行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

同級生の住職を訪ねた京都一泊の旅

2016-05-16 00:54:53 | 日記
14~15日にかけ京都に出かけ、大学時代の仲間とともに同級生が住職をしている正定院(左京区田中下柳町)を訪ねた。1610(慶長15)年に創建された浄土宗の寺院。京阪電鉄・出町柳駅を出てすぐ、ちょうど加茂川と高野川が合流する地点の東岸にある。学生時代には本堂に泊まったこともある思い出の場所だ。住職の案内で周囲の寺を巡った。5月15日はちょうど平安貴族を再現させた行列の葵祭だった。



伏見稲荷、東福寺、大聖寺、冷泉家住宅、相国寺、阿弥陀寺、清浄華院、蘆山寺、その間に葵祭の行列を見物し、最後は広隆寺で弥勒菩薩像を拝んで締めくくった。2日間で3万歩を超える密度の濃い旅だった。

正定院はもともと御所の西側を南北に走る寺町通にあったが、1693年に焼失し、跡地に公家の家を建てるということで約1キロ離れた現在の地に引っ越した。寺町通の蘆山寺に、豊臣秀吉が作った御所周辺を囲む土塁の御土居(おどい)跡がある。御土居の内側が洛中、外側は洛外。正定院には当初、公家の檀家もあったが、洛中から洛外に移転すると、「そんな辺鄙なところではいやだ」と離れてしまったという。

今回の旅行では、天皇家や公家が寺院に残した大きな歴史の足跡を実感した。相国寺では、今、話題の若冲に関する興味深いエピソードも聞いた。天皇家と公家、寺院との関係については別途、論じることにする。

今日は印象深かった臨済宗の東福寺について触れる。奈良で隆盛を誇った東大寺と興福寺にあやかって、「東」と「福」を取ってつけた名前だ。巨大な伽藍を持ち、国宝に指定されている正面の三門(山門)は端正で、堂々としている。



本堂に行く途中に、高さ20メートル近い老木の「イブキ」(ヒノキ科)が見える。13世紀半ば、同寺を開いた聖一国師が宋に渡って仏法を極め、帰朝の際に持ってきたと伝えられる。だとすれば樹齢はゆうに700年を超える。樹皮が大きくえぐり取られたようになっている様が痛々しい。火事などで傷を負ったのだろうか。それがたくましさを添えている。同寺には聖一国師が宋から持ち帰った1000点を超える重要な典籍が保存されている。



本堂の天井には、堂本印象(1891~1975)筆の天井図「蒼龍図」がある。臨済宗の寺院には相国寺を含め、仏の教えに導くとして龍の天井画が見られる。これも中国の影響だろう。飛び出すほど大きな白目が、見上げる者の心までもつかみ取るかのような畏怖を連想させる。



方丈の庭は、作庭家・重森三玲(1896~1975)が1939年に完成させたもので、鎌倉時代の質実剛健な風格と現代芸術の抽象的構成を重ね合わせたものだという。(続く)





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1 コメント

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Unknown (斎藤)
2016-05-17 16:56:23
京都いいですねえ。北京はもう夏日開始です。せっかくの写真が大きすぎて一目で見られません~。JPG(ペイント)のホーム →サイズ変更→ピクセル→数字を3桁に適当に低めに変える などでもできます。(もっと良い方法もあると思いますが)
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