばかりの第19回党大会では、指導部の人事や党規約の改正などに、「一強」を勝ち得た権威が遺憾なく示された。

そして今、米国大統領を天下の中心軸に招き、世界に「和」のツーショットを発信している。習近平は9日の米中首脳会談、そして記者会見でも、「太平洋は十分広い。米中両国を受け入れるのに十分だ」と大風呂敷を広げた。中華民族の偉大な復興を「中国の夢」としてスローガンに掲げる習近平の胸中には、歴代の王朝、そして皇帝になろうとした毛沢東らの軌跡がよみがえったことだろう。



両国首脳が歩いた故宮の中心軸の中央に建てられているのが太和殿である。明、清朝を合わせ計24人の皇帝が「竜座」において即位の儀式を行い、官吏たちが三跪九拝を行った。最後に即位の儀を挙げたのは後の満洲国皇帝で、清のラストエンペラーとなった宣統帝、愛新覚羅・溥儀(1906-67)だ。

過去の米中首脳会談はどうだったか。

習近平は昨年9月、主要20か国・地域(G20)首脳会議が浙江省杭州で行われた際、それに先立つ米中首脳会談で、当時のオバマ米大統領を西湖畔の西湖国賓館に招き、「ここでお会いできうれしい」と述べた。同ホテルは1972年2月、電撃訪中を果たしたニクソン米大統領が周恩来首相に付き添われて訪れた場所だ。そして米中首脳は、敵対関係を終結させ、国交正常化を目指す「上海コミュニケ」を練った。この地を会談の場にしたのは、米中が初心に戻って、対立を超え、共通利益のために手を結ぶべきだとのメッセージだった。

また、習近平は2014年11月、北京のAPEC首脳会談に訪れたオバマ大統領を、高級幹部が起居する中南海に招待し、瀛台(えいだい)の涵元殿(かんげんでん)で会談をした。そこは清朝末、国内改革を進めようとした光緒帝が西太后の抵抗に遭い、生涯幽閉された場所だ。習近平は中国歴代王朝の歴史談義を披露し、「中国近代以降の歴史を知ることは、中国人民の今日の理想と前進の道を理解するために重要だ」と述べた。

中国の近代史は、国内が分裂して列強の侵略を受け、半植民地となった苦難の歩みだ。それを乗り越え、米国と肩を並べる地位が近づいてきたことへの深い感慨があったに違いない。

中国側の深謀遠慮が、こうした過去の例からもうかがえる。

汪洋副首相の会見で際立つ日米の差異

2017-11-09 13:34:16 | 日記
昨日8日はトランプ米大統領の訪中で見落としていたが、同日午後、トランプ到着の2時間後には、投資家として知られるウィルバー・ロス米商務長官が汪洋副首相と北京の人民大会堂で顔を合わせ、米中企業家の商談に立ち会った。汪洋は最高指導部の常務委員に就任したばかりだ。米中の有力指導者が並んだ場で、生命科学や航空、Intelligent manufacturing(知的生産)などの分野で計19件、総額で90億ドルの協力プロジェクトに関する調印式が行われた。



米中トップ会談を前にしたセレモニーなのだろう。中国側の報道によると、汪洋は、

「今日はただの前座で、(首脳会談のある)明日が本番だ」

と述べたという。汪洋は米中首脳会談にも同席し、トランプ滞在中、米中はエネルギー、製造業、農業、航空、電気、自動車などの分野で総額2500億ドルを超える貿易契約・投資協定に調印したことが公表された。

米中の貿易総額は、大幅な米国の赤字を抱えながらも、2016年には5,243億ドルに達し、相互の人的往来は延べ500万人に達する。貿易額は2017年上半期ですでに2,891.5億ドルにのぼり、前年同期比で9.8%増えている。今後は先端技術の分野で競争と協力が進行し、ヒトとモノの行き来はさらに深まるだろう。

汪洋副首相については、2014年9月24日、人民大会堂で日本の大手企業トップが参加する日中経済協会の訪中代表団と会見した際のエピソードが忘れがたい。日中のハイレベル経済対話が2010年から途絶え、再開の目途が立っていない中、日本の経済界も逆風を受けながらの訪中だった。だが、経団連の榊原定征会長を含め過去最大規模の約210人が参加した。

会見の前日、読売新聞が、汪洋が政治局常務委のメンバーでないことから、「『中国側に対日関係を改善する兆しは表れていない』との受け止める声が出ている」と報じた。この記事が思わぬ波紋を呼んだ。汪洋は24日の会見で冒頭、「日本の経済界のみなさまが、中日両国間の友好協力、とりわけ互恵協力を非常に重視している」ことを評価した後で、わざわざ同記事を訂正しこう述べた。

「昨年はみなさまと中南海の紫光閣でお会いし、しかもメンバーのうちの十数人の方しか会っていません。しかし、今年は人民大会堂で会っていて、また、メンバーも数十名の方々とお会いすることができた。このたび日中経済協会がこんなに大規模な代表団を率いて訪中されたことを、非常に重視していると表したい」

副首相による異例のコメントには、面会する中国指導者のランクに対する日本側の執拗なこだわりが背景にある。同年7月に訪中した民主党の海江田代表は、当時、総書記の補佐役だった劉雲山・党中央書記局書記(党序列5位)と会い、集団自衛権行使について議論した。だが、二か月前に訪中した自民党の高村正彦副総裁ら超党派の国会議員団が、序列3位の張徳江・全国人民代表大会常務委員長と面会していたことから、日本のメディアには海江田の落胆が伝えられた。

日中の政治関係が領土問題でこじれている中、面会する指導者のランクにこだわる日本の政治家の姿は、中国人には「朝貢外交のようだ」と奇異に映る。自分の見栄えだけを気にして人に会っていては、真の関係は構築できない。それどころか、人の心は離れてしまう。そんなことを繰り返してきたのではないだろうか。たとえ相手の地位が低かろうが、長い目で将来を見据え、一歩一歩、地道に付き合うということを忘れてはいなかったか。今からでも遅くないので、自省した方がいい。

当時、出した拙著『習近平の政治思想』(勉誠出版、2015)では、以下のように指摘した。

「問題なのは中国指導者のランクではない。天安門事件後、鄧小平とブッシュが本音をぶつけあったようなパイプがないことにある。有効な意思疎通のできるルートがあれば、政治局クラスでも十分、最高指導部の感触を探り、日本の真意を伝えることもできる。政治局員であり、次期常務委入りも有力視される汪洋のコメントがそれを裏付けている」

鄧小平とブッシュ(父)の関係は、ブッシュが1970年代、米国政府の 北京事務所所長を務めていたころにさかのぼる。二人の親密な人間関係が、1989年の天安門事件による米中対立を緩和させる重要な役割を果たした。

さて、常務委員入りした汪洋に、日本側はどんな顔をして会いに行くのか。自分たちの人間関係に置き換えてみれば、周囲からどんなふうに見えるのか、容易に想像がつく。

トランプ訪中・・・米中の緊密化と日中の希薄化

2017-11-08 22:01:39 | 日記
トランプ米大統領夫妻が本日8日、就任後初めて訪中した。中国メディアは数日前から、米中関係の緊密化をアピールし、習近平総書記夫妻はトランプ夫妻を北京・故宮に招いて親しく案内した。破格の扱いである。





ここ数日、米中と日中に関し、二つの象徴的なニュースに触れた。

第19回党大会で党中央組織部長に就任した陳希・党中央政治局員が3日、中央党校の卒業式に校長の肩書で参加した。党幹部を養成すると同時に、思想イデオロギー研究の要である中央党校のトップは、歴代、党常務委員クラスが就任してきた。胡錦濤や習近平も歴任した重要ポストだ。陳希は習近平と清華大学の同窓で、個人的な親交が深いとは言え、異例の抜擢である。

陳希は清華大学を卒業後、修士課程を修了した。引き続き同大に在籍し続け、トップの書記まで務めた。注目すべきは1990年から2年間、米スタンフォード大に留学しており、最高指導部に目立ち始めた米国留学組の1人である。共産党の創設当初、イデオロギー部門をソ連留学組が占めていたことを思えば、隔世の感がある。米中における高位高官レベルでの人的関係が、ますます深まっていることを物語る。

また、香港メディアを通じて流れてきた日中関係にかかわるニュースがあった。5日、日中双方の研究で知られる米国人のエズラ・ヴォーゲル元ハーバード大教授が上海の華東師範大学で「中日関係と東アジアの未来」と題して講演し、中国の指導部に日本を深く知る人材が欠けていることを指摘したという。その指摘自体は目新しいものではないが、トランプ訪中前に、中国研究に傾く米国人学者が語った言葉として、印象深かった。

かつて、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)の著で知られたエズラ・ヴォーゲルだが、2012年には鄧小平研究の世界的ベストセラーを出版し、現在は胡耀邦の事績を熱心に調べている。講演では、戦争を経験した鄧小平、胡耀邦時代は日中の往来が盛んだったが、「その後継者たちは、たとえ日本を知っていても、『愛国的でない』との批判を恐れ口に出さなくなった」と述べる一方、政権基盤の安定した現在の日中指導者は「関係改善の好機を迎えている」と分析した。

確かに、新指導部の中で、最大の知日派は習近平本人である。国家副主席時代の2009年12月、天皇陛下との「特例会見」を含め、訪日歴は計6回以上にのぼる。特に福建省時代は、友好姉妹都市の訪問を兼ね、しばしば東京や沖縄、長崎を訪問している。浙江省党時代も、友好都市の静岡県からの訪問団としばしば会見している。習近平が天皇陛下と会見した際、鄧小平と胡耀邦らが道筋を立てた改革・開放政策の成功について、「この過程において、我々は日本国民の理解と支持を得ました」と感謝の言葉を述べたことは注目されてよい。

米中関係は貿易不均衡や人民元レート、さらには北朝鮮の核・ミサイル開発問題などの懸案を抱えながらも、毎年、定期的に閣僚クラスによる対話の場が設けられている。日本も1970年代、米国との激しい貿易摩擦によって、経済界ばかりでなくメディア、学術分野を巻き込んで、日米コミュニケーション・ギャップに関する猛省があった。だがその後、日米のギャップは完全に克服されたと言えるのだろうか。

一方、日中のギャップについても、かつての日米と同様の深刻さを認識してもよいのではないか。政府間はともかく、中国側は民間レベルで積極的に日本を知ろうとアプローチしている。だが、残念ながら日本側にはその熱意が欠けている。かつてあった熱意が冷めていると言った方がいいかも知れない。

難題が山積し、国民が様々な不安を抱えて暮らしている中、指導者同士がゴルフに興じる光景を、当たり前のように、有り難がって報じているメディアがある。たぶんトランプ訪中では、米中の対立や衝突ばかりを書きたてるのだろうが、目を向けるべき対象は自らの足元にあることにそろそろ気付くべきである。

黄色い線の「内」と「外」に表れた日中の差異

2017-11-06 13:55:05 | 日記
アニメ映画『君の名は。』(新海誠監督)のヒットで、何人かの学生から作品中の和歌について聞かれた。中国の若者に静かな万葉集ブームが生まれているのか。

「誰(た)そ彼(かれ)と われをな問ひそ 九月(ながつき)の 露に濡れつつ君待つ我そ」

万葉集に収められた作者不詳の一首だ。名前を明かすことは、その言葉に宿る魂をも渡すことになる。そんな素朴な感情が歌われている。名に霊魂を感じるのは中国の伝統でもあるので、理解されやすい。

アニメでは、国語教師が教室の黒板を使い、「誰そ彼と」から「たぞがれ(黄昏)」が生まれたことを教えるシーンがある。その語源もロマンがあっていい、との感想があった。「たそがれ」と中国語読みの「黄昏(コウコン)」はどんな言葉のニュアンスがあるのか、などとかなり突っ込んだ質問もあって驚かされる。

新海誠監督の作品では『言の葉の庭』にも、万葉集の恋歌が登場する。柿本人麻呂の掛け合いだ。

「なるかみ(鳴神、雷神)の 少し響(とよ)みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」

「なるかみの 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹(いも)し留めば」

雷が鳴り、雲が陰ってきた。雨が降って恋する人の足を止めてほしいという女心に、雨が降らなくても、君が望むのであれば残ります、と正直に答える。中国の古詩は、主として男性を中心とする文人=官僚が担い手だったので、国家や人生の一大事、友情などを歌ったものが多い。男女の恋歌が圧倒的に多い日本の和歌は新鮮に映るのだ。

ひょんなことから、私も新海誠作品そのものを観なくてはならなくなった。和歌とは関係なく、意外なことに気付いた。駅ホームのシーンが何度が出てくるのだが、いずれもアナウンスの中国語字幕が「黄色い線の外側」(『君の名は。』)、「黄色い線の後ろ側」(『言の葉の庭』)と訳されていた。作中の日本語セリフではいずれも「黄色い線までお下がりください」である。通常は、「黄色い線の内側まで」と放送されることが多い。


(『君の名は。』から)


(『言の葉の庭』から)

「内と外」、「内と後」では正反対だ。もちろん、どこから見るかという視点の問題だが、単なる地点ではなく、思考方法が反映されているのではないか、と考えた。学生たちに意見を求めたが、ほとんどは地点の差異にとどまった。いい線まで行ったのは、「外」は列車からなので「危険」に関心が向いている、「内」は乗客の立ち位置を参考にしている、というものだった。「地点」から、問題の「見方」に一歩近づいた。

列車が入って来たときのアナウンスは、危険を避けることが目的だ。客観的に存在する列車の危険を見据え、そこから離れようとするのが「外」「後」である。一方、「内」は、列車と立っている乗客との関係を重んじ、人の立場に立って方向を示唆する。客観的な「危険」と、流動的な「関係」。どこに重きを置くかによって、言葉の使い方が異なる。

もう一つ例がある。

「好きじゃない?(不喜歓?)」との質問に対し、中国語は英語と同様、「嫌い」ならば「不(No)」と答えるが、日本語では、相手の聞き方に応じて答えるので、「嫌い」は「はい(Yes)」となる。「いいえ」は「好き」を意味する。中国は「好き嫌い」の事実に対して答えるが、日本は相手の言葉に即して答える。黄色い線をめぐる表現もまた、同じ差異の論理が当てはまるのではないか。ちなみに英語では、「Please stay behind the yellow line.」となるそうだ。

日本の忖度社会や複雑な敬語表現も、こうした関係重視の文化から生まれる。良い悪いの問題ではないが、文化の差異を乗り越え、相互理解を深めるうえで、関係重視の文化はどのような効用があるのか。少し考えてみたいと思った。