ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

実家に帰国

2008年01月31日 | Japan
とうとう日本に帰国。

新居の契約などが完了するまでの間、実家にお世話になった。
実家で過ごすのは本当に久しぶりだ。息子は「じいちゃん、ばあちゃん」と両親を呼び、毎日楽しそうにしている。その間に荷物の整理や住居、公共機関との契約を済まし東京への引っ越しに備えた。

帰国前はしばらく実家でのんびり出来るかと思っていたが、時差ぼけもあり、あっという間の1週間だった。予想以上に大変だ。




(留学前に実家に残した荷物とウィーンからのものをまとめて引っ越し)

国際引っ越しと国内引っ越しの連続による、めまぐるしい環境の変化が2歳の息子に与える影響を心配したが、実家のat homeな雰囲気のお陰で彼も自然に日本の生活に順応してくれるようだ。

いよいよ東京に戻る。


(新幹線の車内:日本の車窓を眺める息子、彼にはどう映るのだろうか)
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ドバイ旅行最終日: Stop over at Dubai from Austria to Japan

2008年01月28日 | 旅行
【ドバイ旅行最終日4日目】
最終日はのんびりサルジャで過ごした。
フライトは深夜2時だったが、夜7時頃、100kgの荷物と共にホテルから空港へ。
早々にチェックインを済ませ、巨大空港内にあるクラブラウンジへ。ウィーンの指導教授も世界中でここが一番と太鼓判のカード会社のクラブラウンジは、圧倒的なサービスで感動モノ。24時間営業のドバイ国際空港は深夜でも人で溢れ、椅子も足りないため通路で雑魚寝している人も多いが、ラウンジ内はゆとりがあり快適そのものだった。初めてカード会社の恩恵にあやかる。

再びエミレーツに乗り込み無事帰国となった。



ドバイの街は砂漠の中に突如現れる近代的な超高層ビル群が象徴的だが、一歩街を歩くとゴミゴミした商店街が大半で、国全体としてはまだ開発途上といった印象。開放的な政策により、仕事を求め国外から毎日何万人もの人が押し寄せていると。総人口に占める自国民は20%足らずで国民の多数は国外からの出稼ぎ動労者か移住者だという。アラブ諸国にとどまらずインド、東南アジア出身者も多いと。

数回タクシーに乗ったが誰一人ドバイ出身者はいなかった。ドバイでタクシー免許を取得するには最低3カ国語が必須であると。若いパキスタン出身のドライバーはここに来てから英語も勉強したと。生活に必要な英語、アラビア語などを皆話す。

たまたま目にした本日の地元新聞でも、”Tolerance is way of life in the UAE”としてこの国の特徴が大きく取り上げられていた。この記事によると、UAEは200近い国々から人々を受け入れている。多人種、多文化、多宗教が見事に平和的に共存し調和しており、それが我々の生き方であると。


(360度見渡す限り建設中の建造物:1年後には全てが完成すると)

タクシー運転手を見てもそれが現実で見事に成功しているのが実感できる。出稼ぎの彼らはUAEの開放政策に満足しているようだ。容易に入国出来、宗教上の対立や凶悪犯罪はない安全なこの国に人々が集まってきたのだ。わずか10年の変化で砂漠に高層ビル群が出来てしまったのだ。

日本は宗教的に中立で比較的安全な国だと思う。世界中の人々を受け入れるopen mindはいつ根付くのだろうか。ドバイの解放政策、気質とはほど遠い。国境、人種を超えても友人になれるし、その素晴らしさをいつ気づくのだろうか。
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Stop over at Dubai:(ドバイ旅行2);バージュ・アル・アラブに子連れサファリツアー

2008年01月26日 | 旅行
【ドバイ2日目:ビーチとスーク】
昨夜も時差のため朝5時頃就寝だったが、何とか起きホテルの朝食に間に合った。ハムとチーズが中心のヨーロッパホテルの朝食と比べると日本的というか、食種皿数が多く火の通った料理もあり、嬉しい。少し日本に近づいた気分だ。

タクシーでドバイの観光名所の一つ、7つ星ホテルのバージュ・アル・アラブを眺めるビーチへ。風は強いが1月なのに水は冷たくない。息子は大はしゃぎ。


(なんと321m、東京タワーとほぼ同じ高さのホテル。VIP用ヘリポートも見える。)



ついで大人も子どもでも楽しめそうなドバイ博物館を見学。さらに水上バスで移動し、テキスタイルスーク、スパイススーク、ゴールドスーク(市場)をそれぞれ散策。家内はあれこれ試着したり、値引き交渉を楽しんでいるようだ。

(これはスパイスマーケット)

(イラン製の軽石などを販売する何でも屋)

ここまではスムーズだったが、帰りのタクシーを拾うのに苦労した。渋滞でタクシー争奪戦となっていた。苦労してやっと空車を止めても、大渋滞の先にあるホテルまでは拒否される。ドバイのタクシーではとても無理だから、政府が運転するバスで隣街のサルジャまで行き、そこで地元のタクシーでホテルへ行けとアドバイスされる。なんとか政府バスの停留場まで乗せてもらい結局3時間要してホテルに戻った。子連れのため優先してバスに乗車できたが、一般の順番待ちではもっとかかっただろう。通常は10分程なのに。まだ洪水の影響が残っていたためだ。


【3日目:ついに砂漠へ】
今回のハイライト、サファリツアーの日だ。
定評のあるArabian adventureを予約していた。2歳半の子どもを連れているため、ハードな一般ツアーには参加せず、我が家族向けの貸し切りツアーをアレンジしてもらったのだ。

快適な車で郊外まで約1時間のドライブ。車窓の風景はどんどん砂漠らしくなっていく。目的地は国の保護地域で広大な砂漠がフェンスで隔てられている。Meeting pointでゲートを開けてもらい保護地域内部へ。


幼児向けにゆっくりマイルドにサファリドライブするとのことだったが、息子が大喜びするためドライバーも彼を喜ばせようと斜面を登ったり滑り降りたりとジェットコースターのようだった。

砂漠のど真ん中、小高い砂丘の上に停めてもらい記念撮影。



何処までも続く砂漠。不毛の大地だが美しい。
(風のため体感温度は低いが、冬の砂漠の日中気温は20度近く。ただ夜は相当寒い。)

次いでラクダ牧場を通り抜け、ラクダ乗りへ。息子が楽しみにしていたラクダ乗りだ。ラクダを目前に「ラクダ乗る、ラクダ乗る」と言って盛り上がっているが、2歳では小さすぎるとの理由で現地のスーパーバイザーに拒否されてしまった。「このために来たのだ!」と家内と二人で猛烈に抗議し、特別な自己責任の同意書にサインしてライド可能となった。


広大な砂漠を楽しむことが出来るサファリツアーは予想以上に価値のあるものだった。爽快感を残しながらドバイへ。


ドバイ中心部に戻り、建設が進む高層ビル街や、人工島にマンションなどの建設が進むパームドバイなどをタクシーで見学した。30kmほど運転してもらったが、タクシー料金は安い。

個人的にはこれが想像していたドバイの姿だ。砂漠と近代的高層ビルが同居するコントラストが面白い。

建設中の世界一を目指している高層ビル。なんと高さ800m。信じられない高さだ。

ドライバーによると160階建てで、シンガポールのビルと世界一を競っていると。来年完成予定。低層階はホテル。41階から100階までがオフィス、上層階は高級マンションだと。
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オーストリア出国: 中東ドバイへ

2008年01月24日 | 旅行
いよいよオーストリア出国の日だ。

前日は荷造りの合間に教授と会食したり、部屋のペンキ塗りをしたり、夜まで友人と会ったりと多少疲れはたまっていたが、最後までお世話になった方々と過ごせたのは幸せだった。

(留学当初からお世話になったセルビア出身の医学生:彼は数ヶ国語を流暢に話す。
立場上、僕の下手な英語に付き合わされた彼。でも実際はこちらが教育してもらったような感じでもある。)

当日朝、ペンキの臭う部屋で最後にセンメルサンドを食べ、タクシーで空港へ。100kgの荷物をなんとか一台のタクシーに収めた。

帰国の際、休息をかね中東のドバイにstop overすることにしていた。初めて利用したエミレーツ航空だが、これが良かった。数カ国の出身者から混成された客室乗務員は非常に親切で、かつ子どもへの配慮はこれまでで最高だ。

ドバイ空港は巨大で最新の空港だが、予想外の事態に遭遇する。ここ数日異常な大雨で全土に被害が出ているという。空港も例外ではなく、古棟部分では雨漏りが激しい。到着ロビーでは至る所に雨漏り対策の水受けバケツが置いてあるが、漏れが激しくすぐに一杯になっていた。

空港を出るのも大変。洪水のよる混乱で深夜2時にもかかわらずタクシー待ちは長蛇の列。一時間待ってようやくタクシーに乗り込んだ。

ホテルまでの幹線道路も至る所で寸断されていた。所々車道にも水が溢れ、徐行を余儀なくされる。道路脇に水没し乗り捨てられた車も目につく。
それでも改善したようで、日中は通常車で10分程度のところが、大雨による浸水のため6時間かかったという。今回の宿泊ホテルは正確に言うとドバイではなく、となりのサルジャだった。明日も状況が悪いから絶対にホテルから出ない方がいいと忠告された。特にサルジャとドバイ間の交通状況は最悪だと。


【ドバイ1日目】
深夜の到着と引っ越しの疲れをホテルのプールでのんびり過ごし癒そうかと思っていたが、状況はいささか異なっていた。
25度以上の気温を予想していたが、実際は20度以下で寒い。それでも地元の人は半袖サンダルスタイルで歩いているし、プールも営業しているがとても寒くて入れない。ホテルからドバイ中心部へ向かうシャトルバスも異常な渋滞のため運行中止となっていた。

仕方が無くホテル周囲を散策。目前の湖には観光用の小型ボートが何隻か停泊している。交渉し、30分50DHS(約1500円程度)で貸し切り、乗ってみた。




湖から見る湖岸はまた趣が異なりなかなかのもの。


歩いて地元のショップやスーパーを覗いてみた。高層ビルが建ち並び近代的で洗練された都市に見えるが、一歩裏道に入るとまだ建設途中といった感じで、歩道は整備されて無くまた商店もいわゆる中東、東南アジア系と言ったらよいのか、狭い店内に商品が溢れた感じのものであった。

ホテル内はルームサービスも充実しており快適だ。時差ぼけの我々にはちょうど良い休息になった。
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ウィーン医科大学心臓外科 留学終了

2008年01月14日 | ウィーン
あっという間に一年半の留学期間が終了した。
今週が最終週だった。病院での出来事など書きたいことが沢山あるが引っ越しの準備で時間が無いのが残念だ。どうしても書き留めておきたいことだけにする。

毎週水曜日に医局全体の朝カンファレンス勉強会がある。注目される教授が招聘され30分から1時間程の講演をすることが多い。EU各国から著名な教授を講演に招くこともあるし、国内他大学の有名教授が講演することもある重要なmeetingだ。

今週でウィーン医科大学心臓胸部外科での留学を終了する自分に、最後の水曜カンファレンスで一言挨拶したらと年末に言われた。貴重な時間を頂けることをありがたく思いYesと返事をした。そして前日、指導教授と医局幹事のW教授の計らいで一言挨拶のはずが、presentationすることに変わっていた。

当日は、肺移植や肺梗塞の治療で世界的に著名なKlepetko教授の講演とあって、普段より聴衆は多く、40人程のDrで満席となっていた。そんな中、教授に先立ち15分程のpresentationをした。

前日、手術終了後から深夜までその準備をしたが一晩でたいした内容も準備できず、また流暢な英語が話せるわけもない。いつもながらの吃り英語だった。なるべく大きな声で話すことだけを心がけたが。

内容は日本の心臓外科の特色と、成績を簡潔にまとめたもの、それに東京の紹介をほんの少し、最後に家族を紹介し、これまでのお礼を述べた。聴衆の反応を感じたのは最後に息子を写真で紹介した時だったので、全体的には教授陣には面白くない内容だったかと自分では思った。が、

辿々しい英語が何処か情緒を誘うのか、presentationが終わるとこれまでの朝カンファレンスで聞いたことのない程の大きな拍手が待っていた。
横で聞いていたKlepetko教授からは肩を叩かれた。相当力がはいっていたのか。


(左から Prof. Grimm M, 小生,Prof.Vögele-Kadletz M, Prof. Ehrlich M)

翌日もORで麻酔科Dr.や、廊下ですれ違う教授陣から「nice presentation!」 とお褒めの言葉を沢山頂いた。自分でそれほど良いとは思えないので、本当に皆さん優しいとしか言いようがない、ありがたい。
この機会を頂けたことにも感謝。


(これがAKHの全景:巨大な病院と医学研究施設。およそ20棟の建物からなる)


書き留めことは沢山あるが、なにせ引っ越し準備で忙しい。
息子もこの1週間あまり構ってあげられず、彼も楽しくないのかグズグズ駄々をこねる日が続いていた。日曜の今日、彼の気晴らしに最後の室内遊技場に連れて行った。

昨年から同じ場所で遊んでいるから、彼の成長が分かりやすい。
彼は先月から自分一人で大きな滑り台を登れるようになっていた。
自分の背丈の何倍もある滑り台を器用に登っている。それまではほぼ全介助して登っていたから、彼もやっと一人で登れるようになったかと思っていた。見ているだけでいいので、こっちはラクになったなあと。

背伸びしながら手を伸ばしてやっと届く吊革を掴み、足を大きく広げてやっと届く足台を頼りに登っていく姿に、感心していた。
登り切ると少し得意げにこちらを振り返る。



小学生低学年の子ども達も、2歳の彼が登るのに驚いているようだ。
大きな子どもが登るとエアー滑り台はかなり揺れる。面倒見の良い小学生は彼が落ちないように見てくれる。


(初対面のお兄さんが彼をかまってくれている)

彼は何回も登っては滑りを汗びっしょり元気に繰り返した。
背伸びしながらスイスイと登っていく姿に、オーストリア人のお父さから「息子さんは何歳なの?」と聞かれる。この日は3人の親からも聞かれた。周囲の親達も驚いていたようだ。

息子は自分より大きいお兄さんと遊ぶのが大好きだ。今日も相手をしてくれそうなお兄さんを自分から積極的に追いかけ、一緒に遊んでいる。負けずと登り、滑り、飛びはね。汗だくになり、本当に楽しいそうに遊んでいる。

去年はこの遊技場内の小さなジャングルジムの滑り台でさえ、一人では怖がっていた。一歩一歩手を取り、足を取りながら歩くのがやっとだったのに。
今は自分から体当たりして年上の子とたくましく遊ぶ姿をみていると、自然と熱いものがこみ上げてきた。


日本では何もしてやれなかった。
ここに来て彼と過ごす時間は圧倒的に増えたが、自分が何を教えかというと、何も教えていないような。しかし彼は確実に成長していた。

彼の目覚ましい成長と比べたら自分の心臓外科医としての成長は微々たるものではあるが、この留学は何らかのきっかけになっただろう。


明後日のフライトを前に明日、指導教授に家族全員でランチに招待されている。
家内のお陰で荷造りも何とか間に合いそうだ。

続きは帰国後に書き留めることにしよう。
忙しい日本でも家族と楽しみたいと思う。
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真冬の北欧へ: 年末のストックホルム旅行2

2008年01月02日 | 旅行
ストックホルム旅行3日目は、朝から意気込み市内観光へ。

曇ってはいるものの気温5度と、寒くはない。
まずは、ノーベル賞の授賞式が開催される市庁舎の英語ツアーに参加する。ブルーホールと呼ばれる晩餐会に使われる広間や、ダンスホールで有名な黄金の間を見学。


部屋も美しいが、時折窓から覗く湖がなんとも言えぬ北欧の美しさを垣間見せてくれる。

(庁舎中庭からも湖が見渡せる)

そこから15分程移動し、王宮へ。

衛兵の交替式を眺めつつ、王宮の間を見学。これまで見てきた王宮に比べ、彩りも銀にブルーなどが使われ、透き通った荘厳さだった。

ガムラスタンの狭い石畳をベビーカーを押しながら進み、体が冷えてきたところでランチ。家内はスウェーデンのミートボールを楽しみにしていたのだが、その店のは上品すぎて、ボリュームのあるIKEAの(20個入りの)ミートボールの方がずっと口に合うようだ。



(この海鮮シチューは絶品。北欧のシーフードは美味い)

ランチの後は島の端からフェリーに乗って、ユールゴーデン島へ向かう。


このフェリーでの移動も今回楽しみにしていたものの1つだ。
スカンセンは世界最古の屋外博物館で、とても数時間では見きれない広大な面積。そそくさと退散し、息子が楽しみにしていたヴァーサ号博物館に向かうが、暗くなって焦ってきたためか間違えて隣接する北方民族博物館に入ってしまう。

親切なおばさまに教えてもらい、ようやくヴァーサ号博物館へ。
 
17世紀に作られた現存する最古の木製の船はまるで海賊船のような迫力だ。

ちょっと慌ただしいがTAXIに乗って国立美術館へ。

レンブラントの作品を中心に鑑賞。人の良さそうな小さな自画像に見入ってしまう。

夕食は年末のため店を探すのに苦労したが、ホテルに程近いスウェーデン料理の専門店へ。トナカイ肉の煮込みを頂く。羊と牛のちょうど間くらいの味わいで、臭みもなくなかなか美味しい。


4日目。ホテルで朝食とは思えぬボリュームのビュッフェをとり、雪の降る中空港へ向かう。


(ホテル前:整備された街並み)

駆け足な滞在ではあったが、ストックホルムの快適さ、水に囲まれた美しい町並みは存分に堪能できた。幼少からのバイリンガル教育によりみな英語が話せ、センスの良い店が並び、デパートも日本並み。深夜営業のセブンイレブンに衛生的な地下鉄。旅行者に25%の消費税は高く感じるが、それに見合った社会全体のサービスが提供されている。

さらに国民の大部分を占めるスウェーデン人は、品が良く日本人好みの優しい顔立ち。これによりさらに心地よい印象を受けたことも発見だった。

世界的なインテリアショップ「IKEA」やヨーロッパのGAP「H&M」を輩出するスウェーデン。真冬もいいが、日の長い夏にもまた是非訪れたい国である。
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真冬の北欧へ: 年末のストックホルム旅行1(格安ライアンエアー)

2008年01月02日 | 旅行
年の瀬にストックホルムに出かけた。念願の北欧旅行。

通常のチケットでは高いので、格安航空会社のRyanairを利用した。その合理的システムには予約時点から驚かされてきたが、実際、座席指定がなく自由席なのにはとまどった。スタッフも同じ顔ばかりで、一人3役くらいは軽くこなしているようだ。しかし、一人往復数千円で、ウィーンからストックホルムまでのフライトができるのだ。厳密に言うと、ウィーンからではなく隣国のブラチスラバからで余計に1時間ほどかかるのだが。そのためか乗客は二十歳そこそこと言った感じの若い人が多く、機内は賑やかそのものだった。

2時間ほどで、ストックホルム郊外の小さな空港に到着。すると着陸と同時に、機内からは拍手と大歓声が沸き起こった。初めて見る光景だ。格安航空機ならではか。

空港を出ると気温は7度で、北欧の寒さを心配していたものの、ウィーンより大分暖かく感じられる。市内までのバスに乗車後、アナウンスで市内まで80分と聞かされ、初めて大手航空会社の乗り入れるArlanda国際空港では無いことに気づく。Ryanairは100km離れたマイナーなSkavsta空港を利用していたのだ。ともあれ予定通りホテルに到着。


Hotel Clarion Stockholm はスウェーデンらしいインテリアの近代的な大型ホテルだ。

ストックホルムでは観光・買い物・食事のバランスを三分の一づつと決めていた。翌日、まずはスノッブなエステルマルム地区を散策。北欧はインテリアデザインが優れていることで有名だが、ショーウインドもシンプルながら実にセンスがいい。これまで訪れたヨーロッパとは明らかに雰囲気が異なり、青山で買い物をしているような感覚だ。


中でもAsplund(アプスルンド)は地元でも人気のセレクトショップで、日本でも買えそうだと思いながらもついつい手が伸びてしまう。

買ったものを丁寧にラッピングしてくれる点も、まるで日本を思わせる。

世界中で高い評価を受けているというSyenskt Ten(スヴェンクス・テン)は、明るくのびやかな柄物の商品が並び、見ていてとても気持ちがいい。

午後は中世の面影を残す、ガムラ・スタン地区へ。


1279年建造の大聖堂と、ノーベル博物館を見学。博物館のカフェでは、ノーベル賞授賞式の晩餐会のデザートと同じアイスクリームを頂いた。ゴールドメダルのチョコレートがついたこのアイスはなかなか美味しい。


翌日に続く。
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