毎朝、鳥のさえずりで目を覚ます。すでに働き始めている人々がバイクや自転車で湖畔を走り抜ける。昨日は、以前、読売新聞広州支局の助手をしていた女性が夫と1歳の男の子を連れて中秋節のあいさつに来てくれた。広州の月餅も手土産に。一つ食べただけで一食分に相当するぐらいのボリュームがある。彼女たちも豊かな自然を十分楽しんでくれた。ワンダーフォーゲルのサークルで知り合った彼女たち若夫婦は、大学の背後にそびえる山を見上げ、「是非、登ってみたい!」と叫んだ。子どもをおんぶしてでも行きそうな気配だ。
今の季節はしばしばにわか雨がある。バケツをひっくり返したような雨の後、まぶしい青空が広がる。女子学生は雨と日よけを兼ねた傘が必携だ。雨上がりは足元にとてつもなく大きなカタツムリが動いていたりする。海辺で見かけるような巻貝を背負っている、見たこともないカタツムリだ。日が暮れると、カエルが堂々と道中を飛び回る。暗闇を歩くのにも、小さな生命に気を付けなければならない。
数日前、このブログで汕頭は潮州文化圏に属すると書いたが、汕頭そのものが潮州市の一部だった。清朝が英仏に攻められたアロー号事件で、1858年、台湾などとともに開港を迫られたのが海に面した潮州(現在の汕頭)である。改革開放後は深圳やアモイと並ぶ経済特区に選ばれたが、経済発展は不調に終わり、広東省の主要都市から大きく水を開けられることとなった。自然環境と経済は無関係ではないのだ。
改革開放政策がスタートして間もない1981年、大学の創設・運営資金を提供した李嘉誠は潮州出身だ。彼の故郷への思いが汕頭大学を支えている。日本軍が潮州を侵攻する戦火を逃れるように、1939年、李嘉誠(当時11歳)の一家が香港に逃れた。この歴史を思えば、彼がかつて戦火に見舞われた故郷に創設した大学に今、初の日本人教授が迎えられていることの深い意味も、自覚せずにはいられない。小さな大学の中で、さまざまな時間と空間が交錯する。
当地の言葉は、潮汕語とも呼ばれる。広州や香港で話されれる広東語とは異なる。広州人が聞いても聞き取れないという。言葉は人を結ぶ橋であり、文化の核である。そして広東文化圏とは区別され潮州文化圏を形成する。団結心が強く、独立心も強いとされる。ただ学内には汕頭を中心に広東各地の学生が集まっているので、ふだんの会話は共通語が用いられている。
学生は一学年1700人ほどで、クラスは30人前後。学生対教員の割合が12対1に保たれ、師弟関係が密なことでも知られる。ほぼ全員が寄宿生で3~6人で部屋を共有するが、あえて学年や学部の異なる学生を一緒に住まわせ、多様な人間関係を築くよう配慮がされている。4年間、ベッドの上下で苦楽を共にした「室友」が一生の友達となる。
インターネット時代で人間同士の直接的な接触が希薄になる中、寄宿舎生活は人間関係を築く貴重な学習の場を提供してくれる。人の目を見ながら、表情を感じながら話し、聞く原初的な交わりの尊さを知る体験は、メディア論からも重要である。昨今、記者が電話やインターネットに安易に頼り、底の浅い金太郎あめのような記事を書き、時には十分な確認を怠って誤報を生むのも、基本にはこうした人間教育の実践が欠けているからにほかならない。
国際関係に対する認識もしかりである。メディアに報じられる政治家の対外的な宣伝文句ばかりがフレームアップされ、国家間で現に起きている等身大の交流が見失われている現状は嘆かわしい。歴史、文化を踏まえた他者に対する幅広い把握がなければ、浅薄な理解しか生まれない。日本のメディアが気にしているのは「他者」ではなく、「他社」への過剰な横並び意識にほかならない。
国際報道にかかわる記者は、政治や経済に限定するとパターン化されているので、記事が書きやすいからそうしているだけである。自国の大衆に受け入れられやすいステレオタイプの外国観にあてはめ、過去記事のスクラップを傍らに置き、あたかもマニュアル通りに作られるファーストフードのように原稿が出来上がる。困難な努力を要せず、不必要な責任を負うこともない。記者や編集者が目の皿のようにして注意するのは原稿の内容ではなく、誤字脱字、「てにをは」のたぐいでしかない。だが血の通わない、相手国の人々に対する同情や共感、想像力を書いた記事はしょせん、狭い閉鎖空間でしか受け入れられない。小さな孤島でのみ流通する、普遍性を書いた国際ニュースがこうして量産される。
私が月刊誌『Will』に連載を始めたコラム「東風メール便」の次回号には、次のような一文を送った。
中南海の政治闘争だけでこの国が成り立っているのではない。中央の統計で公表される平均値はそれだけでは何も物語らない。現地にほとんど足を運ばず、香港を中心とする外電に寄りかかりながら堂々と「中国は・・・」と語る、日本のいわゆる“中国ウオッチャー”が話すことを鵜呑みにしてはいけない。
「事実を重んじるコラムを書いてほしい」という立林編集長の求めに共感し、寄稿を始めたコラムである。とかく「反中・嫌中」の保守的論調が際立つ雑誌だが、独立記者は媒体を選ばず、「主義」ではなく「事実」にこだわればよい。人との接触を土台にした価値ある文字を届け続ける。「客観報道」の隠れ蓑から脱し、「健全な主観」を批判に晒すことを選びたい。
今の季節はしばしばにわか雨がある。バケツをひっくり返したような雨の後、まぶしい青空が広がる。女子学生は雨と日よけを兼ねた傘が必携だ。雨上がりは足元にとてつもなく大きなカタツムリが動いていたりする。海辺で見かけるような巻貝を背負っている、見たこともないカタツムリだ。日が暮れると、カエルが堂々と道中を飛び回る。暗闇を歩くのにも、小さな生命に気を付けなければならない。
数日前、このブログで汕頭は潮州文化圏に属すると書いたが、汕頭そのものが潮州市の一部だった。清朝が英仏に攻められたアロー号事件で、1858年、台湾などとともに開港を迫られたのが海に面した潮州(現在の汕頭)である。改革開放後は深圳やアモイと並ぶ経済特区に選ばれたが、経済発展は不調に終わり、広東省の主要都市から大きく水を開けられることとなった。自然環境と経済は無関係ではないのだ。
改革開放政策がスタートして間もない1981年、大学の創設・運営資金を提供した李嘉誠は潮州出身だ。彼の故郷への思いが汕頭大学を支えている。日本軍が潮州を侵攻する戦火を逃れるように、1939年、李嘉誠(当時11歳)の一家が香港に逃れた。この歴史を思えば、彼がかつて戦火に見舞われた故郷に創設した大学に今、初の日本人教授が迎えられていることの深い意味も、自覚せずにはいられない。小さな大学の中で、さまざまな時間と空間が交錯する。
当地の言葉は、潮汕語とも呼ばれる。広州や香港で話されれる広東語とは異なる。広州人が聞いても聞き取れないという。言葉は人を結ぶ橋であり、文化の核である。そして広東文化圏とは区別され潮州文化圏を形成する。団結心が強く、独立心も強いとされる。ただ学内には汕頭を中心に広東各地の学生が集まっているので、ふだんの会話は共通語が用いられている。
学生は一学年1700人ほどで、クラスは30人前後。学生対教員の割合が12対1に保たれ、師弟関係が密なことでも知られる。ほぼ全員が寄宿生で3~6人で部屋を共有するが、あえて学年や学部の異なる学生を一緒に住まわせ、多様な人間関係を築くよう配慮がされている。4年間、ベッドの上下で苦楽を共にした「室友」が一生の友達となる。
インターネット時代で人間同士の直接的な接触が希薄になる中、寄宿舎生活は人間関係を築く貴重な学習の場を提供してくれる。人の目を見ながら、表情を感じながら話し、聞く原初的な交わりの尊さを知る体験は、メディア論からも重要である。昨今、記者が電話やインターネットに安易に頼り、底の浅い金太郎あめのような記事を書き、時には十分な確認を怠って誤報を生むのも、基本にはこうした人間教育の実践が欠けているからにほかならない。
国際関係に対する認識もしかりである。メディアに報じられる政治家の対外的な宣伝文句ばかりがフレームアップされ、国家間で現に起きている等身大の交流が見失われている現状は嘆かわしい。歴史、文化を踏まえた他者に対する幅広い把握がなければ、浅薄な理解しか生まれない。日本のメディアが気にしているのは「他者」ではなく、「他社」への過剰な横並び意識にほかならない。
国際報道にかかわる記者は、政治や経済に限定するとパターン化されているので、記事が書きやすいからそうしているだけである。自国の大衆に受け入れられやすいステレオタイプの外国観にあてはめ、過去記事のスクラップを傍らに置き、あたかもマニュアル通りに作られるファーストフードのように原稿が出来上がる。困難な努力を要せず、不必要な責任を負うこともない。記者や編集者が目の皿のようにして注意するのは原稿の内容ではなく、誤字脱字、「てにをは」のたぐいでしかない。だが血の通わない、相手国の人々に対する同情や共感、想像力を書いた記事はしょせん、狭い閉鎖空間でしか受け入れられない。小さな孤島でのみ流通する、普遍性を書いた国際ニュースがこうして量産される。
私が月刊誌『Will』に連載を始めたコラム「東風メール便」の次回号には、次のような一文を送った。
中南海の政治闘争だけでこの国が成り立っているのではない。中央の統計で公表される平均値はそれだけでは何も物語らない。現地にほとんど足を運ばず、香港を中心とする外電に寄りかかりながら堂々と「中国は・・・」と語る、日本のいわゆる“中国ウオッチャー”が話すことを鵜呑みにしてはいけない。
「事実を重んじるコラムを書いてほしい」という立林編集長の求めに共感し、寄稿を始めたコラムである。とかく「反中・嫌中」の保守的論調が際立つ雑誌だが、独立記者は媒体を選ばず、「主義」ではなく「事実」にこだわればよい。人との接触を土台にした価値ある文字を届け続ける。「客観報道」の隠れ蓑から脱し、「健全な主観」を批判に晒すことを選びたい。
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