ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

クリスマス・マルクト: 初めてポニーに乗る

2007年11月25日 | ウィーン
クリスマス・マルクトは、暗くて長~いウィーンの冬を彩る最も華やかなイベントの1つ。



市内では幾つかのマルクトが始まったばかり。今シーズン初のマルクトに、マリアテレジア広場と、幻想的な光が美しい市庁舎前をチョイス。あまり寒くない土曜の夜とあって、人気の市庁舎前はベビーカーではなかなか進めない程の混雑ぶりだ。


ツリーのオーナメントを並べた屋台、食べ物屋、冬の小物の屋台が去年とぴったり同じ場所を陣取る。昨年家内が帽子を買った店では、店員が去年と(家内と)全く同じデザインの帽子を被って接客していた。


(クリスマス用品や雑貨店などが並ぶ)

市庁舎前のマルクトは、子ども向けのスペースが充実している。クリスマスソングを動物のキャラクターが演奏したり、ぬいぐるみが機械仕掛けで可愛らしく動くブースや、会場内を巡る白いトレイン。クリスマス・プレゼントの山のオブジェが気になり見に行ってみると、その周りを子ども達がポニーに乗っている。

息子はその様子をしばし眺めていたのだが、帰り際に突然「乗る!!」と言いだした。親は一緒に乗れないし、一人で乗るのだよと言っても、「乗る」と言い張る。



係員が落馬を防ぐため子どもを支えてくれてはいるが、実際に一人でポニーに乗ったら「ママー、パパー」と言って泣き出すと思っていた。が、予想に反し、彼は一人で乗った。


緊張のためか無表情なまま3周もしていた。しばらくして緊張も解けたのか、口を開いた。「おもしかった~」。

ポニーに乗せてもらう子ども達の姿をウィーンの様々な場所で目にしてきたが、いつの間にか息子も一人で乗れるようになっていた。一人で遊びに行ってしまう日も近いのか。
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ウィーン自然史博物館

2007年11月25日 | ウィーン
気温5度と最近にしては寒さも和らいだので、クリスマス・マルクトを散策しにマリア・テレジア広場に出かけた。

マリア・テレジア広場にはマリア・テレジア像を中心に美術史博物館と自然史博物館が対称的に配置されている。


突然息子が自然史博物館に入りたいと言いだしたため、博物館鑑賞に変更になった。



この博物館の蔵品は2000万点以上に及ぶという。鉱石、岩石、希金属の原石から多数のいん石などの地学的展示物から始まり巨大な恐竜の化石や模型からマンモスなどの生物史学的展示。さらに現存の昆虫類、魚類からほ乳類までの動物が展示されていた。

まず館内入り口脇に設置された小水族館で彼は大興奮。水槽に釘付けになる。


続いて地学的展示室群へ。1836年に落ちたいん石に触れる。


1億年以上前の古代生物や恐竜の展示が続く。


上階へ上がると昆虫や彼の好きな動物(魚類からほ乳類)の展示室群となる。

(建築物としても美しい博物館建物)

次から次へと続く展示室;動物園や図鑑で覚えた動物に沢山会えるので大興奮。


地球上の全動物が展示されているのではと思うほど膨大なコレクションとなっていた。1つ1つ見たら丸一日は必要だ。
足も疲れていたから気づかぬうちに相当な距離を歩いたのだろう。大人も楽しめるし、子どもの社会見学には最適かもしれない。とりわけ寒い季節には。
自分で歩いた彼は、博物館を出るやいなやすぐに寝てしまった。

<御参考までに>
A17 地球の歩き方 ウィーンとオーストリア 2011~20
現地に住んでも必要な情報が満載でした
ダイヤモンド社
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ウィーンから日本の学会へ

2007年11月22日 | 病院
ウィーン医科大学(MUV)に心臓外科を専門とする教授は10人強いるが、この秋2人が相次いで日本の学会に招聘され講演に行った。

日本で定期的に開催される全国規模の学会には世界的に著名な教授が数名程招聘されることが多い。症例数が多く、治療水準の高い米国の一流施設の先生方が頻繁に招聘されるのは当然といえるが、人口800万人程の小国の1施設(MUV)の当科に、相次いで日本から声がかかっているとは想像もしていなかった。

先週若手のZ教授が自分を見つけるやいなや、頭を下げた。「日本では45度に深々とお辞儀をするのが良い挨拶でしょう?」と。「来週日本に行くから練習しなければ」と冗談交じりで言うのだ。彼も仙台で開催される学会に招聘されていたのだった。彼で3人目となる。

その彼の日本話が面白かった。以前大阪周辺で開催された学会へ講演に行き、そのとき印象に残ったことが沢山あるという。「芸者は若い女性であると想像していたのに、60歳だったよ」、「宴会で何かを食べさせられたが、それが何か今でも分からないよ」、「公衆浴場に入るときのマナーを学んだよ」など、日本人の視点では気づかないことが明らかになる。

さらに「日本のTanuki storyを勉強したよ。ウィーンでも郊外の山にタヌキのような動物がいて、以前彼とすれ違ったんだよ。そのとき自分もタヌキもお互いに相手の存在にビックリして、目と目が合ったよ。そのままお互いに別方向に進んだのだけど、10m程離れたところでふと振り返るとお互いに相手を見ていたんだよ。タヌキがヒト化するという話はウィーンでもあるのだよ」と。意外な話にこちらが驚いてしまう。Tanuki storyって、万国共通なのか?

日本通の彼に今回の滞在でラーメンを試すことを薦めてみた。帰国後に日本の庶民の味の感想を聞いてみたい。彼が日本でタヌキに会わないことを祈る。
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雪が舞う1週間: 論文と手術

2007年11月18日 | 病院
今週は毎日小雪が舞う日々だった。

外科医はとかく手術室で全エネルギーを燃焼しようとするが、指導教授は外科医であっても論文作成の重要性を説く。その指導の下、1年前より担当してきた論文の再投稿を完了することが出来た。今回が3回目の再投稿となるが、ようやく受理される見通しが高まってきた。もう一つ、簡潔な症例報告論文も作成した。こちらはまだ時間を要するとは思うが、留学も終盤に来て進展してきたのは嬉しい。

論文関連の仕事が進展したが、今週の手術参加は4例とやや寂しかった。何も予定のない日の午後、ふらっとOR覗きに行った。若手のE教授がレジデントDrとAVR+TAPをしていた。少し見学するつもりで挨拶したが、手を洗えを言われ、久々に第2助手として参加することになった。

ここでちょっとした経験をすることになる。AVRだが、選択した人工弁のサイズがやや大きく、弁輪にしっくり収まらないようだ。あっさりそれを取り外し1サイズ小さい弁で手早く再置換された。手術は無難に終了した。
翌朝のMeetingでも弁のことは特に問題にはなっていないようであった。

もちろん手術の現場では術前診断と必ずしも一致しないことや、実際にやってみて初めて明らかになることは希ではない。が、人工弁3000ユーロ(日本だと100万円近い)の損失はどうなるのだろう?

ほぼ全ての医療資材は「滅菌された使い捨て」商品なので一度開けてしまったら、それでお終いとなる。他の患者さんに使い回しは出来ない。点滴針など安価な物資は問題にならないが、高額の人工弁でも問題とされないのか?

実際どのように損失が処理されるのかは知らないが、おおらかというか、ファジーというか。医療費削減が至上命令の現場だったら、たとえ回避不可能なことでも問題とされるかもしれないが。
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もう冬

2007年11月13日 | ウィーン
いつもより遅く起きた日曜日。
カーテンの向こう側が白いなぁと思っていたら、雪だ。興奮している息子と、あっという間に白くなっていく街を眺める。

この日は友人宅に招かれていたので、息子を連れて駅へ向かう。


電車を待つ間もはしゃぐ息子。反対のホームからご婦人が雪の玉を投げてくれ、さらに息子を喜ばせてくれる。 


(雪の上を歩くことを楽しんでいる;珍しく「ダッコ」とは言わない彼)

こちらのご主人は冒険家で、最近はエジプトに一人旅をされたという。こんな雪の日にワインを飲みつつ、尽きない旅の話ができるのはとても愉しい。

来週も最高気温2度と真冬の東京より寒い日が続くようだ。11月に既に最高の厚着をしている僕ら。真冬にはどうなってしまうだろう。
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とうとう完走 3300キロ イタリア旅行(5): ヴェネツィアからウィーンへ

2007年11月09日 | 旅行
車でのイタリア旅行も9日目。ついに最終日となった。

ホテルを後にし、140km北東へドライブ。時間が許すまで、水上都市ヴェネツィアに立ち寄る予定だ。

昨年夏に訪ねたときには、人混みと暑さに多少の疲労感を覚えたものの、建造物と自然が一体となった見応えのある風景に感動した。当時息子は1歳1ヶ月で何も覚えてはいないだろうが、2歳の今ならと思い、ぜひ息子と来たかった場所だ。
リベルタ橋を渡り、車でローマ広場に到着。


(サン・マルコ運河の船上からドゥカーレ宮殿を望む)

サン・マルコ寺院は、他にはない重厚感で溢れている。一方、息子はサン・マルコ広場の仰天しそうな数の鳩に大興奮。

(鳩の餌も売っている;この餌を買った人は鳩の標的に。キャーと悲鳴を上げながら鳩に餌をあげる人にビックリする)


趣のある路地を散策しながらリアルト橋へ。そして運河沿いでワインを楽しむ欧米人を見ると、ここはさながら成熟した大人のためのテーマパークだなと思う。その後水上バスから静かに運河を眺める。
まだウィーンまでの600kmの長距離ドライブが控えているため、余力を残し、観光を終えた。

ヴェネツィアからウィーンまで最後のドライブ。EU内の国境は、看板が一枚あるかどうかくらいでほとんど分からないが、ドイツ語表記で国内に戻ったことに気づく。時速120km程度で、休憩を入れても7時間で到着した。


それにしても走った。メーターを確認すれば、9日間で3300km。
日本では運転しても東京ー名古屋間が目一杯だったが、この距離は日本列島縦断に相当する。イタリアの高速道路は良く整備され、雨天走行も問題なし。オーストリアほどではないが高速料金も抑えめで、ナポリやローマの強引なドライバーにさえ気をつければ、1400ccの小型車でも予想以上の快適なドライブが楽しめた。

子どもや荷物の心配もいらないことや、自由に旅を創っていける点は車の旅の大きな利点だと思う。街を走ることで見えてくるその土地の性質も楽しい。が、さすがにもう一度3300キロを走れといわれても、走ろうとは思わない。気力体力がないと1400ccは辛いかな。
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3300キロ 車の旅 イタリア(4): カプリ島とポンペイ遺跡

2007年11月08日 | 旅行
7日目。朝から晴れあがり、夢の島カプリ島へ。



ナポリからは高速船で45分。カプリ島の「青の洞窟」はあまりにも有名だ。どうしたらナポリに居ながら、青の洞窟行きツアーが運行されるかどうかの情報を得られるのか、家内はいろいろ調べたが分からないまま島に来てしまった。
残念ながら「青の洞窟」への観光ボートは、本日高波のため運休であった。

(英語も通じないイタリアでは多国語表示は現地係員の手間を省く?)

家内はガッカリしていたが、この時期の見学はかなりの幸運でないと無理らしい。運行状況の問い合わせ先番号をゲットし、明日のリベンジを誓う。

カプリという響きからか、レモンのなる、小さくのどかな島を想像していたが、中心部は近代的な高級ブランドショップが建ち並び、物価の高い、世界的な観光地だった。絶景を前にして、この島の名前がついた、トマトとモッツァレラのサラダ「カプレーゼ」を頂く。

夜にはナポリへ戻り、「サンタルチア」の唄で有名な海岸沿いを散策。ロマンチックなこのエリアには、洒落たピッツェリアが軒を連ね、子連れに優しそうな店に入ってみたが、これが正解。スパゲッティ・ボンゴレは涙がでそうなほどに美味い。

(愛想のよいスタッフが息子にピザ窯を見せてくれる)


8日目、家内は電話を待たずに朝一番でカプリ島へ。
島をボートで周遊しチャンスを待つが、洞窟入りは次回に持ち越しとなった。

(鮮やかな色合いの海面;洞窟内でなくても美しさは分かる)

息子と二人、ナポリ郊外のビーチで遊ぶ。船酔いしやすい自分にはこちらの方が気楽だ。


その後、噴火により一瞬にして壊滅した古代都市、ポンペイ遺跡へ。

サルノ川の河口にほど近い立地で、紀元前7世紀に集落が出来て以来何度も戦争に巻き込まれるが、ワインやオリーブの輸出で発展を続けていたポンペイ。紀元後の78年、突然悲劇は起こってしまう。ヴェスーヴィオが大噴火を起こしたのだ。粉砕された溶岩、火山岩がポンペイに降り注ぐと同時に、地震と充満する火山性有毒ガスで町はその日に崩壊、埋没し、その後数世紀にわたって、6mを超える厚さの火山灰と軽石で封印されたという。

(背景にヴェスーヴィオ火山が見える:最古の噴火口は全長11kmに及ぶ)

2000年前にタイムスリップしようとしても、イマジネーションを膨らませることはなかなか難しい。

(近くにいた日本人団体ツアーの先頭を歩く息子)


(小石集めをしている息子のところに、イタリア人ツアー御一行が。そのまま彼を取り囲むようにガイドの説明が始まってしまった;皆が一様に説明に耳を傾けているため、彼も静かに遊んでいるところが面白い)

観光に区切りをつけ、一路北を目指す。明日の夜にはここから1350km離れたウィーンにいななければならない。
ナポリから600km程北上し、疲れたところで、ボローニャ近郊の高速道路を降りた。走りながら素敵なホテルを見つけたので、今夜の宿とする。


新しく広く、センスもいい。なのに朝食込み107ユーロとは。心配になった家内はしつこくフロントに値段を聞き直していた。
いよいよ明日は最終日だ。
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3300キロ 車の旅 イタリア(3): ローマとナポリ

2007年11月08日 | 旅行
車でのイタリア旅行5日目は、初の(唯一の)運転ナシの日。
ホテルのシャトルバスでローマ中心部へ。

まずは一番の目的であるコロッセオを目指すが、息子は連日の疲れのせいかバスの中からグズグズし通しで、
そんななか突然、水溜まり遊びにはまりだす。

(雨の中、コロッセオ前の水溜まりに突入を繰り返す彼)

肌寒い日で通りすがりの人も心配そうに見ているが、彼はびしょぬれになりながら、生き生きと遊んでいる。こちらも諦めて、彼が満足するまで遊んでもらうしかなかった。
もはや観光どころではなくなり、息子の服や靴を調達しにショッピングエリアへ。そこでも店内の床に大の字に転がり、大騒ぎ。


(ようやく着替えてトレビの泉へ;元気にコインを投げる)

天気が回復するのにつれて彼の機嫌も良くなり、「真実の口」に向かう。
映画に登場しただけで歴史的な価値はないのだが、写真を撮るために1時間待ちの列ができていた。


その後オープンエアーの二階建ての観光バスに乗り、すっかり夜景に変わった名所を巡る。排気ガスで煙るトンネルの中や、路地の植木に頭を打たれるなど、イタリアらしいドライブだった。見所の多いローマではあるが、半年前にも来たのであっさりこれで終了とした。


6日目は、ローマからナポリへ南に230km移動。


夕日に輝くヌーヴォ城や王宮を見学したのち、「マルゲリータ」を発案した店であるピッツェリア「Brandi」に向かう。
開店時刻の7時半には、ほぼ満席の繁盛ぶり。
食事を待つ間、息子の退屈しのぎにビザを焼く窯を間近で見学させてもらうが、マルゲリータばかりが次々と焼かれていく。
店員さんが息子に生のピザ生地をくれた。耳たぶなんて表現よりもずっと柔らかく、水と生地がしっかりと融合し、予想以上のモチモチとした感触。

(ピザ生地を伸ばして遊ぶ彼)

感動しているうちに、我がテーブルにもマルゲリータが。

これはもう凄いの一言。
これまで何百枚のマルゲリータを頂いてきたが、これは全くの別物だ。
生地はそれだけで充分いけるほどの食感と深い味わいがあり、モッツァレラもサラサラとして突き抜けた美味さ。全くチーズという気がしない。
あとはトマトソースとバジルだけなのだが、これが合わさると流れるように口の中に入ってしまう。こんな美味いピザがテーブルの上で冷めることなんてありえない。

美しく、かつ食事も美味いナポリだが、市内の道路環境はひどい。
車道は石畳でデコボコがあり、かつ運転マナーは最低、というか無秩序に近い。歩行者も車道を歩き、車と共存している。法定速度で走れば容赦なくクラクションを浴びせられる。路上駐車の車間距離は20cm以下。どうやって駐車してどうやって車を出すのか想像もつかない。2重駐車も当たり前。バンパーが擦れ合うどころか、ボディーが凹んでいる車も多い。



渋滞の中、二人乗りバイクが僅かの隙間を最速スピードで走り抜ける街。鳴りやまないクラクションとバイクの排気ガスの臭い。車道の歩行者に、信号待ちの車に対するテッシュペーパーの押し売り。ここは本当にヨーロッパなのか?

「信号の青は、イタリアでは安全を意味するわけではない。前進してもいいと、単に提案しているに過ぎない」と、以前ローマについて書かれた本で目にしたのを思い出した。ナポリはローマの比ではなく、最悪かもしれない。
旅から戻り、イタリア人麻酔科医と雑談した。彼いわく、「ナポリを運転するには特別な学校に行かなければならない」と。
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3300キロ 車の旅 イタリア(2): ピサ、フィレンシェとアウトレット

2007年11月07日 | 旅行
車でのイタリア旅行、3日目はピサ(Pisa)へ。

フィレンツェからは約150kmのエクスカーション。
「ピサの斜塔」は僕の中で今回の旅のハイライトと言ってもよい建築物だ。
礼拝堂、Duomo、斜塔と、白い大理石の建築群が、雲ひとつない青空をバックに歯切れの良い美しさを誇っている。


斜塔を支えるポーズで記念写真を撮る旅行者も名物らしいが、僕たちも見飽きない造形美に何度もシャッターを押す。


その帰りに、イタリア有数の高級保養地モンテカティーニ・テルメに立ち寄る。飲む温泉を楽しみにしていたのだが、この地では朝食抜きで飲むのが原則のようで、仕方なく湧き出る水をなめてみたが確かにしょっぱい。

(わき水が溜まる綺麗な池)

フィレンツェに戻り夕食に、有名なBistecca alla Fiorentinaという大きなステーキを頂いた。
 
(骨付きで500g程あるステーキ)
ウィーンの濃い味付けに慣れた舌には、炭火の香りがスパイスのフレッシュな肉はことのほか美味しい。


4日目。予報通りの雨となった。メディチ家の礼拝堂を見るために車で中心部に向かうが、あまりの渋滞と運転マナーに敢えなく断念。
家内の希望で郊外のアウトレットに向かった。どうやら今日はショッピング日和らしい。
フィレンツェから、アウトレット以外なにも見所のないMontevarchiまでは55kmのドライブ。小さい町の、さらにはずれにあり、非常に分かりにくい。プラダの面子からか、看板もない。ナビも限界で、ガソリンスタンドで道を尋ねようと車を降りると、まだ口を開いてもいないのに、店員は小さく笑いながら「Prada?」と言う。これまで多くの日本人に聞かれてきたのだろう。

プラダに駆けつける日本人はこの小さな町の名物でもあるらしい。

Outletの看板は日本でも馴染みのある「Space」だった。御殿場店には何度も行ったことがあるが、こちらの方が圧倒的に品数が多く、使えるアイテムが揃う。息子もプラダの服の後ろでかくれんぼなどを楽しみ、家内も珍しく短時間でお買いあげ。


続いて「Gucci」などの高級ブランドが軒を連ねるOutlet「ザ・モール」へ。「Space」からは30分程で到着。工場のようなプラダの無機質な外観に比べると、人里離れた山間でもおしゃれな佇まい。「Tods」など流行のブランドが多く、家内は時間を忘れ、あれこれ物色している。


息子と遊んでいると、先に行った「Space」の紙袋を持った人、特に日本人が多いことに気づく。Outletショップを周回するバスツアーがあるようだ。僕にはわざわざ日本から買い物に来る程価値のある場所とは思えないが、家内は元が取れると大絶賛していた。

日が沈み、家内が車に戻ってきたのでローマを目指す。300kmでローマ近郊へ。
直前価格で安く予約できた郊外の大型ホテルは、広いし、設備、サービスまで素晴らしい。これは当たりだ。
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3300キロ 車の旅 イタリア(その1): ウィーンからフェラーラ、フィレンシェまで

2007年11月07日 | 旅行
10月の終わりと11月はじめの祝日を利用して、3度目のイタリアへ向かった。

11日間という恵まれた日程を予定していたが、家内の風邪により9日間に短縮。ウィーンからイタリアへの交通手段は飛行機、電車、車とどれでも選択可能ではあるが、今回は思い切って車を選んだ。2歳の息子が「ひこうき怖い、クルマでゴーゴー!!」と言い放ったのだ。


1日目は、ウィーンからイタリア北東部のヴェネツィア(Venezia)まで600kmの道程。ウィーンに来て初めて訪れたのがこの街だ。飛行機で遠いと感じた街が今ではナビの指示で難なく足を伸ばせるようになっていることが驚きだ。

(途中、国境近くのドライブインで休憩;山々も美しい)

早速、ヴェネツィア郊外の地元の人が集まるお店でピザを頂いたが、ごく普通の味だった。
ホテルは郊外とあって格安だが、広い庭園があり、朝食も満足できる内容だった。車の旅はこんなところもいい。

(ホテルに限らず民家の敷地も非常に広い郊外)


2日目は水の都ヴェネツィアから花の都フィレンツェへ。走行距離260km。
途中、フェラーラ(Ferrara)に休憩も兼ねて立ち寄る。
日曜のため交通量は少ないが、世界遺産でもある市街でパーキングスペースを確保するのはひと苦労だ。イタリアの分かりにくいパーキングの標識について尋ねると、地元の人は親切に教えてくれるが、全てイタリア語。

イタリア北部のルネッサンスの華とされるフェラーラでは、エステンセ城、カテドラーレ周辺を散策。

(何かのパレードが催されていた。中世風の身なりの一行が城内へ入っていく)


(世界最古のアーケード商店街の1つ;なんと、今も商店が入っていた)

さらに南下し、本日の目的地フィレンツェに到着。心躍らせ、市内観光へ。
花の聖母教会ドゥオーモ(Duomo)は想像を超える圧倒的な美しさだ。


洗礼堂を見学した後は、急いでウッフィツィ(Uffizi)美術館へ。ここの待ち時間は有名だが、閉館1時間半前とあって、数分の待ち時間で入ることができた。ガイドブックの「時間のない人でもこれは見落とせない」の指示に従って、駆け足で鑑賞。ポッティチェッリの「春」、「ヴィーナスの誕生」の前は多くの旅行者で混雑していたが、柔らかいトーンが息子も気に入ったようで、一番前を陣取ってしばし眺める。

ヴェッキオ(Vecchio)橋からの透き通るような夜景を楽しんだ後は、近くのレザーショップの店員さんオススメのレストランバーで夕食をとる。


地元の若い人が集まるリバービューのシックなお店だが、子どもにも優しく、味も文句なしで、上質なワインもグラスで頂くことが出来る珍しいお店と、ワイン好きの家内も絶賛していた。ほろよい気分で眺めるドゥオーモもまた美しい。
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