ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

胸部大動脈瘤の2段階手術法 *** debranch and TEVAR for TAA ***

2007年03月28日 | 病院
若手のM.C.教授はなかなか面白い手術をしている。
*** debranch and TEVAR for TAA ***

他の施設でも始まっているが、胸部大動脈瘤のステントグラフト手術だ。
通常、弓部大動脈瘤の手術(人工血管置換術)は、開胸して人工心肺を取り付け、全身を25度以下の低体温にして行う。高度な技術が必要とされ、6時間を超える侵襲的な手術となる。最近の成績は改善したとはいえ、脳梗塞などの重篤な合併症が数%程度生じる可能性がある。デブランチ手術は、低侵襲化により合併症の軽減を目指し、この問題を解決する一つの方法かもしれないと思う。

デブランチ手術とは:
弓部大動脈瘤をステントグラフトで治療できるようにする処理がデブランチ手術。簡単にいうと従来の大手術を比較的低侵襲の2つの手術に小分けする感じ。

デブランチ手術の方法:
まずは皮切上縁は左へ伸ばし、上部胸骨部分切開とする。第二肋間までで十分な視野が得られる。左頸動脈と鎖骨下動脈を腕頭動脈に移植する。人工心肺は不要なので比較的簡単な手術だ。この手術でステングラフトを留置する十分なアンカー部分を設けられる。

後日(もしくはその場で)、ステントグラフトを大腿動脈から挿入して、弓部に移植する。

ステントグラフト手術は人工心肺を使用せず、開胸も必要ない。一緒に手術に参加して本当に低侵襲だと思った。通常の方法だと吻合後に出血すれば結構大変で、輸血準備は必要不可欠であるが、それと比較すると大違いである。もちろんこの方法が万能というわけではないが、体力の衰えたご高齢の方にはよい方法だと思う。

おそらく日本では信頼性の高い第二世代のステントグラフト(TEVAR)がまだ認可されていないのかもしれない。EU版の取説を読んだ。多数の言語で説明されているが、中国語はあっても日本語がないからそう思えた。日本では規制緩和や許認可がまだ進んでいないのかもしれない。

日本は世界的に見ても、弓部大動脈瘤の手術成績が良好な国である。さらにこの技術が加わればと思う。
低侵襲であり、合併症の軽減により社会負担の削減になるかもしれない。


【追記】2014年現在:日本でも相当数のデブランチ手術が施行されています。

日本でのデブランチ手術の主流は上記方法とはやや異なり、非解剖学的な血行再建(弓部の分枝移植)を用います。
ステントグラフト挿入に先立ち、たとえば腋窩動脈-腋窩動脈バイパスを施行したり、またはそれに左総頸動脈バイパスを追加します。それにより弓部分枝2本(左鎖骨下動脈、左総頸動脈)を実質的に移植したことになります。
ウィーンでの方法(縦隔内の解剖学的再建)と比べて、日本で主流方法(非解剖学的血行再建)の利点は胸骨切開(いわるゆ開胸)が不要なことです。専門医的には乳糜漏や反回神経障害のリスクがないこと、つまり、より低侵襲であることです。
欠点を挙げるならば小口径の人工血管が必要なこと、人工血管によるバイパス長が比較的長く、従い閉塞予防のため抗血小板薬の内服が必要なことかと思います。専門医的には胸骨前面の皮下に切除できないグラフトが横断する将来的なリスクも考慮するべきかもしれません。

いずれの方法でも、従来の手術が困難な方にはデブランチ手術が解決策になる可能性があります。



ウィーンでお世話になった先生方(毎朝のカンファレンス風景)
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Ross手術

2007年03月28日 | ウィーン
今日は久しぶりのRoss手術だった。

S教授はしばらく学会なのかバケーションなのかは分からないが長期休暇だったが、先週から復帰している。Ross手術は先週末から3例連続している。それだけ休暇のため手術予定が混んでいるのだろう。

それはよしとして、いつも感心するが今日もそうであった。彼は手術を全く急いでいない。どちらかと言えば、ゆっくり慎重にやっているように見える。それでも皮切から止血まで2時間とかからず終了し、去っていった。時計をみて初めて早さに気づく手術だ。

今日術中に教えてもらった要点は、肺動脈弁の剥離について。弁輪下数ミリのところを横切開し心室中隔方向に切り込んでいくが、このとき筋層が2層になっているように見える。その間に中隔枝がありそれを温存する方法。特に今日の症例では中隔枝が非常に太かった。この症例で中隔枝を切断してしまうと結構な術後心筋障害になるであろう。彼はいとも簡単にそれを温存してみせた。

Auto graftの弁不全を予防するため、吻合部の口径差が2ミリ以下となるようにしている。今日は末梢吻合に口径差があったので、上行大動脈を縫縮して吻合した。このテクニックは比較的容易だ。なかなか無いとは思うが、次回は弁輪口径差の縫縮方法を見てみたい。

またS教授は遠隔期のAIを予防するためnativeの大動脈弁輪を巧みに利用して吻合する。これは弁輪拡大予防のみならず、確実な止血方法でもあるように思える。

さらにホモグラフトの冠動脈起始部の結紮を補強することも忘れないようにと。「百聞は一見にしかず」とはこのことだろう。S教授は今日も風邪を引いているようだった。時々鼻を啜りながらの手術だった。


(写真は帰国後、David手術の練習風景)
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サッカー観戦

2007年03月28日 | ウィーン
もう2週間近く前のことになるが、初めてサッカー観戦に出かけた。ザルツブルグで、日本人プレーヤーのサントスと宮本を応援ツアーに参加したのだ。もちろん彼らが出場するかどうかは保証されてないが。

ウィーンからバスで3時間半ほどして現地に到着。夕方までの5時間くらいが自由時間となっていて各人で観光。わが家は2回目のザルツブルグであったので、前回逃したお城を中心に散策。意外にも寒く、途中から雨が降りそうな日であったが、なんとか天気も持ちこたえそれなりに楽しめた。

そして試合開始の1時間以上前には球場入り。ザルツブルグの本拠地なのでほとんどがレットブルザルツブルグのサポーター。相手チームのサポーター席は球場の10分の1程度かそれ以下しか用意されて無く、しかも立ち見席のみ。まずこの極端な差に少し驚く。まだ試合前だと言うのに、アウエーチームのサポーターはかなりエキサイトしている。少人数なのに声援はむしろザルツブルグ応援団以上にも聞こえるくらいに激しい。

そしてとうとう選手が入場し、試合開始。サントスは先発出場。宮本はベンチ。
試合はザルツブルグが圧倒的に優勢で安心して観戦できる。ミスを連発する日本代表を応援したときはハラハラして落ち着かなかったが、それとは大違いだ。

試合はさておいて、一番印象に残ったのは相手チームのサポーター達だ。時折、爆竹を仕掛けている。まるで何か爆弾が爆発したかのような破裂音が球場をこだまする。10分の1程度の面積の相手チームのサポーター席の周囲はしっかり鉄柵で隔離されており、さらに銃をもった警備員も配置されている。それでも彼らは警備の目を盗み時折何知らぬ顔で、何かしらの火薬を爆発させている。声援のエールや罵声もスゴイが、この爆発音にはかなり驚いた。整備員や鉄柵がなければ身の危険を感じるだろう。これでもスペインや他の欧州諸国と比べればたいした迫力ではないのであろうが、本場のサッカーの一部を体験した。やはり球場で観戦するのは楽しい。

試合は3―0で快勝。サントスはたいした見せ場がなかった。と言うよりは全くチームにとけ込んでいなかったのは残念だ。途中出場の宮本は無難に仕事をこなしていた。試合終了後、我々日本人応援団に気づき、近くまで来てくれたことも嬉しかった。

今度はウィーンで観戦してみたい。
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出張?それとも休日?

2007年03月25日 | ウィーン
職種によっては出張が多い方もいるだろう。

厄介な仕事のための出張から、ほとんど旅行のようなものまであるだろう。学会出張の場合、後者に当てはまることが多い。特に重要な研究発表でもしない限りそれになるであろう。日本は学会が多いことでも有名だ。とにかく学会を開催し、皆かなりの頻度でそれに参加する。

ここウィーン医科大学でも教授の出張の多さには驚いた。日本以上だと思う。そろそろシーズンだが、毎週誰かがいない。数人はどこかに行っている。先週休んでいた若手教授は見事に日焼けして帰ってきた。昨日は久々に一緒に手術が出来たのだが、来週はアメリカに行くと言っている。2月,3月は何週間もいなかった。もちろん夏休みはしっかりとるだろう。秋には日本の学会に招聘されるといっていた。東大の教授からだ。それ以外にも自分の興味のある学会には参加するだろうし、法律で休暇を取ることが義務づけられている国だ。とにかく休みが多い。人生を謳歌しているように見える。チマチマと真面目に働いてもたいしたモノは得られないように感じる。

見習って、わが家も2つの旅行を予定している。5月の地中海クルーズと8月のスイス周回旅行だ。5月には2週間の休みを確保した。簡単だった。何の問題もない。自分に必要だったものは、「休む」と言う勇気だけ。

日本の大学病院勤務の時は、年間の休みが3日間だったこともあった。正月も病院で過ごしていた。若い時は、病棟は自分が管理するのだという信念と義務感、それにそれなりの達成感があり、たとえ休みが無くても満足していたと思う。労働基準法は完全に無視されている。それでも本人がやり甲斐があったから、むしろ誇りに思っていた。

しかしストレスを感じたときにはその労働環境はあざとなる。自分のカラダが壊れていくのに気づく。自主的にしている仕事は楽しいが、強制的な仕事はカラダに悪い。

ここのDr達を見ていると、そんなに無理して何になるのだろうと今は思う。狭い世界にいたように感じる。当直したら皆朝には帰る。体調を崩したら休むのが常識で、咳をしながら仕事することはむしろ許されない。有休で家族と過ごすことに誰が反対するだろうか。正当な権利だ。休んでいることをとがめる人は全くいない。彼は休みだと言われたら、「そうか」で終わりだ。

なぜ日本の大学病院では法律通り休暇を取ることが不可能なのだろうか?
もちろん日本人の国民性もある。上司が休まないのであれば部下も休みを取りにくいか、若しくは全くとれない。
たとえ皆で休もうとしても、不可能なこともある。不完全な保険制度のため病院のスタッフの人数が少なすぎるか、管理職が働かず若手へのしわ寄せによる労働時間の不均等という原因もあるかもしれない。

先日大阪の国立循環器病センターで重要なポストのDr達が集団で辞職したニュースがあった。何が原因かは知らない。彼らはやる気に満ち溢れたいわゆるエリートDr達であったはずだ。患者さんへの強い義務感から長時間労働くらいは耐えられる人たちでもあったはずだ。その彼らが辞めざる終えないのは、日本を代表する病院も根本的な問題があり、まともな人が働けるような環境ではないのだろうと想像してしまう。誰かが労働環境を改革しないと皆ダメになってしまうと思う。過労死だけは避けて欲しい。この問題に気づかない人は羨ましい。
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Sending letters

2007年03月07日 | ウィーン
I wrote letters to several Professors in many countries to get their cooperation with our new research project.

When I sent them, I was afraid that I did not get any reply for the letters, because a professor must be busy and do not want to read it or regard as a trivial.

I got a few reply for our letters immediately after I sent them. The answers were not good for us but it was quite different in my prospect. Two days after I sent, I have got 2 very good replies to want to join our project.

I am astonished, and happy to approve our proposal. From this issue, I really think that you do not hesitate to ask for, even if whom you do not know in personally, if you want to do something.
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性格

2007年03月07日 | ウィーン
どの国でも、どんな仕事でも職場でも、気の合わないと感じる人はいるだろう。

自分は特別人間関係にうるさいわけでは無いと思っているが、たまには馬の合わない人と出会う。若手の外科医の中には良い意味では積極的だが、客観的にみると自己中心的としか思えない人がいた。

以前、その彼と二人きりになった手術があった。教授が降りて手術室で彼と二人になると、かれは途端に態度が変わった。全く自分と関係ないことを始め、助手をしなくなった。それでは手術にならず、さらに生意気なことばかり言うのでその日はとことん頭にきた。

今日は彼と一緒だった。分かっていたので初めから彼によいポジションに入ってもらった。今日の教授はかなりの紳士で表面的には非常に優しいから全く声を荒げたりはしない。 が、要所要所で我慢できず、彼のやり方を否定していた。彼はその都度分かったふりをしているが、本意は理解していないようだ。かなりおめでたい。

もちろんドイツ語なので詳細は不明だが、この人間関係は言葉が無くてもよくわかるから面白いと思う。つまり言葉はあくまで手段の一つであるのだろう。目つきと態度でほとんどのことが済んでしまう。逆に言えば、その自分も周囲の人にそれぞれの見方で解釈されているのだろう。無口な外人がどのように見られているかは甚だ疑問だが。

ここでもお調子者がいるのだなあっていうのが感想だ。真似は出来ないが、かれも貴重な存在なのだろう。教授、ナースをおだててその場を盛り上げているのだから。手術室は車の運転と同じで性格が出やすいから、それが分かる。自分も気をつけなければならない。たてえドイツ語を話さなくても、十分解釈されているからだ。
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Grant

2007年03月01日 | ウィーン
Deadline of application for giant grant in EU is coming soon.

I think the grant is quite unique system, which every researcher can apply for in EU country and have to find a few corroborators in other EU country to apply for. It must be very high competition to get it, this system would contribute to let each research be more advance step due to cooperative other fields researchers.

I also try to find out some other EU country searchers in order to apply for it. It must be very high competition and I would like to get something.
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色々な可能性

2007年03月01日 | ウィーン
きっと周囲に注意を払っている人は色々な可能性に気づくのだと思う。

人が成功したり、大きなチャンスを掴むには、誰かから何かを与えてもらって始めてそれが可能になることが多い。沢山の人が親切に働きかけてくれても、そのチャンスに気づかない人は成功のする可能性は低くなるだろう。

これまで何となく上手い具合に周囲に流されながら、特にそれに逆らうことなく来た。運良く掴んだチャンスもあったが、大きなチャンスにもかからわらず、それに気づくことなく通り過ぎてしまったものもあったかもしれない。チャンスと意識していたが、勇気がなく見逃したものもあっただろう。今となってはどうしようもない話だが。

そんな自分でもこの何年かは自分で何かを決断してきた。その選択枝が正解だったかどうかは分からない。保守的な判断は大きな変化を伴わないからラクだ。その代わり、たいした成長もないかもしれない。革新的な決断をした後は精神的に辛くなる。後で、失敗だったのではと感じたこともあった。先を読めない自分がいやになることもあった。特に自分のやりたいことと、実態が異なると我慢できなくなる。

ではあるは、今となると、たいした問題ではないと思える。どんどん選択して行けばいいと。もし人の批判に耐えられるならば、斯くあるべきだということはないと思える。

何が価値のあることかは、その人にしか判断できない。自分はウィーンにいる。大都市の東京と比べれば、かなり田舎に感じるのは事実だ。しかしドイツ語を話せないのにもかかわらず、ここの人々は東京より何故か親切に感じる。大学でも色々な教授が適当に声をかけてくれる。興味があればおいでという。真に受けていいのか、単に使われてしまうだけなのかは分からない。日本で同じ事があったらその話には乗らないだろう。今は、不思議とそれでも面白いと思える。何かが変わるかもしれない。
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