行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

オバマ米大統領が語った「宗教の愛」について

2016-05-29 10:40:03 | 日記
オバマ米大統領が27日、広島市の平和記念公園を訪問し、原爆慰霊碑への献花に続き、17分間、英語でスピーチをした。ジョージ・オーウェルが言ったように、政治家の言葉には思想を腐敗させる毒があるが、それを差し引いてもなお、以下の言葉に注目した。



Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
(偉大な宗教はいずれも、愛や平和、正義に至る道を説いている。だが、信仰によって殺人を正当化する信者が生まれることを免れた宗教はない)

確かにその通りだろうが、宗教があって愛があるのではなく、人間に愛があるから宗教が生まれたとみるべきではないだろうか。だからこそ宗教が語る愛に洋の東西を問わない普遍性がある。キリスト教は博愛を、仏教は慈悲を、そして儒教も仁愛を説いた。愛を政治や宗教から解放しなければ独善に陥るのではないか。今年の孫文生誕150周年を記念して拙稿を書いた。タイトルは「時空を超える愛」である。

昨晩、日本のテレビドラマを見ていて、浅薄な「愛」が語られているのに唖然とした。オバマ発言の「愛」について考えていただけに、その落差があまりにも大きかった。

ある銀行が赤字を解消するため、業績不振の関連会社を清算するストーリーだ。従業員200人の首を切らなければならないが、エリート女性行員は、銀行の利益を第一に考えて断行しようとする。優秀な彼女は、その関連会社が歴代頭取の指示によって裏金作りに利用されていることを突き止め、会社清算の背景に派閥抗争が存在していることも察知する。だが最後、彼女は違法行為を見逃し、結果的に自分が銀行で生き残るための手段として利用する。組織の利益という大義のため、良心に目をつむって悪事に加担するのである。彼女が口にするのが次の言葉だ。

「××銀行を愛している」

相次ぐ企業不祥事の背景には、「組織の利益」という大義が語られる。だが、不明確な「組織の利益」は責任をあいまいにする方便だ。実際、組織全体の利益と言うものはなく、一部の人間の自己保身でしかない。だとしたらそのように語ればよいだけのことである。空気のような概念を振りかざして、しかもそこに普遍的な、だれもが抗しがたい「愛」を持ち出すのは詐欺的論法である。普遍性のない愛はいびつな「偏愛」でしかない。

宗教を持たない国の悲哀、というよりも、愛を語る契機を欠いた人間の浅薄さという言うべきか。

以上は「時空を超える愛」の前書きとして、次から本文に入る。



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