行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

コロナの渦中で成果を生んだ日本取材チーム「新緑」④

2020-08-29 08:20:33 | 日記
今年で第4代となる汕頭大学日本取材チーム「新緑」だが、コロナの影響を受けながら、どうしてテーマソング『新たな出発』を生み出すに至ったのか。それは、私と作曲者、この7月に卒業したばかりの工学部土木工程専攻・蒋翔との縁に始まる。



彼との出会いは、2019年春季、私が担当する全校対象科目『日中文化コミュニケーション』の授業だった。彼は音楽が好きで、ギター演奏の名手でもあり、おとなしそうな見た目からは想像つかないが、ロックミュージックの大ファンだ。授業では、他の学生と一緒に日本のロックグループに関する研究を発表した。

これまでの慣例として、クラスの学生を何グループかに分けて私の宿舎で一緒にお茶を飲んだところ、ある時、10人ぐらいの中に彼がいた。自己紹介の時、彼は「ギターが弾けます」と言うので、じゃあ、私が歌うから一緒にコンビを組もうと誘ってみた。半ば冗談のつもりだったが、彼は次の授業で、突然教壇まで来て、「ギターを持ってきました。先生、今日歌いますか?」と迫った。私は彼の真面目さに感動し、「じゃあ、最後の週にしよう」と応じた。

その後、彼と宿舎で何度も練習をし、しばしば「新緑」の活動についても話しをした。「新緑」第三代のボランティア用に作ったTシャツもプレゼントした。そして最後の授業に、私たちはキロロの『未来へ』と中島みゆきの『糸』を披露したが、なんと、彼はその時、私がプレゼントした「新緑」のTシャツを着て現れたのだ。彼は口数が少ないが、言行が一致しており、とても信頼できる学生だった。わざわざTシャツを着てくれたことからも、「新緑」チームに対する深い思い入れを感じることができた。





その後も交流は途切れなく続いた。しばしば一緒にお茶をしたり、みなと一緒に食事を作ったりした。「新緑」歴代の卒業生が学校に戻ってきて、パーティを開くときも、彼を特別ゲストとして呼んだ。彼はすでに「新緑」チームの一員のように扱われた。


(一番左が蒋翔)


(手前右が蒋翔)

私の誕生日には、紙を折った手作りのバラとカードをプレゼントしてくれた。カードには、「白バラは純潔で美しいという意味を持っています。先生がいつまでも若く、いつまでも青春の活力にあふれていますように」と書かれていた。



そのカードは、彼が出場したある音楽祭の記念品で、限定版の貴重な一枚だった。

昨年末、大学の学食で彼と会った際、彼が高校二年の時、学校のクラス対抗歌合戦で、作曲にかかわったことがあると思い出話をしてくれた。私は早速、「それなら『新緑』の曲も作ってほしい」とお願いした。今度は冗談ではなく、本気で。彼は「そんなにプロフェッショナルではないので・・・」と謙遜しながら、その場で応諾してくれた。期末で忙しい時期だったが、彼は1月4日、エレキギターで演奏した曲を送ってくれた。そして、テーマソング作りの工程まで作ってくれた。



彼は、別の学生の作詞作業と並行して何度も手直しをし、きめ細かい仕事ぶりを発揮した。その間、卒論、大学院進学の準備など、4年生としての重要な学業を抱えながら、7か月をかけて完成させた。コロナで卒業式もなかったが、かれにとってこのテーマソングは、それに匹敵する有意義な記念となった。



テーマソング『新たな出発』には、二つの縁がある。一つは私と彼との縁。もう一つは彼と「新緑」の縁。MV最後の字幕には、彼の肩書が「特別メンバー」となっていた。名実ともに「新緑」の一員となったのである。

(続)

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