ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

ヴェネツィア *** ヨーロッパ子連れ旅行の始まり ***

2006年08月23日 | 旅行
8月にヴェネツィアに行った。これはかなり時間が経ってから書いている。

当時はまだウィーン来て間もない頃で、貴重な夏に何処かに行かねばと焦り、突如4日間の旅行を計画したのだった。ウィーンから距離は近いが、格安旅行のイロハを知らず、まだ夏の最盛期とあって、off seasonsと比較すると割高なのはやむを得なかったか。


(サン・マルコ寺院)

島に着き駅を降りると、もの凄い観光客の数に圧倒されたのを覚えている。
東京のど真ん中にいるかのような人混み。
予約したホテルにミスがあり、1つ格上の系列ホテルにアップグレードされたが、それでも部屋は狭い。世界中から観光客が押寄せる小さな島なので、なにもかも割高な印象だった。
実際に知人のイタリア人もあの島は高いと苦い顔をしていた。

とにかく暑かった。その中でサン・マルコ広場にある鐘楼に上がると風が涼しく、島一面を見渡せ爽快だった。

(夜のサン・マルコ広場;16世紀に立てられた政庁)

映画好きの家内の提案もあり、映画祭で有名なリド島で一日遊んだ。

(ヴェネチィア国際映画祭の準備が進む会場前)

基本的には長閑な島だが、高級ホテルが建並ぶビーチは海水浴客で賑わっていた。満1歳の息子には強すぎる日差しのため控えたが、ここは素敵な場所に違いない。

名物のゴンドラもよい思い出だ。
サン・マルコ広場近くの乗り場から乗船した。

(海上から見たデッラ・サルーテ教会)

広い運河を上り次第に細い運河に入り、家々の間をかいくぐり広場近くに戻るルート。海面に面して立てられている家々の様子がよく分かる。


これは水上バス、ヴァポレットから見たリアルト橋。これも16世紀の建造物。


海面と歴史的建築物が調和した美しい街だと思ったが、とにかく夏の最盛期で小さい島は何処に行っても人混みだった。

追記:これがヨーロッパ子連れ旅行の始まりだった。
真夏の炎天下、汗っかきの長男を抱っこ、石畳に階段を荷物満載のベビーカー、苦労したはずだが、帰国後には素敵な思いでになっている。
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ドイツ語教室

2006年08月13日 | ウィーン
生後12か月の息子を連れてなんとかウィーンまで来た。

現地は予想外に暑い。湿度は低いが日差しが強い。かつ長期滞在ホテルにも、レストランにも、電車の車内にもエアコンはなく、何処も日中は暑い。家内はぐったりしている。
夜は21時過ぎまで明るく、夜明けも朝5時前。時差ぼけも残る。
家内も息子も昼夜分からずずっと寝ている。
住居環境もままならぬ状態であったが、日本から予約しておいたウィーン大学の夏期ドイツ語教室に通った。
http://www.univie.ac.at/de/
それにしても病院の宿舎に引っ越すまでは本当に辛かった。

ドイツ語教室は7ランクあるクラスの内、最も初心者クラスに入った。EU各国、アメリカ、メキシコなどから来た学生、社会人など生徒は様々。日本人は自分以外に2人だった。

仲のいいクラスでホームパーティーを開いたり、日帰り旅行に行ったり。ドイツ語教室なのに会話は全て英語だった。

(深夜までホームパーティー)


(1歳の息子を連れて隣国のスロバキアへ、皆に本当に可愛がってもらった)


スペインから来ている高校生やイタリアから来ている人たちはあっという間にドイツ語になじんでいる。アメリカ人の大学生も全く抵抗なく吸収している。自分努力したつもりだが、聞き取り、会話には初心者コースであるが辛いものだった。アルファベットを使わない母国語のハンディーと個人的な語学能力の問題だ。



結局ドイツ語会話はほとんど出来ないが、それでも多少は何かの勉強になったような気もする。少なくともこれ程多国籍の環境はこれまでの自分にはなかった。
コメント (2)
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