ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

妙に親切

2007年02月23日 | ウィーン
今週は実験の週だ。
臨床の手術に入れないのは少し残念だが、任された実験を成功させることが先決だ。昨日は多くの人の助けを得たのにもかかわらず実験途中で豚を失ってしまった。失敗すると疲れもたまる。今日は気の合う技師さんと、助手、医学生たちがメンバーであったことも幸いして最後まで実験を完遂することができた。

実験は順調な場合でも、始めるまでに1時間、始まってから4時間、終了してから1時間かかかる。つまり8時半から始めて早くても3時ころになることが多い。
時間はかかるが状態が安定すると結構暇な時間もある。今日は学生さんと話が弾んだ。

医学生のMaxはウィーン医科大学と東京の大学との交換プログラムで日本に行く予定だと言う。普段はあまり日本、日本と日本のことを話そうとは思わないが、今日は存分に話した。

普段は相手の話を聞くことがほとんどだ。自分は簡単に質問すれば、後は相手が話してくれる。何とか聞き取れば相づちは打てる。自分の語学力にあった会話方法だ。しかし今日は自分が中心に3時間も話すとは思いもしなかった。たぶん今まで一番話したかもしれない。よく彼も下手な英語に付き合ってくれたと思う。まあ、かれも実験中で逃げ場がなかったわけだが。

ふと、日本にいたときより自分が親切な人間になっていることに気づいた。あまり進んで人の世話をしようとは思わなかったが、何故か今、自分がそれを喜んでしようとしている。

ここでは多くの人にお世話になっているからだろう。もし彼らが日本に来ることがあるのなら、何か自分が出来ないかと自然に思う。また不思議なことに英語で話していると、自然とそうなれる。

英語を話さない日本に帰ったら、またもとの人間に戻ってしまうのか。それは悲しすぎるから、何とか避けたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読めない文字

2007年02月13日 | ウィーン
外人の書く英語は読めない。

ドイツ語、イタリア語、スペイン語など基本文字にアルファベットを用いている国の人々の手書き文字は難解だ。これまで何回も文字が読めなくて苦労した。レストランに入って手書きのメニューで困ったこともあった。この場合は何とかなるが、先日は教授に書いてもらった重要な文章がほとんど読めないから、かなり深刻な問題となった。知り合った学生に解読してもらったが、彼らも苦労していた。よほどの達筆のようだ。僕は全く読めないが、彼らは8割ほど読んでくれたので、何とか文章を再現することができた。

たまにメールアドレスを手書きでもらうことがある。電話よりはメールで連絡した方が僕には数倍ラクだ。しかしそのアドレスが読めないことがしばしば。必ず去る前に確認しているが、想像も出来ない文字が含まれていることが多い。

今日もそれがあった。手術室で知り合った医師に名前を聞いた。日本語とはほど遠い微妙な発音であったので、書いてもらった。かれの発音をカタカナで書くとしたら、「ロバン」と聞こえた。書いてもらった文字はどう読んでも「RLIBEN」だ。かなりのギャップがある。さすがにこれをどの言語でも「ロバン」とは発音出来ないと思い、しつこく名前を聞くと、彼は「RUBEN」と書いたのだった。これだと「ルベン」と読んでしまうが、だがまだ「ロバン」に近い。やっとこ納得した。

初めてヨーロッパに住んだ頃は数字も読めなかった。IKEAに家具を買いに行ったが、商品番号が読めずに欲しい物が頼めなかったこともあった。そのくらい常識的なことが違う。先日家内が交番で電話番号を書いたが、もちろん丁寧な数字で、警官はそれを読めなかった。電話場号に含まれる1,4,7と-が日本語と異なるためだ。

最近はヨーロッパ式の数字や日付を書いている。家でSudokuをやるが、日本式の家内は僕の数字がまだ読めないようだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論文

2007年02月08日 | 病院
論文を書くのは大変な作業です。

数年前に行った実験なのですが、膨大なデータを収集したのにもかかわらず、途中で挫折しそのままになっています。もちろんそれはよくないことです。遅れれば遅れるほど、あらな治療法などより斬新なものが発表され、論文の価値は低くなってしまうのからです。

しかしながら、論文をまとめるのはやはり大変な作業です。スラスラ書けると面白いのですが。データを客観的に整理して、これまでの知見と比較してその有用性を述べなければなりません。論文のデータが理想的なものであればまだよいのですが、実験は必ずしもそう理想的にはいきません。それが辛いところです。そのデータからいかに新しい治療法の有用性を引き出すかが鍵となります。

考えても、考えても、一人に人間の思いつくことには限界があるようにも感じまし、文章を書く能力はすぐに上達するものではありません。そこで頼れるのはやはり経験豊かな教授です。
先日、以前お世話になった教授から連絡を頂きました。神の手って感じです。早速、論文を見て頂くことにしました。

どの業界でもおそらく情報に溢れていると思います。医学界、しかも自分の専門分野しか知り得ませんが、そんな限局された分野でさえ数え切れないほどの論文が毎月発表されています。常識を変えるような価値が高いものはもちろん限られています。しかし何編論文を書いたかが重要とされていますので、たとえ価値が高くなくても、皆論文にします。日本人医師の症例発表の多さを見るとぞっとしますが、自分もその一人です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心筋梗塞のコントロールモデル

2007年02月02日 | 病院
今日はまた動物実験の日でした。多少早めに研究所に行くと、たまたまいつもより早く豚が既に麻酔されていました。助手をしてくれる医学生はまだ来ていませんでした。彼らは来るのかなと多少不安な気持ちで始めていたら続々と仲間がやってきてくれて、安心。

医学生は全部で15人くらいこの実験の担当でいるのですが、実際には数人しか合ったことがありません。名目上、今日が最終日だと言うのに。

ところで昨日も実験したのですが、心筋梗塞がやや大きかったようで、最終目的まで到達せずに失ってしまいました。その教訓から、これまで以上に出来上がる心筋梗塞の範囲を厳密に想定しながら実験を進めました。何カ所か面倒な操作があるのですが、今日は、機材も新しいことも幸いして全て完璧でした。とうとう最終日でマスターしたって感じです。

始まりも早かったことと、スムーズに実験が終了したので、午後からの手術にも参加できました。今日は冠動脈バイパス術+僧帽弁形成術で、教授の助手にはまた例の、いつも病棟にいる彼でした。

術中、人工心肺への脱血不良がしばしば問題になり、珍しく教授が技師にきれています。さらに助手の彼も椅子に座りながらの助手で、教授の手順を理解していないため、やりにくそうです。教授はかなりきれた後、やり場がないのか、僕に英語でいろいろ喋ってきます。普段はドイツ語だけなのに。

教授が降りた後は、自然と僕が手術を引き継ぎました。
どこの国でもいろいろあるのでしょう。ただ日本と違うところはみんな自分の意見を言うので、手術中であっても教授にも反論します。技師は人工心肺の操作は完璧だと。吻合中に糸がもつれても、助手はほかの方法がいいのではないかと言っているし。

言葉が全部分かったら、結構大変かもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする