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ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

休日

2007年09月08日 | ウィーン
休日の朝、今日は雨が降っていなかった。
この3日間、珍しく連日の雨天で息子は外で遊んでいなかった。どこか歩けるところへ連れて行ってくれと家内にも頼まれる。
先週も行ったのだが、安全に走り回れる動物園にまた行くことになった。


ところで、ウィーンの街角や駅には無料の大衆紙がおいてある。ふと手に取ると、昨夜のサッカー試合、オーストリア対日本の記事が大きく扱われていた。日本はPKの末負けたが、中村を含めて3人の日本人選手は高く評価されていた。




数日前からグッと涼しくなった。4月から8月までの暑さは嘘のようだ。気温13度、曇り。11時前に動物園に到着。駅からの道も、夏と比べれば人通りが少ないことと、子ども達もダウンを着せられていることが異なる。




園内も空いている。息子はもう動物園には飽きたのではと思っていたが、そんなことはなかった。知り尽くした園内を自由に走り回る。空いているから行きたい放題だ。


最近パンダの赤ちゃんが生まれたため、パンダ館の一部は閉鎖されていたが、屋外にいるパンダとは会える。




自宅前の木々の葉は茶色くなり始めているが、園内はまだ青々とし、緑が綺麗だ。

 


動物も自然に近い環境で飼育されており、目の前で見える。動物との距離が近く感じる。


(腰ほどの高さの柵のすぐ向こうにはカンガルーがいる)


(目の前のゾウガメ)


(木々やロープの中を綱渡りするサル)


(眠っているワニ)



12時半に動物園を出たが、遊び疲れた彼は今日も帰路のトラムの中で寝てしまった。
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動物園

2007年09月05日 | ウィーン
もう何回動物園に通ったかは分からない。

自宅から地下鉄とトラムを乗り継いでおよそ30分の道のり。
駅からシェーンブルン内を横切り、植物園を左手に見ながら、動物園入り口までが意外と距離がある。以前はベビーカーで通ったが、今は息子を励ましながらなんとか入り口まで歩かせる。


(不思議な建物の植物園)


夏は切符売り場で行列が出来ていることも多い。年間パスの我々は待たずに通過できる。

何回も来るとさすがに飽きてくるが、緑の木々が美しく、家や近所の小さい公園にいるよりは遙かに気持ちがいい。歩き疲れた後に木陰でビールでも飲めば最高だ。


(園内)


世界でも古い動物園の一つらしく、園内のレストランにも情緒を感じる。内装も綺麗だ。「地球の歩き方」(ダイヤモンド社)によると1752年には動物園が出来ていたそうだ。




動物園は前回の迷路と同様、シェーンブルン内の一角に過ぎないがかなり広い。園内を走るバスもある。



園内には森もあり多種類の鳥が放し飼いにされている。案内板でどんな鳥がいるのか説明されている。それがなければ動物園というよりは、自然そのままか。



彼は入り口のコアラ、パンダからカバ、ライオン、ペンギン、象、…、園内の公園、水族館とほぼ全ての場所を覚えてしまった。家で動物図鑑にはまっていた彼は、アシカやキリンを間近にみて大興奮したものだが、最近は彼も飽きてきたのか。それでも園内の公園は大好きのようだ。



怖がっていた滑り台も一人で降りるようになった。

そろそろ年パスの期限となる。既に飽きるほど通ったが、また買うのだろうか?
歴史的建造物やオペラではなく動物園だが、個人的には何故かここもウィーンらしい場所だと感じてしまう。

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2重の虹

2007年09月05日 | ウィーン
ウィーンに住んでから、虹を見ることが増えた。

日本のように一日中雨が降っていることはほとんどない。たとえ雨が降ってもにわか雨で、しばらくすればまた晴れる。従って、雨と日光が同居する可能性が高く、虹の出現率も高いのだと思う。

今日の虹は鮮やかかつ大きかった。さらに珍しいことに2重になっている。左側に薄い虹がある。

  


ウィーンで2重の虹を見るのは初めてではない。よく観察すると、薄いが、2重になっていることは以前にも経験した。

頻回に虹と出会うウィーンだが、今日の虹が非常に鮮やかなため、街を歩く人々も足を止め、携帯で写真を撮っていた。


4月後半から暑い日が続いたが、そろそろ秋のようだ。朝夕は涼しく、コートを着ている人も見かける。去年は暖冬だったが、今年はどうだろうか?
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シェーブルン

2007年09月02日 | ウィーン
久しぶりにシェーンブルンへ出かける。

同内の動物園にはよく行くが宮殿の方は久しぶりだ。そこにある迷路が面白いと聞きいってみた。

真夏の暑さは過ぎ、涼しく観光には適した季節となってきた。土曜日ともあり、宮殿前の幹線道路には大型観光バスがズラリとならんでいる。




たとえ人が多くても、広大な面積のシェーンブルンでは窮屈に感じることはない。




寒い季節とは異なり、花が咲き乱れる庭園は今がキレイだ。




迷路がある公園は、庭園のほぼ中央にある、一区画だ。入場料は大人一人2.9ユーロ。

中は子連れの家族で賑わっている。大人でも面白い。歴史的宮殿施設内の雰囲気にふさわしく、遊園地の様な電気的な仕掛けはないが、素朴に楽しめる。息子は大喜び。




6時に閉園し、また広大な面積の庭園内を歩いて駅を目指す。途中、並木道内でリスに出会う。観光客がエサをあげるのか、とても人なつっこい。彼らから近づいてくる。




のんびりとウィーンらしい休日を過ごした。
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世界遺産 セメリンク鉄道

2007年08月27日 | ウィーン
ウィーンから南西へ急行電車で1時間半、1000mから2000m級の山々の間を通り抜けるセメリンク鉄道に乗ってみる。

難工事の末1854年に完成したこの鉄道は、美しい山々の中を岩石などの自然素材を主材料として橋やトンネルが建設された。自然と調和した鉄道と評価され1998年にユネスコの世界遺産に鉄道として登録されている。その鉄道を見に行く。


ウィーンでSemmeringまでの切符を買うと、往復運賃は30ユーロ。急行電車は2等車でも座席は広い。ブドウ畑が広がる景色が多い。乗り換えも多く、子どもも退屈していないようだ。車内は比較的空いている。

我々はPayerhach駅も乗り換えたので、「さあ、これからだ」という心の準備が出来たが、セメリンク鉄道はOBB(国鉄)のある区間に過ぎず、場合によっては乗り換えなどもなくどこからがそうなのか気づかないかもしれない。

山々を見ながらSemmering駅に到着。ほとんどの乗客はここで下車した。駅にはInformation兼資料館が併設されており、観光客に情報を提供してくれる。山中であるが英語も通じる。



乗車中は、どこが有名な橋なのか、分からないまま通りすぎてしまった。従って、多くの人はここから線路沿いのハイキングコースを通りながら、美しい石橋などを散策するようだ。ただ、尋ねてみるとベビーカーではその道は困難だと。やむ終えず我々はSemmering駅周辺の散策コースを歩く。




道は整備され、標高900m前後の緑の多いコースだが、時折急な坂道もあり、ベビーカーでの散策はお勧め出来ない。かなり体力が必要だと思う。お店など何もなく、途中カフェで休むことも出来ない。ヘトヘトになり2時間程歩き再び駅に戻ってきた。体は疲れているが、まだ納得できない。


お目当ての、ガイドブックやパンフレットなどに掲載されている有名はツインアーチの橋(カルテリンネ橋)をまだ見ていないからだ。再び駅のInformationで尋ねる。子連れで歩けないが、車で行くことは可能かと?


親切なご年配の方が綺麗な英語で対応してくれた。タクシーで行けると。親切なタクシー運転手まで紹介して頂いた。橋を見たい、鉄道が通るところを写真に撮りたいと交渉してみると、あっさりOK。15から20ユーロ程度で良いと。

ご婦人の運転手で英語が堪能。最新型のベンツで快適に山道を越えていく。先ほどベビーカーを押しながら苦労した坂もあっという間に通り過ぎた。10分ほどで橋の袂に到着。途中の山道はかなり勾配があった。遊歩道と車道は全く異なるが、やはりベビーカーでは無理であっただろうと再確認する。

タクシーを降り、橋の周囲から写真を撮る。近すぎて全景がおさまらないため、前後と歩く。すると、なんと蒸気機関車が黒い煙をモクモク残しながら通過した。時刻表上電車は1時間に2本(上下1本ずつ)しか通過しないが、貨物電車など意外と多くの電車が通過していくことも分かった。




待って頂いていたタクシーに乗り、最寄り駅まで乗せてもらう。わがままに付き合ってもらったが18ユーロだった。帰路はウィーンまで乗り換えなしだった。



疲れた我々はウトウトしていたが、彼はおもちゃで遊んでいた。

もし石橋が見たいだけならば、車で行った方が簡単かもしれない。
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コウノトリの傍、夜中のメリーゴーランド

2007年08月25日 | ウィーン
移動式遊園地を各地でたまに見かける。

おそらく普通の広場などに、何かイベントがあると移動式遊園地が設置されるのだろう。フランスのボルドーでも、スペインのバルセロナでも、東ヨーロッパ諸国でもそれを見たことがある。


7月の下旬にオーストリアの東に位置するノイジートラー湖に野外オペラを鑑賞しに出かけたことを思い出した。不運にも悪天候で雨の中のオペラであったが、その帰り道に隣町のルストに立ち寄った。ルストはコウノトリでも有名な町だ。

車2分で通過してしまうような小さな町で夜10時にもかかわらず、町の広場は多くの観光客などで賑わっている。その広場を囲む家々の屋根の煙突の上にはコウノトリの巣がある。夜にもかかわらず、数羽を確認することができる。コウノトリは何処か神秘的な不思議な鳥だと思っていた。皇太子様が「コウノトリ」といったからだろうか。自分は初めて本物を見た。




ところで、この広場にも移動式メリーゴーランドがあった。周囲はロック演奏がされたりワインが振る舞われたりと賑わっているが、メリーゴーランドには誰も乗客がいなく、動いていない。



明るい電気で飾られたメリーゴーランドに息子は一人興奮。そこで家内と彼がチケットを購入し、乗ることになった。一回2ユーロ。

メリーゴーランドは二人だけを乗せて音楽と共にグルグル回り出す。
まるで貸し切りだ。贅沢な遊びだと思う。
バルセロナでもそうだった。たとえ乗客数が何人であろうと、乗る人がいればその時点で運転してくれるのがヨーロッパ風なのか。

メリーゴーランドが回っていることに周囲の人が気づき、ワイン片手に集まってくる。終了する頃には人だかりとなっていた。家内は少し恥ずかしそうだ。息子はもっと乗りたいと言っている。

普段は静かな町だと思うが、夜中まで騒々しい。コウノトリへの影響が気になってしまう。
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海外で日本食

2007年08月24日 | ウィーン
ウィーンに来る前は、食文化の違いで1年後には体重が増加すると予測していた。こちらに来て1年余り。。。体重は全く変わっていない。

それまではオーストリア料理がどのようなものか知らず、欧米の食事はどこも肉が中心でもの凄い量が一人分として出されると思っていた。典型的なアメリカンレストランの食事を思い描いていたのだ。

実際のところ、確かに魚介類は乏しいが、それほど毎日肉~、肉という感じではないようだ。味付けも若干塩分が多いと感じるが、口に合わないというほどではない。唯一気になる点は、食品目が少ないことだ。日本でランチを頼めば、ご飯にみそ汁、メインにサラダなどで構成され、その中に十数種の野菜や海産物、肉などの食品が含まれていると思う。一方、ウィーンでランチに「ウィーナーシュニツッル」を選ぶとすると、カツにレモン、ジャガイモと3品目だけだ。これは極端な例かもしれないが、料理を構成している食品の数が少ないと感じてしまうことが多い。一日30品目を摂取することが理想的な栄養バランスと日本で教えられてきたので、これには当初戸惑いを感じた。

それに欧米人は体格が大きいから、もの凄い量を食べると勝手に想像していた。
しかしランチを見ている限り、そうでもないようだ。メンサの食事は量が少ないと感じることも多いのに、90kg前後の人でも満足しているようなのだ。ホテルの朝食ビュッフェでも、周りの欧州人の家族より体格の小さいわが家の方が多く食べていることがよくある。レストランのランチでも量が多すぎて残すようなことは一度もなかった。体格が大きいだけに、食事も多くとるということではないわけか。

ここで、一つの疑問が思い浮かぶ。
普通のランチで満足出来る生活ならば、それほど量も多くないので極端な肥満になるとは考えにくい。しかし、ウィーン市内を歩いていると過度の肥満体型の人とすれ違うことが多い。彼らの食生活はどんなものなのだろうか?

オーストリア料理も美味しいが、子どものいるわが家は基本的に手料理だ。ご飯、スープ、主菜に副菜を日本の料理雑誌などのレシピに従い家内が調理している。これは日本にいたときより、むしろ日本らしい食事かもしれない。

かつてはそれほど家でご飯を食べたことはなかったが、今は夕食時にお茶碗2~3杯は食べている。食は太くなった。ありがたいことにそれでも体重は同じか、やや減少している日もある。

日本では外食中心だったのが、こちらに来て毎日家族で食卓を囲み食事をするようになったことが、良い影響を与えているのだろう。予測と異なり、東京にいたときよりも健康的な食生活を送っている。この経験から、健康的な食生活には、住む場所や国はそれほど重要ではなく、時間にゆとりがあり家庭で食事をとる環境が重要ということになるのか。家内の手料理のお陰で、家族そろって健康だ。
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行動日記

2007年08月17日 | ウィーン
「日記の魔力」(俵 三郎著、サンマーク出版、2004年)を読んだ。日記を書く習慣が人生を劇的に変えるという内容だ。この本によると日記は自分が何をしたかを刻銘に記録すればいいのという。感想などは必要ないと。

このブログは当初、自分が何をしたかを忘れぬために書くつもりで始めたが、読み返してみると感想が多いことに自分でも驚く。完全に俵氏の意図を理解していない部分もあるが、この本を読んで感銘を受けた読者として、個人的に毎日の行動日記を書こうと思う。

昨日は国民の休日だった。朝から家族で近所のプールへ行く。10時過ぎにはかなりの人出で賑わっていた。息子はプールで遊び、隣接した公園で遊び、喜んでいる。自分は成人用プールに1.2分入っただけで、あとはもっぱら彼の見張り役だった。はしゃいだ彼も午後3時には昼寝。僕らも家に帰ってのんびりした後、夜はキンダーオペラへ。会場は子連れの家族で満席だった。小澤征爾の作品で大人も楽しめる内容だった。

本日は2週間ぶりにAKHへ。朝CRは教授が4人しかいなかった。のこりの10人強の教授陣は夏休み中だ。自分のボスと一緒に午前はAVR、午後はCABG+AVRをこなす。LITA採取を任された。女性の患者さんであったがLITAがネットリした感じで時間がかかった。手術の合間ももたもたしていたので昼食抜きだった。体はきついが、達成感はある。6時には帰宅し息子と電車で遊ぶ。
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Kiss on the street!

2007年07月21日 | ウィーン
I think it is not only in Vienna, but in most European countries that people kiss on the street.

My son who is 2 year-old Japanese boy kisses me or my wife very well, although I never tell him how to kiss. Whatever he sees must stimulate him and be learned by him because of his tremendous curious.

You must be aware that people kiss on the street everywhere, anytime, if you walk on the street in European country. If you live in Japan, it might be seldom. If anything you may regard them as immorality or stranger with kissing around other people. I would ask you, if you think so, where they should go when they love each other so much.

I have noticed that there are huge number of hotel, so called “lovehotel” which is special hotel for only do sex, at every town and everywhere behind the key station in Japan. That might be why Japanese people do not kiss on the street. They can get easily special hotel to make a love only. Do you think this is good manner or good morality?
I have never seen such a special hotel in EU country.

I would think that kissing on everywhere is absolutely good for healthy sprit and also for healthy morality. Apparently there are increased in immorality crime or inhumanity behavior in Japan. Somewhat sophisticated, high educated, and also stressful society may be associated with increasing in such a inhumanity related.

I think it is really essential for keeping good mental spit that people should love their partner with kissing everywhere anytime.
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AKHでの冠状動脈バイパス術

2007年07月04日 | ウィーン
心臓手術で最も頻度の高いこの手術に関しては、日本は先進的な国だと思う。

ヨーロッパ諸国では心臓を止めて吻合することが多いが、日本では心臓を動かしたまま吻合するオフポンプバイパスが施行される率が非常に高い。
ウィーンに来た当初はかなりの差にとまどった。グラフトの選択方法もかなり異なる。東京など心臓外科医過剰の地域では皆競って動脈グラフトを使って完全血行再建を目指す。75歳以上の高齢者にも同様である。オフポンプも宣伝に使われたり、さらに手術ビデオまで提供したり。とにかく日本は凄い。

ウィーン医科大学では通常、心臓を止めて普通に吻合する。希にある1本バイパスの場合はオフポンプとなるが、それ以外でオフポンプが選択されるのはよほどの理由がない限りあり得ない。

グラフト選択の基本は左内胸動脈と残りは大伏在静脈と非常にシンプルだ。日本ならばこれは少数派になるだろう。50歳代などの若年者には両側内胸動脈もしくは橈骨動脈も選択されるが、全体に占める割合は非常に低い。
グラフト種類によらずsequential吻合はほとんどされない。個人的には静脈グラフトでのsequential吻合は技術的にもそれほど高度ではないし、グラフト流量を増加させる良い方法だと思うが。よって、ほとんどの手術はいつも3本バイパスとなる。

もちろんウィーン医科大学の教授陣の技術が低い訳ではない。小切開での手術もあるし、高度なロボット手術もやっている。しかしここでオフポンプの3本バイパスをするとしたら、相当難しいそうに思える。つまり、皆ここのやり方が染みついているから、それと違うことはなかなか受け入れがたいのだと感じる。まず皮切から異なるし。

日本でも初期はかなり皆苦労したと思うが、施設間の競争も激しくいつの間にかそれに慣れてしまった。慣れるとオフポンプは面白いし患者さんにいいと思える。慣れないと何故こんな大変なことをするのかと思うのだろう。ここでは今のところ無理のようだ。普段安定した吻合をする先生でもオフポンプだとかなり緊張しているのが分かる。

話はそれて、今日の手術では内胸動脈を採取した。なかなか教授が現れなかったので取らしてもらった。これも日本ではskeletonizeされる頻度が高いがここではそれは禁忌に近いかもしれない。

先日、非常に珍しく橈骨動脈の採取をG教授から頼まれた。日本では当然のように採取していたし、全く問題のないはずであったが、突然その教授が怒り出した。Skeletonizeは絶対にするなと。結局彼は僕からその仕事を取り上げ自分で採取していた。理由はスパズムの予防だと思うが、僕に言ったことはpedicelの方が技術的に優しく、、云々、、良いのだと。

「日本でほぼ全ての症例にSkeletonizeされた橈骨動脈を使用し、術後血管造影も施行し確認しているが、まず問題ない。採取された前腕も伴走静脈が温存されて好ましいはずだ」と反論したかったが、ぐっとこらえた。

今日は自分の指導教授の手術であったが、しっかりpedicelでごっそり内胸動脈を剥離してみた。日本ではほとんど剥離するチャンスがなかったので何ともいえないが、確かにpedicelはグラフトの機能温存面ではいいかもしれないと直感で思う。理論的には採取に伴う損傷は少ないだろうから。

こんな訳で、ところ変われば価値も変わる。まあ日本は凄いと思う。確かにより高い技術が要求される。
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海岸と内陸

2007年06月01日 | ウィーン
地中海沿いのニースの海岸で撮影した写真だ。
5月とは思えない強い日差しに輝く海だった。

先日ハンガリーのブダペストを訪問した。美しいドナウ川と見事ににライトアップされた王宮に吊り橋は歴史も感じ感動的であったが、この写真とはかなり趣がことなる。

天気の良い日に室内で仕事をしているとつい開放感に溢れるビーチに心がむいてしまう。ウィーンにいると海がないためなおさらか。
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教授陣がいない

2007年06月01日 | ウィーン
病院では毎朝7時半から全員でカンファレンス(meeting)がある。
今日は何故かほとんど教授陣がいなかった。教授だけでも15人程在籍しているので、出席者が多い日には椅子が足りなくなることもしばしばなのに、時に誰もいない日もあるのは不思議だ。

今朝に関して言えば、若手外科医はほぼ全員いたが、教授は3人しかいなかった。この辺が面白いと思う。学会出張ならば分かりやすいが、何もない週の中日でこの現象があることは、日本では理解できないだろう。
そんな日は、人カンファレンスも盛り上がらずあっさり終了することが多い。

本日の心臓手術は4件で多少少なめであるが、手術は普通通りだ。
自分の指導教授は冠状動脈バイパス術を全例人工心肺下に行うが、何故か今日はオフポンプバイパスとなった。同僚のD医師は何故だろうと首を傾げる。さらに両下肢静脈瘤のため小伏在静脈を取ってくれと頼まれた。耳を疑ったが、やれば何とかなるものだ。北京から来ているS医師に脚を持ち上げてもらい採取した。

久々にオフポンプ手術を見ると、同じバイパス術でも普段の手術とは随分違うことに改めて気付く。善し悪しはさておき、経験が蓄積されているやり慣れた方法は安心でき、普段と違う子方法はちぐはぐになりがちだ。

午後からの手術だったが5時に終了し、その後たまたま教授のオフィスに寄ってみると、明日(金)は休むから週明けに会おうと言っていた。理由は分からないが不在の先生が多い。

明日は担当手術がなく教授も不在なので、自分は運転免許の申請をすませることを考えている。



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心移植

2007年05月30日 | ウィーン
心移植が入り、予定されていた自分の担当手術はキャンセルとなった。そこで移植を見学することにする。

症例はブリッジのためのLVADを装着された若い男性。
今日の移植はW教授が執刀、助手は若手のD医師。11:30にdonorの心臓が他病院で摘出された。こちらは13:10に加刀となった。

抗凝固療法を施行されているのが、慎重に開胸されたため出血はない。しかしながら癒着は強固で、ePTFEシートで心臓や装置は覆われているものの、剥離にはかなりの時間を要した。

donor心臓が当院に到着したのを確認してCPBを開始。大動脈遮断後、どんどん剥離されていくが、癒着は相当に強固のようだ。意外と時間がかかる。術中何度かVfになるがLVADとその後はCPBのflowで臓器灌流は維持されている。ようやく剥離が終了して心臓が摘出された。

donor心臓の左心耳を閉鎖し、左房から吻合を開始。一旦吻合が始まれば後はスムースだ。結局虚血時間は4時間半であった。慢性心不全かつLVADが装着されていた心嚢の容積は巨大で、そこに小さな移植心が収まる姿は面白いと思った。
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暇な一週間

2007年05月30日 | ウィーン
旅行から戻ると何故か担当手術が極端に減少した。
病院は変わらず毎日数件の心臓手術があるが、自分の指導教授とE教授の手術件数が何故か減ったためだ。仕方が無く研究の仕事をするが、それほど乗る気にはなれない。そういうときは手術室で他の先生の手術を見学するのがよいであろう。

そこでLVAD装着の手術を選んで見学した。
手術を見学するには麻酔科医の立ち位置が最も見やすいが、担当麻酔科医によってはそこに見学者が滞在することを嫌う人もいる。今日は若手の麻酔科医師が担当で、快く見学させてくれた。

この手術は決まってW教授によって施行されることが多い。今日もそうだ。彼は非常に繊細な手術をする。この症例はCABG後の再開胸であったが、完璧に剥離された。

手術は典型的で、心肺バイパス補助心拍動下に心尖部にLVAD装置を吻合する。この際2枚のドーナツ型フェルトで吻合部は完全に補強されるように工夫されているので止血は完璧となる。最後に上行大動脈に送血路が吻合される。ダクロン部分は全てePTFEグラフトまたはシートで完全に覆い、心移植手術に備えられた。

W教授によると、要点はヘパリン下で完全な止血を得ること、ダクロングラフトは短めし屈曲を避けること、必ず再手術に備えること、手術全体を通して感染予防に注意を払うことであった。術者は頻回にグローブを交換していた。

ここAKHではおよそ数ヶ月後に心移植となることが多いようである。このグループの論文によると、LVAD装着により肺動脈圧の改善効果も望めるとのことだ。
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日本人医学生

2007年04月22日 | ウィーン
先週、病院内のお気に入りの場所にいたら顔見知りの医学生が声をかけてきた。

普段から彼女もその場所によくいるので顔は知っているが、話したことは一度も無かったのでびっくりしてしまったが、用件は日本から医学生が来ているから会わないかということだった。僕は日本人だろうと想像しての心配りだった。

自分のPB番号を教えると、その後しばらくして自分の前に一人のアジア人が現れた。ドイツ語で何やら話しかけて来るが、Japanだけは聞き取れる。Yaと答えると流暢な日本語で話し始めた。彼女がその学生だった。3ヶ月間の交換留学プログラムで来ていると。日本では名古屋大学の6年生だと。非常に賢く礼儀正しい学生さんだ。素晴らしく感心してしまう。

先月も一人日本から医学生が来ていた。巨大なAKHではたとえ日本人が100人いたとしても全く誰とも会わない可能性の方が高いと思うが、なのにもう二人に会った。と言うことは、実際にはもっと沢山の医学生が日本からも来ているのかもしれない。

自分が学生の頃、海外の病院で研修するなんて考えてもいなかった。いいことだと思うし、そんな学生さんには本当に感心する。夜はコンサートに行き、週末は東欧諸国に行くと言っていた。勉強だけでなく、文化にも接する機会にもなる。なんと言っても、医師になってからではそんな時間はもう持てないだろう。

機会があれば日本人学生さんを応援したい。
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