ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

Ross手術の再手術

2007年08月30日 | 病院
今日の症例は再々手術の若年男性だった。

症例は15年前にRoss手術を施行され、central AR出現のため2年前にTirone E. Davidのreimplantation を施行される。今回、ARとTRのためre-redoとなった。

S教授が執刀し、慎重に癒着剥離が進む。心膜はほぼ閉じられているが強固な癒着が多く、Cannulation部位(2本脱血)と上行Aoを確保するのに2時間以上要した。出血はない。Prosthesisは全周性に強固な線維組織で覆われていたが、prosthesisそのものはsoftだ。

ようやくcross clamping。送血はFAから。心筋保護はretroのみ。A弁尖に2カ所の穿孔を認め、これが主因。Autograftのannulus(Davidで補強されている)に通常の方法でhorizontal mattress sutureをかけ、23mmの機械弁で置換された。TRは3D ring 32mmで形成。一端運針が始まれば後はスムーズだ。術前からlow EFであった。CPBの離脱には30分以上要したが、特に困難なく手術は終了した。

さて、自分には疑問が残る。今回のARの原因のperforationは何によるものだろうか?

前回の手術直後に、trivial ARは残存していたという。annulus dilatationもあるが、今回の主因はperforation だ。Degenerativeが原因なのか?
しかしそれ以外の弁組織はほぼ正常に見えた。

前回の手術で技術的ミスがあったのか?
Rossを手がける別のS教授が執刀されており、その可能性は低いはずだが。

Ross15年目で自然経過だとイタリア人麻酔科医は言っているが、そうでもないように思える。Pulmonary homograftもsoftで正常に機能しているし、今回のTRは別のものだ。

しばらく原因を追求してみる。
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世界遺産 セメリンク鉄道

2007年08月27日 | ウィーン
ウィーンから南西へ急行電車で1時間半、1000mから2000m級の山々の間を通り抜けるセメリンク鉄道に乗ってみる。

難工事の末1854年に完成したこの鉄道は、美しい山々の中を岩石などの自然素材を主材料として橋やトンネルが建設された。自然と調和した鉄道と評価され1998年にユネスコの世界遺産に鉄道として登録されている。その鉄道を見に行く。


ウィーンでSemmeringまでの切符を買うと、往復運賃は30ユーロ。急行電車は2等車でも座席は広い。ブドウ畑が広がる景色が多い。乗り換えも多く、子どもも退屈していないようだ。車内は比較的空いている。

我々はPayerhach駅も乗り換えたので、「さあ、これからだ」という心の準備が出来たが、セメリンク鉄道はOBB(国鉄)のある区間に過ぎず、場合によっては乗り換えなどもなくどこからがそうなのか気づかないかもしれない。

山々を見ながらSemmering駅に到着。ほとんどの乗客はここで下車した。駅にはInformation兼資料館が併設されており、観光客に情報を提供してくれる。山中であるが英語も通じる。



乗車中は、どこが有名な橋なのか、分からないまま通りすぎてしまった。従って、多くの人はここから線路沿いのハイキングコースを通りながら、美しい石橋などを散策するようだ。ただ、尋ねてみるとベビーカーではその道は困難だと。やむ終えず我々はSemmering駅周辺の散策コースを歩く。




道は整備され、標高900m前後の緑の多いコースだが、時折急な坂道もあり、ベビーカーでの散策はお勧め出来ない。かなり体力が必要だと思う。お店など何もなく、途中カフェで休むことも出来ない。ヘトヘトになり2時間程歩き再び駅に戻ってきた。体は疲れているが、まだ納得できない。


お目当ての、ガイドブックやパンフレットなどに掲載されている有名はツインアーチの橋(カルテリンネ橋)をまだ見ていないからだ。再び駅のInformationで尋ねる。子連れで歩けないが、車で行くことは可能かと?


親切なご年配の方が綺麗な英語で対応してくれた。タクシーで行けると。親切なタクシー運転手まで紹介して頂いた。橋を見たい、鉄道が通るところを写真に撮りたいと交渉してみると、あっさりOK。15から20ユーロ程度で良いと。

ご婦人の運転手で英語が堪能。最新型のベンツで快適に山道を越えていく。先ほどベビーカーを押しながら苦労した坂もあっという間に通り過ぎた。10分ほどで橋の袂に到着。途中の山道はかなり勾配があった。遊歩道と車道は全く異なるが、やはりベビーカーでは無理であっただろうと再確認する。

タクシーを降り、橋の周囲から写真を撮る。近すぎて全景がおさまらないため、前後と歩く。すると、なんと蒸気機関車が黒い煙をモクモク残しながら通過した。時刻表上電車は1時間に2本(上下1本ずつ)しか通過しないが、貨物電車など意外と多くの電車が通過していくことも分かった。




待って頂いていたタクシーに乗り、最寄り駅まで乗せてもらう。わがままに付き合ってもらったが18ユーロだった。帰路はウィーンまで乗り換えなしだった。



疲れた我々はウトウトしていたが、彼はおもちゃで遊んでいた。

もし石橋が見たいだけならば、車で行った方が簡単かもしれない。
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コウノトリの傍、夜中のメリーゴーランド

2007年08月25日 | ウィーン
移動式遊園地を各地でたまに見かける。

おそらく普通の広場などに、何かイベントがあると移動式遊園地が設置されるのだろう。フランスのボルドーでも、スペインのバルセロナでも、東ヨーロッパ諸国でもそれを見たことがある。


7月の下旬にオーストリアの東に位置するノイジートラー湖に野外オペラを鑑賞しに出かけたことを思い出した。不運にも悪天候で雨の中のオペラであったが、その帰り道に隣町のルストに立ち寄った。ルストはコウノトリでも有名な町だ。

車2分で通過してしまうような小さな町で夜10時にもかかわらず、町の広場は多くの観光客などで賑わっている。その広場を囲む家々の屋根の煙突の上にはコウノトリの巣がある。夜にもかかわらず、数羽を確認することができる。コウノトリは何処か神秘的な不思議な鳥だと思っていた。皇太子様が「コウノトリ」といったからだろうか。自分は初めて本物を見た。




ところで、この広場にも移動式メリーゴーランドがあった。周囲はロック演奏がされたりワインが振る舞われたりと賑わっているが、メリーゴーランドには誰も乗客がいなく、動いていない。



明るい電気で飾られたメリーゴーランドに息子は一人興奮。そこで家内と彼がチケットを購入し、乗ることになった。一回2ユーロ。

メリーゴーランドは二人だけを乗せて音楽と共にグルグル回り出す。
まるで貸し切りだ。贅沢な遊びだと思う。
バルセロナでもそうだった。たとえ乗客数が何人であろうと、乗る人がいればその時点で運転してくれるのがヨーロッパ風なのか。

メリーゴーランドが回っていることに周囲の人が気づき、ワイン片手に集まってくる。終了する頃には人だかりとなっていた。家内は少し恥ずかしそうだ。息子はもっと乗りたいと言っている。

普段は静かな町だと思うが、夜中まで騒々しい。コウノトリへの影響が気になってしまう。
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ワイン街道

2007年08月25日 | 旅行
ウィーンから南下、Grazへ行く計画を立てる。今回はレンタカーで行く。

ウィーンからは200km程離れている国内第2の都市だ。折角そこまで行くのだから、もう少し南へ下りスロヴェニア国境近くに位置する南シュタイヤマルク・ワイン街道も魅力的なエクスカーションとなる。

真夏の日曜日の朝ウィーンを出発。渋滞なく高速道路へ入る。標識も分かりやすい。



途中、高速道路上の休憩場所に寄る。どこに行っても必ずと言っていいほど、子ども向けの公園が整備されているのは嬉しい。子連れ家族の長時間ドライブには、子どものガス抜きは必要不可欠だ。この点はよく考えられている。




約3時間で国境手前まで走り高速を降りると、すぐに南シュタイヤマルク・ワイン街道に入った。道は細く山道で勾配のあるカーブが多くなり、どんどん山の中に入っていく。周りは斜面を利用したブドウ畑が広がってきた。視界が開けた場所も多く、窓を開けて運転するのも心地よい。ワイン街道をサイクリングしているグループにもすれ違う。



山道に入って間もなく、たまたま素敵なワインレストランに出会う。そこでランチ。道路は狭く周りにワイン畑と山しかない、かなりわかりにくい場所にあるにもかかわらず、ほぼ満席だった。ワインと料理の質でその理由が分かった。目前にワイン畑が広がる素晴らしいロケーションと美味しい食事だが、価格はウィーンのそれより安いのだ。




Eibiswaldまで行く途中で、予定であったが、途中工事のため閉鎖された区間があり、迂回しても細い山道から抜け出せない。ナビゲーションなしでは絶対に迷子になるか、山深く遭難してしまうのではないかと思うくらい誰もいないカーブと傾斜の強い山道だ。景色はブドウ畑からリンゴ畑に変わっている。Eibiswaldに向かうのは中止し、Graz方面へ戻る。

Grazに到着。中心部には観光客が多く、何故か皆アイスを食べながら歩いている。我々もケーブルカーで城山の展望台に上がり、市内を一望する。



旧市街はユネスコの世界遺産に登録されているという。おそらくそれに一致した中心部付近に茶色の屋根の家々を確認できる。

夜7時にGrazを経ち9時にはウィーンに戻ってきた。500km以上走行したが、高速道路はわかりやすく運転しやすかった。
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海外で日本食

2007年08月24日 | ウィーン
ウィーンに来る前は、食文化の違いで1年後には体重が増加すると予測していた。こちらに来て1年余り。。。体重は全く変わっていない。

それまではオーストリア料理がどのようなものか知らず、欧米の食事はどこも肉が中心でもの凄い量が一人分として出されると思っていた。典型的なアメリカンレストランの食事を思い描いていたのだ。

実際のところ、確かに魚介類は乏しいが、それほど毎日肉~、肉という感じではないようだ。味付けも若干塩分が多いと感じるが、口に合わないというほどではない。唯一気になる点は、食品目が少ないことだ。日本でランチを頼めば、ご飯にみそ汁、メインにサラダなどで構成され、その中に十数種の野菜や海産物、肉などの食品が含まれていると思う。一方、ウィーンでランチに「ウィーナーシュニツッル」を選ぶとすると、カツにレモン、ジャガイモと3品目だけだ。これは極端な例かもしれないが、料理を構成している食品の数が少ないと感じてしまうことが多い。一日30品目を摂取することが理想的な栄養バランスと日本で教えられてきたので、これには当初戸惑いを感じた。

それに欧米人は体格が大きいから、もの凄い量を食べると勝手に想像していた。
しかしランチを見ている限り、そうでもないようだ。メンサの食事は量が少ないと感じることも多いのに、90kg前後の人でも満足しているようなのだ。ホテルの朝食ビュッフェでも、周りの欧州人の家族より体格の小さいわが家の方が多く食べていることがよくある。レストランのランチでも量が多すぎて残すようなことは一度もなかった。体格が大きいだけに、食事も多くとるということではないわけか。

ここで、一つの疑問が思い浮かぶ。
普通のランチで満足出来る生活ならば、それほど量も多くないので極端な肥満になるとは考えにくい。しかし、ウィーン市内を歩いていると過度の肥満体型の人とすれ違うことが多い。彼らの食生活はどんなものなのだろうか?

オーストリア料理も美味しいが、子どものいるわが家は基本的に手料理だ。ご飯、スープ、主菜に副菜を日本の料理雑誌などのレシピに従い家内が調理している。これは日本にいたときより、むしろ日本らしい食事かもしれない。

かつてはそれほど家でご飯を食べたことはなかったが、今は夕食時にお茶碗2~3杯は食べている。食は太くなった。ありがたいことにそれでも体重は同じか、やや減少している日もある。

日本では外食中心だったのが、こちらに来て毎日家族で食卓を囲み食事をするようになったことが、良い影響を与えているのだろう。予測と異なり、東京にいたときよりも健康的な食生活を送っている。この経験から、健康的な食生活には、住む場所や国はそれほど重要ではなく、時間にゆとりがあり家庭で食事をとる環境が重要ということになるのか。家内の手料理のお陰で、家族そろって健康だ。
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行動日記

2007年08月17日 | ウィーン
「日記の魔力」(俵 三郎著、サンマーク出版、2004年)を読んだ。日記を書く習慣が人生を劇的に変えるという内容だ。この本によると日記は自分が何をしたかを刻銘に記録すればいいのという。感想などは必要ないと。

このブログは当初、自分が何をしたかを忘れぬために書くつもりで始めたが、読み返してみると感想が多いことに自分でも驚く。完全に俵氏の意図を理解していない部分もあるが、この本を読んで感銘を受けた読者として、個人的に毎日の行動日記を書こうと思う。

昨日は国民の休日だった。朝から家族で近所のプールへ行く。10時過ぎにはかなりの人出で賑わっていた。息子はプールで遊び、隣接した公園で遊び、喜んでいる。自分は成人用プールに1.2分入っただけで、あとはもっぱら彼の見張り役だった。はしゃいだ彼も午後3時には昼寝。僕らも家に帰ってのんびりした後、夜はキンダーオペラへ。会場は子連れの家族で満席だった。小澤征爾の作品で大人も楽しめる内容だった。

本日は2週間ぶりにAKHへ。朝CRは教授が4人しかいなかった。のこりの10人強の教授陣は夏休み中だ。自分のボスと一緒に午前はAVR、午後はCABG+AVRをこなす。LITA採取を任された。女性の患者さんであったがLITAがネットリした感じで時間がかかった。手術の合間ももたもたしていたので昼食抜きだった。体はきついが、達成感はある。6時には帰宅し息子と電車で遊ぶ。
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スイス旅行:最終日

2007年08月16日 | 旅行
8日目。今回の旅行の最終日だ。今日も晴天。朝5時半に起床し、朝日を観にホテル裏の展望台へ。まだ寒く、息子と部屋で留守番をしようかと思ったが、彼も起きてしまったので、家族皆で出かけた。展望台では宿泊客だけでなく、朝日を観に始発列車で来た登山客が三脚を立てて陣取っていた。

                     

快晴で素晴らしい景色が広がるが、さすがに寒い。最高に景色に加え、早朝のため普段は観光客で混雑している駅前も人がいなく、写真を撮るには好条件だ。低酸素の中、息を切らしながらスポットを求めて歩いた。

7時になるとレストランがオープンする。開店と同時に皆、なだれ込んでいった。やはり寒かったのだろう。コーヒーメーカーの前では長蛇の列となる。

               

               
               (グレンツ氷河)


10時を過ぎ我々もチェックアウトした。下山時のゴルナグラード鉄道の景色も最高であったことも記したい。空港へ向かう途中、ベルンで途中下車。街は綺麗で店が多いのに緑も多く、センスがよく活気に満ちあふれている印象だった。

今回のスイス旅行の感想を総括してみよう。やはり山の天気はその日にならないと分からない。晴天に恵まれれば感動的な絶景に巡り会える。我々は3日間雨で観光が出来なかったが、5日間の晴天はそれを補って有り余るほどの感動を与えてくれた。

どこに行っても日本人観光客の多さには驚いた。あまりの多さに国内から来ているスイス人観光客からも質問された。何故、日本から遙々来るのかと?日本にも山は沢山あるでしょうって。

とっさに日本人は自然が好きだからと答えた。個人的には、日本の上高地も素敵だと思ったが、姉妹都市のグリデルワルトとはどこか異なる気がする。何かスケール感が。富士山は非常にハンサムで象徴的な山だと思うが、それに対しマッターホルンの垂直に尖った岩はより個性的で神秘的だと思う。日本の自然も素晴らしいが、スイスを訪れる価値はあると思う。同じ山岳観光地でも魅力のベクトルが異なると思う。


スイス旅行の目的はいろいろあると思うが、もし時間や体力などにゆとりがあれば、個人的にはゆっくりハイキングで自然を楽しむのが最高の贅沢ではないかと思った。
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スイス旅行:ツェルマットからゴルナーグラートへ ***絶景と流れ星***

2007年08月15日 | 旅行
7日目。ツェルマットのチェックアウトの日だ。天候が許せば延泊も考えている。朝5時に起床して万全の体制を取った。なんどマッターホルンが見えた!ホテルの窓からの景色だが感動した。季節外れの前日の雪が最高の景色を演出している。しかし数分後には低い雲に隠された。

村の上は晴れているだろうと賭け、直ちに絶景山岳ホテルを予約し、待ちに待ったゴルナーグラートへ直行した。

村は曇っていたが、登山鉄道が高度を上げ、雲の上に上がる。周囲のガスが消えると車内からは期せずして拍手が沸き起こった。Wonderful! 素晴らしい!これがマッターホルンだ。



ゴルナーグラート(3089m)へ到着。低い雲の上には晴天が広がり、積雪が眩しく輝く絶景が広がる。これが本当の絶景だろう。自分はこれ以上の景色を知らない。

またゴルナーグラートの山岳ホテルは予想以上に素晴らしかった。部屋は綺麗かつ快適で標高3000mにいるとは思えない程だが、空気は薄い。荷物を運び、息子をダッコするとすぐに息が切れる。動悸がする。

(ホテルの部屋から)

暫しの休憩の後、散策へ。白く眩しく輝く雪に覆われた4000m級の山々と、平地では体験できない濃青色の空、澄んだ空気は素晴らしいの一言に尽きる。強烈な紫外線は有毒とも思えるが、息子もSPF50を繰り返し塗り、紫外線をブロックする。無風、快晴で寒くない。気温は低いが日差しが強く暑い位だ。裸で記念写真をとっている若者もいた。



夕食後、雲から顔を出したマッターホルンに対面する。 日が沈んだ後の山々は刻々と表情を変える。幻想的だ。



夜の星空にも、感動する。さすが天文台が併設された山頂ホテルだ。ネオンや街の灯りとは無縁、空気が澄んでいる。星の光に透明感がある。

子供のころ銀河や宇宙に感心があり、星に詳しかった。プラネタリウムも好きだった。今自分が観ている星空をなんと表現すればいいだろうか。プラネタリウムの様、無数の星空?それでは不十分だ。肉眼で無数の星、銀河系の中心部、天の川も見える。南半球でしか観られない恒星も見える。星が澄んで輝く。流れ星をこれ程観たことがあるだろうか。流れ星が尾を引く。澄み切った夜空は流星が燃え尽きるまで観察できる。子供に戻り、願い事もしてみた。それも可能だ。夜12時を過ぎ、屋外は氷点下だが、僕らは星を観に出かけた。

標高3000mに位置する山岳ホテルの環境は過酷な気象条件に左右される。外は過酷な自然環境でもホテル内では安心してくつろげるは嬉しい。ここに滞在するかどうかは、天候次第で賭けでもあるが何もかも含めて大自然を体験できる貴重な場所だと思う。
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スイス旅行:ツェルマットへ

2007年08月15日 | 旅行
4日目。とうとう雨。天気予報通りだ。予報ではこの先3日間雨だそうだ。それを聞いて行き先を変更しようかとも考えたが、結局予定通りツェルマットへ行くことにした。

途中の急行電車の車内は今日もガラガラ。乗り換えもストレスはない。家内の希望もあって、新型車両の氷河特急にも乗車。窓の大きく綺麗な電車に息子も興奮している。案内があると皆カメラを片手に左に右に車内を行き来している。座席は広いが誰も座っていないのが面白い。

雨の中、Welcome Zermattに到着。このホテルの最上階に宿泊。キッチンはないのでレストランへ。ホテル脇に有名店があると聞き、早速チーズフォンデュとフォンデュ・シノワーズを頂く。

5日目。天気予報通り今日も雲でマッターホルンは見えない。雨はまだ降っていなかったのでケーブルカーでスネガ゛(2288m)へ行く。3分で到着したが、やはり展望台も曇り。ライゼー湖の畔には公園があり、息子は他の子と混ざって遊んでいる。一瞬雲が開き、マッターホルンが顔を見せたが、それも数秒。やがて厚い雲に覆われた。気温も下がり、駅レストランへ避難した。

スイスの特産ソーセージを焼いて、デミグラスソースをかけた料理、シューブリックを頂く。次第に雨が激しく降り出し、皆ここへ避難してきた。この展望台レストランはあっという間に満席となった。
午後は雨で、ホテルのジャグジーで休息を取ることにした。

6日目。今日も雨。ツェルマットは寒くなんと朝起きたら雪が積もっていた。気温は3度。周辺の山は皆、真っ白。8月なのに積雪とは。ニュースではスイス全体が大雨で洪水による被害が出ているという。とても山には危険で登れない。ハイキングも不可能だそうだ。
そこで、今日は山岳博物館と町中を散歩しながら過ごす。ここで3泊目だが、まだマッターホルンを観ていない。このままでは悔いが残る。早く就寝して明日に備えた。

続く。
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スイス旅行:フィルストからバッハアルプゼーへ --ベビーカーでハイキング--

2007年08月15日 | 旅行
3日目。予想外に本日も晴天。このコースは初心者向けかつ絵画的なハイキングコースの一つとされ、友人も絶賛していた。今日は昨日と異なり息子をベビーカーに乗せてでハイキングにトライすることにした。

コース前半の急な坂が辛いがその後は比較的なだらかで平坦部分もある。とは言っても砂利道では、ベビーカーのタイヤ走行はスムーズではない。所々担ぎながら歩いた。
 


高原の爽やかな涼しい風がながれる。空気が美味しい。草原には花が咲き、牛たちにも出迎えられ、晴天のもとでのハイキングは爽快だった。彼はすぐに寝ていたが、いい夢をみてくれただろう。



片道1時間のコースであったが、2時間近く要したかもしれない。最後は彼も目を覚まし歩きながら、Bachalpseeに到着。美しいアルプスの山々が青色の湖面に反射し、ハイカー達を魅了している。時々雲が出てきたが、それが日差しを遮りほどよく涼しい。持参したサンドイッチがまた旨い。     



 

帰り道は彼も景色や牛たちを楽しんだようだ。往復したら夕方になっていた。フィルスト駅にある展望レストランで休憩。スイスはどこに行っても日本人観光客が多いが、このレストランもまさにそう。子連れの日本人家族が何家族もいた。まるで日本に帰国したかのような懐かしい錯覚に陥る。

雲行きは怪しくなったが雨は降らず、今日もホテルのテラスでアイガーを眺めながら食事とした。スイスの肉は旨い。
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スイス旅行:ユングフラウ

2007年08月15日 | 旅行
2日目は、まずグリンデルワルト(標高1034m)からメンリッヘェン(標高2239m)へ鉄道とゴンドラで上がり、そこからクライネシャイデック(標高2061m)までハイキングだ。ガイドによると1時間半の初心者コースとなっている。2歳の息子を歩かせる(つまり実質的にはダッコ)か、ベビーカーに乗せるか、悩んだ末ベビーカーはホテルに置いて出かけた。

今日も雲一つない晴天に恵まれた。メンリッヘェンでゴンドラを下りると牛たちが出迎えてくれる。息子は大喜び。しばし牛と記念撮影した後、クライネシャイデックへ向けて出発。緑の草原、山の針葉樹林、黒い絶壁の岩肌、谷を流れる氷河、そして山頂の眩しく反射する雪と透き通った空をなんと表現すれば良いだろうか。爽快かつ雄大だ。



ハイキングコースは整備され歩きやすいが、12kgの息子をダッコして歩くと、多少異なる。何回も休憩を要した。昼寝が習慣の彼は眠いらしく機嫌も斜めで、途中に唯一あった山小屋で昼寝。さらに公園で砂遊びし、1時間のハイキング予定が4時間かかってクライネシャイデックへ到着した。余談だが、どこでも、アルプスの高地にも、子供の遊び場があるのは家族旅行者に良く配慮されていると思う。



予定時間は大幅にオーバーして午後になったが、幸運にもまだ晴天が続いている。思い切ってユングフラウヨッホを目指す。1895年によくこんな鉄道を造ったものだ。標高3000mを超えると酸素が薄い。駅で出会った日本人家族はお子さんが高山病となりすぐに山を降りたと言っていた。多少の不安はあったが、無事に標高3454mのユングフラウヨッホに到着。午後4時、気温3度、風は弱く晴天。多少興奮のためか、軽装でも日差しが強く寒さは感じない。360度の大パノラマ。
目前には巨大なアレッチ氷河も流れている。強烈な紫外線の中、何度も記念撮影。


 
駅裏の氷河で遊んで息子は疲れて眠っていたが、帰りの列車からのアイガーの眺めも迫力があり素晴らしいものだった。
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スイス --幼児を連れてのスイス旅行を計画--

2007年08月14日 | 旅行
8月初旬にスイス旅行に出発した。

毎度であるが、事前の計画不足で旅行直前はいつも慌ただしくなる。特にスイスを楽しむには、どの季節にどこの地方に重点を置き宿泊するか、どの路線のどの区間の景色が良いのかなど、情報収集が重要となる。これは個人旅行の楽しみでもあるが、大変な作業だ。わが家は家内がそれを得意としている。今回は8日間で、主な宿泊地は2カ所とした。息子も2歳になり相変わらず活発なので、標高3000m級の山も可能と判断して計画した。

ウィーンから1時間20分でチューリッヒに到着。予算も厳しいが熟考の末、鉄道はスイスカードの1等を購入し、ベルン経由でグリンデルワルトへ。荷物を持っての乗り換えは大変と聞いていたが、全く問題なし。特に1等車は席が広い上に乗客は少なく、息子は車内を走り回っていた。ストレスなく4時間程で到着し快適な旅の始まりとなった。

途中のツゥーン湖は綺麗だったが、グリンデルワルトの駅前も標高3970mのアイガー北壁を目前にしてなかなかのものだ。

子供と毎食外食は辛いので、本格的なキッチンを備えたGrindelwalderhof(アパートホテル)に宿泊。60m2位はあるだろうか、かなり広い部屋で、かつ目前にアイガーが見える。

(部屋のテラスから)

情報紙とは異なることもあったが、個人的にはかなり気に入った。この日は夕方でも晴天なので、ゴンドラに乗りFirstへ。



ここは緑の草原と深緑の山、周囲には山頂に雪と氷河をもつ4000m級の山々、まさに絵画的なパノラマだった。

本日はハイキングをする時間はなくホテルへ戻り、テラスで表情を変えるアイガーを眺めながら夕食とした。

(日没時のアイガー北壁)

近くにスーパーもある。天候に恵まれればテラスでの食事は快適だ。特に小さい子どもがいる家族には絶対お勧めできる。
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