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ウィーンで学ぶ

---ウィーン医科大学心臓胸部外科
留学日記とその後...---

完璧な英語

2007年04月22日 | ウィーン
今週の大動脈治療の学会に参加した。

学会はそうそうたるメンバーで討論されている。ここには出席していない日本のKazui先生の名前は何度も出てくる。海外の学会で日本人の名前が連呼されているのを聞いて、数井先生の偉大さが改めて分かった。多くの経験豊富な先生が発弁するが、特にCoselli先生の発言には重みがあるように聞こえた。

さて、いつもお世話になっているE教授の発表になった。彼はNYで行った研究で有名となった先生だ。その研究からそろそろ数年経つが、多くの先生が未だに彼の研究を引用している。今日もすでに何度か引用されている。彼の発表の中にもやはりそのデータが出てきた。

討論になって、フランス人の議長が最後に彼に質問した。”what are you doing now?”
笑ってしまった。みんなそれを知りたかったのだろう。研究データは有名だが、実際にどんな手術をしているのかを。

それにしても彼の完璧な英語には驚いた。綺麗な発音で流暢、全てが完璧だった。普段自分と話すときは、(こちらの語学力に合わせて)ほとんど片言の英語なのに。この前は “three veins. One, two, three.”って言われた。さすがの自分もthreeは聞き取れてはいたが。。。
この演説を聴いて、改めて気づいた。普段は相当こちらの英語力に合わせて、本当にゆっくり、難しい文ではなく短く分かりやすい単語で話してくれていることを。実力のある人は本当に優しいのだなあと再確認した。

その後、レストランでランチしていると、たまたま彼が自分のテーブルに来た。素晴らしい英語で感銘したと言うと、「俺の奥さんはアメリカ人だ、家では毎日英語だよ」って。子どもにも英語とドイツ語を教えていると。さらに今年は数井先生に招待されて日本にも行く予定だと。

彼の手術はよく知っている。やたら早い。AVRの運針から弁の逢着まで10分かからないのでは思うくらいに早い。実際に計ったことはないが。CABGも丁寧に吻合する。でも皮膚は縫ってもらいたくない。

週明けは俺が手術するからって、誘ってくれる。こんな先生と日常的に一緒に手術が出来るのは嬉しいと思う。
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白衣の天使はいるのか?

2007年04月15日 | ウィーン
日本の大学病院に勤務していると、白衣の天使に会える可能性が高いと思う。

大学病院などの研修機関には看護学校を卒業したばかりの若いナースの比率がかなり高いからだ。毎年春には初々しい卒業したてのナースが大勢入ってくる。また、概して日本人女性は外見を整えることに非常に神経を使っていると思う。皆本当に綺麗にしている。ナースとしての実力はともかく、見た目はいわゆる白衣の天使だ。

AKHにも多数のナースが勤務しているが、いわゆる外見的な白衣の天使は会ったことが無い。人種が違うため自分がそう感じないという可能性もあるが、基本的に何かが違うと思う。まず、医師同様実力重視なので、経験年数20年を越えるベテランが多い点が日本の大学病院とかなり異なるだろう。ベテランの彼女らは管理職ではなく、実際に中心的に仕事している。若いナースもいるが、仕事中に色気を感じることはあり得ない。なんと言えば良いのか難しいが、そんなメイクではしてないし、仕事は仕事と言えばいいのか。

この国も看護は人手不足で他国から大勢のナースが流入している。その点も規制だらけの国とは異なる。従って人種、外見は様々であるが、皆よく挨拶するし、基本的には優しい。もちろん日本のナースも優しい人が多いが、外見を重視する風習が強いと思う。
日本のテレビドラマに登場するような白衣の天使は、そんな日本人男性の描いた理想像なのだろう。ここにいると、それはかなり偏った看護師に対する期待かなと思ってしまう。患者さんの心のなかに天使はいるのだろう。
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取り合い?

2007年04月13日 | ウィーン
自分の予定手術が無事に終了して着替えていると、仲の良いE教授に偶然あった。次の手術を手伝ってくれないかと。彼は忙しいので、開胸してバイパスグラフトを取って欲しいと。もちろんYes。

その後が大変。すると、本来彼の助手の予定であった若いDrがもの凄い剣幕でE教授に電話している。どうして私が助手でないのかと。自分の前で怒ってガチャと音を立てて電話を切っている。秘書に「私はもう彼の助手をしないし、E教授は一人でやると言っている!」と伝えて消えた。さて、彼に頼まれた自分は、レジデントDrの仕事を奪った格好なので困ったものだ。

自分で確認するのが一番なので、直接E教授に聞いてみた。あっさり「君がやるのだよ」と言われた。彼は何とも思っていなかった。この辺が面白い。

この種の若手同士の取りあいは何処の国でも日常茶飯事であろう。日本人らしく常に謙虚であればいいようだ。
世あたり上手には負けるが、外科的な実力だけはつけたい。
 
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Ross手術

2007年03月28日 | ウィーン
今日は久しぶりのRoss手術だった。

S教授はしばらく学会なのかバケーションなのかは分からないが長期休暇だったが、先週から復帰している。Ross手術は先週末から3例連続している。それだけ休暇のため手術予定が混んでいるのだろう。

それはよしとして、いつも感心するが今日もそうであった。彼は手術を全く急いでいない。どちらかと言えば、ゆっくり慎重にやっているように見える。それでも皮切から止血まで2時間とかからず終了し、去っていった。時計をみて初めて早さに気づく手術だ。

今日術中に教えてもらった要点は、肺動脈弁の剥離について。弁輪下数ミリのところを横切開し心室中隔方向に切り込んでいくが、このとき筋層が2層になっているように見える。その間に中隔枝がありそれを温存する方法。特に今日の症例では中隔枝が非常に太かった。この症例で中隔枝を切断してしまうと結構な術後心筋障害になるであろう。彼はいとも簡単にそれを温存してみせた。

Auto graftの弁不全を予防するため、吻合部の口径差が2ミリ以下となるようにしている。今日は末梢吻合に口径差があったので、上行大動脈を縫縮して吻合した。このテクニックは比較的容易だ。なかなか無いとは思うが、次回は弁輪口径差の縫縮方法を見てみたい。

またS教授は遠隔期のAIを予防するためnativeの大動脈弁輪を巧みに利用して吻合する。これは弁輪拡大予防のみならず、確実な止血方法でもあるように思える。

さらにホモグラフトの冠動脈起始部の結紮を補強することも忘れないようにと。「百聞は一見にしかず」とはこのことだろう。S教授は今日も風邪を引いているようだった。時々鼻を啜りながらの手術だった。


(写真は帰国後、David手術の練習風景)
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サッカー観戦

2007年03月28日 | ウィーン
もう2週間近く前のことになるが、初めてサッカー観戦に出かけた。ザルツブルグで、日本人プレーヤーのサントスと宮本を応援ツアーに参加したのだ。もちろん彼らが出場するかどうかは保証されてないが。

ウィーンからバスで3時間半ほどして現地に到着。夕方までの5時間くらいが自由時間となっていて各人で観光。わが家は2回目のザルツブルグであったので、前回逃したお城を中心に散策。意外にも寒く、途中から雨が降りそうな日であったが、なんとか天気も持ちこたえそれなりに楽しめた。

そして試合開始の1時間以上前には球場入り。ザルツブルグの本拠地なのでほとんどがレットブルザルツブルグのサポーター。相手チームのサポーター席は球場の10分の1程度かそれ以下しか用意されて無く、しかも立ち見席のみ。まずこの極端な差に少し驚く。まだ試合前だと言うのに、アウエーチームのサポーターはかなりエキサイトしている。少人数なのに声援はむしろザルツブルグ応援団以上にも聞こえるくらいに激しい。

そしてとうとう選手が入場し、試合開始。サントスは先発出場。宮本はベンチ。
試合はザルツブルグが圧倒的に優勢で安心して観戦できる。ミスを連発する日本代表を応援したときはハラハラして落ち着かなかったが、それとは大違いだ。

試合はさておいて、一番印象に残ったのは相手チームのサポーター達だ。時折、爆竹を仕掛けている。まるで何か爆弾が爆発したかのような破裂音が球場をこだまする。10分の1程度の面積の相手チームのサポーター席の周囲はしっかり鉄柵で隔離されており、さらに銃をもった警備員も配置されている。それでも彼らは警備の目を盗み時折何知らぬ顔で、何かしらの火薬を爆発させている。声援のエールや罵声もスゴイが、この爆発音にはかなり驚いた。整備員や鉄柵がなければ身の危険を感じるだろう。これでもスペインや他の欧州諸国と比べればたいした迫力ではないのであろうが、本場のサッカーの一部を体験した。やはり球場で観戦するのは楽しい。

試合は3―0で快勝。サントスはたいした見せ場がなかった。と言うよりは全くチームにとけ込んでいなかったのは残念だ。途中出場の宮本は無難に仕事をこなしていた。試合終了後、我々日本人応援団に気づき、近くまで来てくれたことも嬉しかった。

今度はウィーンで観戦してみたい。
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出張?それとも休日?

2007年03月25日 | ウィーン
職種によっては出張が多い方もいるだろう。

厄介な仕事のための出張から、ほとんど旅行のようなものまであるだろう。学会出張の場合、後者に当てはまることが多い。特に重要な研究発表でもしない限りそれになるであろう。日本は学会が多いことでも有名だ。とにかく学会を開催し、皆かなりの頻度でそれに参加する。

ここウィーン医科大学でも教授の出張の多さには驚いた。日本以上だと思う。そろそろシーズンだが、毎週誰かがいない。数人はどこかに行っている。先週休んでいた若手教授は見事に日焼けして帰ってきた。昨日は久々に一緒に手術が出来たのだが、来週はアメリカに行くと言っている。2月,3月は何週間もいなかった。もちろん夏休みはしっかりとるだろう。秋には日本の学会に招聘されるといっていた。東大の教授からだ。それ以外にも自分の興味のある学会には参加するだろうし、法律で休暇を取ることが義務づけられている国だ。とにかく休みが多い。人生を謳歌しているように見える。チマチマと真面目に働いてもたいしたモノは得られないように感じる。

見習って、わが家も2つの旅行を予定している。5月の地中海クルーズと8月のスイス周回旅行だ。5月には2週間の休みを確保した。簡単だった。何の問題もない。自分に必要だったものは、「休む」と言う勇気だけ。

日本の大学病院勤務の時は、年間の休みが3日間だったこともあった。正月も病院で過ごしていた。若い時は、病棟は自分が管理するのだという信念と義務感、それにそれなりの達成感があり、たとえ休みが無くても満足していたと思う。労働基準法は完全に無視されている。それでも本人がやり甲斐があったから、むしろ誇りに思っていた。

しかしストレスを感じたときにはその労働環境はあざとなる。自分のカラダが壊れていくのに気づく。自主的にしている仕事は楽しいが、強制的な仕事はカラダに悪い。

ここのDr達を見ていると、そんなに無理して何になるのだろうと今は思う。狭い世界にいたように感じる。当直したら皆朝には帰る。体調を崩したら休むのが常識で、咳をしながら仕事することはむしろ許されない。有休で家族と過ごすことに誰が反対するだろうか。正当な権利だ。休んでいることをとがめる人は全くいない。彼は休みだと言われたら、「そうか」で終わりだ。

なぜ日本の大学病院では法律通り休暇を取ることが不可能なのだろうか?
もちろん日本人の国民性もある。上司が休まないのであれば部下も休みを取りにくいか、若しくは全くとれない。
たとえ皆で休もうとしても、不可能なこともある。不完全な保険制度のため病院のスタッフの人数が少なすぎるか、管理職が働かず若手へのしわ寄せによる労働時間の不均等という原因もあるかもしれない。

先日大阪の国立循環器病センターで重要なポストのDr達が集団で辞職したニュースがあった。何が原因かは知らない。彼らはやる気に満ち溢れたいわゆるエリートDr達であったはずだ。患者さんへの強い義務感から長時間労働くらいは耐えられる人たちでもあったはずだ。その彼らが辞めざる終えないのは、日本を代表する病院も根本的な問題があり、まともな人が働けるような環境ではないのだろうと想像してしまう。誰かが労働環境を改革しないと皆ダメになってしまうと思う。過労死だけは避けて欲しい。この問題に気づかない人は羨ましい。
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Sending letters

2007年03月07日 | ウィーン
I wrote letters to several Professors in many countries to get their cooperation with our new research project.

When I sent them, I was afraid that I did not get any reply for the letters, because a professor must be busy and do not want to read it or regard as a trivial.

I got a few reply for our letters immediately after I sent them. The answers were not good for us but it was quite different in my prospect. Two days after I sent, I have got 2 very good replies to want to join our project.

I am astonished, and happy to approve our proposal. From this issue, I really think that you do not hesitate to ask for, even if whom you do not know in personally, if you want to do something.
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性格

2007年03月07日 | ウィーン
どの国でも、どんな仕事でも職場でも、気の合わないと感じる人はいるだろう。

自分は特別人間関係にうるさいわけでは無いと思っているが、たまには馬の合わない人と出会う。若手の外科医の中には良い意味では積極的だが、客観的にみると自己中心的としか思えない人がいた。

以前、その彼と二人きりになった手術があった。教授が降りて手術室で彼と二人になると、かれは途端に態度が変わった。全く自分と関係ないことを始め、助手をしなくなった。それでは手術にならず、さらに生意気なことばかり言うのでその日はとことん頭にきた。

今日は彼と一緒だった。分かっていたので初めから彼によいポジションに入ってもらった。今日の教授はかなりの紳士で表面的には非常に優しいから全く声を荒げたりはしない。 が、要所要所で我慢できず、彼のやり方を否定していた。彼はその都度分かったふりをしているが、本意は理解していないようだ。かなりおめでたい。

もちろんドイツ語なので詳細は不明だが、この人間関係は言葉が無くてもよくわかるから面白いと思う。つまり言葉はあくまで手段の一つであるのだろう。目つきと態度でほとんどのことが済んでしまう。逆に言えば、その自分も周囲の人にそれぞれの見方で解釈されているのだろう。無口な外人がどのように見られているかは甚だ疑問だが。

ここでもお調子者がいるのだなあっていうのが感想だ。真似は出来ないが、かれも貴重な存在なのだろう。教授、ナースをおだててその場を盛り上げているのだから。手術室は車の運転と同じで性格が出やすいから、それが分かる。自分も気をつけなければならない。たてえドイツ語を話さなくても、十分解釈されているからだ。
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Grant

2007年03月01日 | ウィーン
Deadline of application for giant grant in EU is coming soon.

I think the grant is quite unique system, which every researcher can apply for in EU country and have to find a few corroborators in other EU country to apply for. It must be very high competition to get it, this system would contribute to let each research be more advance step due to cooperative other fields researchers.

I also try to find out some other EU country searchers in order to apply for it. It must be very high competition and I would like to get something.
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色々な可能性

2007年03月01日 | ウィーン
きっと周囲に注意を払っている人は色々な可能性に気づくのだと思う。

人が成功したり、大きなチャンスを掴むには、誰かから何かを与えてもらって始めてそれが可能になることが多い。沢山の人が親切に働きかけてくれても、そのチャンスに気づかない人は成功のする可能性は低くなるだろう。

これまで何となく上手い具合に周囲に流されながら、特にそれに逆らうことなく来た。運良く掴んだチャンスもあったが、大きなチャンスにもかからわらず、それに気づくことなく通り過ぎてしまったものもあったかもしれない。チャンスと意識していたが、勇気がなく見逃したものもあっただろう。今となってはどうしようもない話だが。

そんな自分でもこの何年かは自分で何かを決断してきた。その選択枝が正解だったかどうかは分からない。保守的な判断は大きな変化を伴わないからラクだ。その代わり、たいした成長もないかもしれない。革新的な決断をした後は精神的に辛くなる。後で、失敗だったのではと感じたこともあった。先を読めない自分がいやになることもあった。特に自分のやりたいことと、実態が異なると我慢できなくなる。

ではあるは、今となると、たいした問題ではないと思える。どんどん選択して行けばいいと。もし人の批判に耐えられるならば、斯くあるべきだということはないと思える。

何が価値のあることかは、その人にしか判断できない。自分はウィーンにいる。大都市の東京と比べれば、かなり田舎に感じるのは事実だ。しかしドイツ語を話せないのにもかかわらず、ここの人々は東京より何故か親切に感じる。大学でも色々な教授が適当に声をかけてくれる。興味があればおいでという。真に受けていいのか、単に使われてしまうだけなのかは分からない。日本で同じ事があったらその話には乗らないだろう。今は、不思議とそれでも面白いと思える。何かが変わるかもしれない。
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妙に親切

2007年02月23日 | ウィーン
今週は実験の週だ。
臨床の手術に入れないのは少し残念だが、任された実験を成功させることが先決だ。昨日は多くの人の助けを得たのにもかかわらず実験途中で豚を失ってしまった。失敗すると疲れもたまる。今日は気の合う技師さんと、助手、医学生たちがメンバーであったことも幸いして最後まで実験を完遂することができた。

実験は順調な場合でも、始めるまでに1時間、始まってから4時間、終了してから1時間かかかる。つまり8時半から始めて早くても3時ころになることが多い。
時間はかかるが状態が安定すると結構暇な時間もある。今日は学生さんと話が弾んだ。

医学生のMaxはウィーン医科大学と東京の大学との交換プログラムで日本に行く予定だと言う。普段はあまり日本、日本と日本のことを話そうとは思わないが、今日は存分に話した。

普段は相手の話を聞くことがほとんどだ。自分は簡単に質問すれば、後は相手が話してくれる。何とか聞き取れば相づちは打てる。自分の語学力にあった会話方法だ。しかし今日は自分が中心に3時間も話すとは思いもしなかった。たぶん今まで一番話したかもしれない。よく彼も下手な英語に付き合ってくれたと思う。まあ、かれも実験中で逃げ場がなかったわけだが。

ふと、日本にいたときより自分が親切な人間になっていることに気づいた。あまり進んで人の世話をしようとは思わなかったが、何故か今、自分がそれを喜んでしようとしている。

ここでは多くの人にお世話になっているからだろう。もし彼らが日本に来ることがあるのなら、何か自分が出来ないかと自然に思う。また不思議なことに英語で話していると、自然とそうなれる。

英語を話さない日本に帰ったら、またもとの人間に戻ってしまうのか。それは悲しすぎるから、何とか避けたい。
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読めない文字

2007年02月13日 | ウィーン
外人の書く英語は読めない。

ドイツ語、イタリア語、スペイン語など基本文字にアルファベットを用いている国の人々の手書き文字は難解だ。これまで何回も文字が読めなくて苦労した。レストランに入って手書きのメニューで困ったこともあった。この場合は何とかなるが、先日は教授に書いてもらった重要な文章がほとんど読めないから、かなり深刻な問題となった。知り合った学生に解読してもらったが、彼らも苦労していた。よほどの達筆のようだ。僕は全く読めないが、彼らは8割ほど読んでくれたので、何とか文章を再現することができた。

たまにメールアドレスを手書きでもらうことがある。電話よりはメールで連絡した方が僕には数倍ラクだ。しかしそのアドレスが読めないことがしばしば。必ず去る前に確認しているが、想像も出来ない文字が含まれていることが多い。

今日もそれがあった。手術室で知り合った医師に名前を聞いた。日本語とはほど遠い微妙な発音であったので、書いてもらった。かれの発音をカタカナで書くとしたら、「ロバン」と聞こえた。書いてもらった文字はどう読んでも「RLIBEN」だ。かなりのギャップがある。さすがにこれをどの言語でも「ロバン」とは発音出来ないと思い、しつこく名前を聞くと、彼は「RUBEN」と書いたのだった。これだと「ルベン」と読んでしまうが、だがまだ「ロバン」に近い。やっとこ納得した。

初めてヨーロッパに住んだ頃は数字も読めなかった。IKEAに家具を買いに行ったが、商品番号が読めずに欲しい物が頼めなかったこともあった。そのくらい常識的なことが違う。先日家内が交番で電話番号を書いたが、もちろん丁寧な数字で、警官はそれを読めなかった。電話場号に含まれる1,4,7と-が日本語と異なるためだ。

最近はヨーロッパ式の数字や日付を書いている。家でSudokuをやるが、日本式の家内は僕の数字がまだ読めないようだ。
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A Medical Student

2007年01月31日 | ウィーン
When I checked the operation program yesterday, my professor didn’t have own operation today, so I had decided to join other professor’s operation today.

Coming to the operation desk to confirm the program this morning, to my surprised, my professor had own operation from morning. Moreover it was coming to start soon.

I was in hurry to enter the operation room and washed the patient who were underwent mitral valve repair. Before I opened the sternum, professor came in.

I always feel, by the way, that the electrically powered cutter is not so strong compared what I used to use in Japan. I often don’t cut the strum smoothly or I need more power. I hate this.

Anyhow after confirm hemostasis, operator schoud be changed to him.
Today he called a medical student in the station. He always calls someone. A medical student, she seemed to join cardiac operation for her first time, and be good character.

After finished the repair, he backed to his room as routine. I had to perfrom everything with the medical student. Perhaps because of my poor English, she did not make out what I tried to say. I repeated to tell her what I should do and what she should do before putting the arterial cannula out. I think that it is one of critical point.

Operation was over without any complications. Some students have opportunity to join our surgeon as above. I felt something different from Japanese system. And it must be good opportunity for them, as well as me.
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人工心臓

2007年01月30日 | ウィーン
と言うと、少し大げさかもしれませが、左室補助装置(LVAD)装着の緊急手術がありました。日曜日でしたが、慕っている教授が当直でもあり、手術を教えてくれました。

症例は子供のため、普段とは異なる装置が選択されました。Berlin HeartのEXCORと言う装置です。http://www.mirm.pitt.edu/news/article.asp?qempid=357
この機種は人工心臓の大きさが10mlから85mlの幅で選択できることと、駆動系の仕組みがシンプルなのことが特徴です。

症例はすでにECMOと言われる補助循環装置(簡単な人工心肺装置)を長く必要としており、それにかわり今回のEXCORの装着となりました。
なかなか危険な状態でもあり、日曜日にもかかわらず心臓外科の教授が3人参加しておりました。さらに心臓麻酔科医も3人、技師や機械業者の方など多くが手術室にいたので、平日よりもむしろ厚い人員配置でした。

この手術を決定するに当たり教授方で意見の相違があったようで、それも相まって緊迫した空気の中、一人の小児心臓外科医が手を下ろし、続いて別の用事でほかの教授も降りたため、自分が手伝うことになりました。

小さい体に人工心臓、心外式ペースメーカー、一時ペースメーカー、ドレーンなど沢山の人工物が埋め込まれているので閉胸も神経を使います。将来の心臓移植に備え、各所に人工心膜を置きながら閉胸しました。

非常にお金のかかる治療法でもあり、日本ではまだごく一部の病院でしか認められていないもので、貴重な経験となりました。若い生命力で、きっと回復してくれることでしょう。
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何故だろう?

2007年01月27日 | ウィーン
今日は午後の手術に入った。専属の教授の手術なので、それには毎回必ず入っている。手術予定表には知らないDrの名前も助手の欄にあった。誰だろうと思いながら手術室に入って行ったが、実際には心臓外科医は自分しかいないではないか。

いつも通り消毒をしてグラフト(バイパス手術で使う血管)を取っていると、やや早めに教授が登場。すると教授はナースに誰か医師を呼べと言っている。

しばらくしてその医師が登場した。よく病棟で見かける彼であったが、手術室では初めてだ。結局彼が第一助手をしたのだが、やはり普段手術に参加してないので、この教授の手順や、やり方は全く熟知していないようだ。さらに状態の悪い症例でもあり、スムーズに進まない手術に教授がややイライラしている様子も分かる。

第二助手の位置(術野から遠い)からほとんどの助手の操作をしなければならなかった。腰も痛い。助手をしながら何故彼に助手をさせているのだろうとも思いつつも吻合は終了した。

たまにこの手の思いをすることはある。時には卒後間もない医師に自分がやり方を教えている。それだけは勘弁して欲しいと思うが、今日はそれに比べればかなりましだ。

教授はいつも通り、吻合が終了した時点で握手をして帰っていった。普通まず第一助手、次に第二助手と握手する。今日は第二助手をした自分とまず握手した。教授も彼を助手にして手術するしかなったのだろうことが分かった。

その後、まだ出血は多いが、彼はナースと雑談して手が進まない、というか判断ができないのか。ドイツ語は今だに分からない自分は雑談には参加せず、一人で止血操作をし、かなり状態がよくなったところで降りた。なんだかいまひとつ達成感のない気がする一日だった。
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