行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア】もう一度考えてみる価値のある「中国の武士道」

2016-03-04 16:23:07 | 日記
清朝に仕え、体制内での憲政改革を目指した梁啓超は日本に亡命し、多数の日本人と接する中で、明治維新後の日本から多くのことを学んだ。もちろんかつては蔑んでいた小さな島国に戦争で負け、屈辱的な思いを胸に秘めながら。



清朝滅亡の直前、彼が残した書『中国の武士道』(1904年)がある。もちろん日本の武士道に触発されて書いたものだ。私は読んでいないが、宮崎市定『中国政治論集』が序文の抄訳を載せており、それだけでも非常に興味深い。

梁啓超は、日本が軍事大国への道を進むのを目の当たりにしながら、「日本人はいつも、中国の歴史は不武(文弱)の歴史で、中国の民族は不武(文弱)な民族だというが、その言葉には恥じ、憤り、到底承服できない」と、中国の武徳を語る。彼によると、中国人の武勇は最初の天性であって、春秋戦国時代、つまり強国が覇を争った時代は、中国民族の武勇が天下にとどろいた。国家や上官、友人のために死をいとわない尚武の精神があり、「日本の武士道にも負けない」と豪語するのである。列強の侵略を許すほど弱ったのは、中国人自身の天性にあるのではなく、時勢にあるという。だから奮い立てと呼びかけるのである。

興味深いのは、秦をはじめ強力な統一国家の専制がはじまると、権力者は民の武器を取り上げ、徐々に尚武の風が消えていったというのである。圧倒的な皇帝が登場すれば、武勇を競うべき機会がなくなる。一つの天下の下、みな権力にひれ伏すことを覚え、「坂道を転がるように弱くなっていった。「専制政治は天子一人が強く、万民は弱い」という。もし平和な時代であればそれでよいが、世界が覇権を争う時代を迎えたのに全く対応できなかった。

全文を読んでいないので判断がつかないが、学術的な書というよりも、政治演説のような気迫をもった書なのではないか。だから史実の評価の当否を議論しても意味がない。むしろ目を引いたのは、強い指導者が1人出ると、国民は弱くなるという理屈だ。専制国家は人もモノも自由に動員できるから、敵対国家がいれば力を発揮するが、もし独り勝ちの状態であれば自滅するしかない。逆に言えば、国の弱体化を防ぐためには、仮想敵国を作るしかない。

つまり、独裁国家に対して、それを警戒し、威嚇し、封じ込める発想は、かえってその国を強くし、国民は弱くなるということではないのか。平和な環境を築けば、独裁国家の指導者は覇を争う動機を欠き、淘汰されていく。だから覇を争う口実を与えてはいけない。よく聞かれる、いわゆる中国脅威論の愚もここにある。

尚武の精神を鼓舞しようと書かれた『中国人の武士道』がこんな風に読まれているのを知れば、梁啓超もさぞ驚くことだろう。ただ、時勢が国民の天性を押し込め、引き出すのだとすれば、尚武の精神をたたえる時代ではなくなった今、彼は別の読み方がるあことを受け入れるに違いない。

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