千百年余の伝統を有し、1カ月に渡る神事が今年も京都に夏を告げる。
京都八坂神社のお祭り祇園祭は、疫病退散を祈願した祇園御霊会(ごりょうえ)が始まりです。
平安京はたびたび疫病が流行し、鴨長明の方丈記には、野垂れ死にした人の亡骸で鴨川が堰き止められたなどとも書かれているほどで、
人々は祟りや疫病の恐怖に脅えていました。
貞観5年(西暦863年)に平安京の広大な庭園だった神泉苑で、仏教経典の読経、神楽・田楽や踊りなども行う御霊会を行いました。
しかし、疫病の流行は続き、貞観11年(西暦869年)に平安京の国の数66本の鉾を立て悪霊を集め祓い、
インドの祇園精舎の疫病神「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀り、祇園天神とも称された「祇園社」に神輿三基を送り、御霊を鎮めるために祀り、
やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために神輿渡御や神楽・田楽・花笠踊りや山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになった
神仏習合の御霊会が祇園御霊会です。
平安京から1000年以上も続く祇園御霊会祇園祭は応仁の乱や第二次世界大戦で一時中断したものの、
祇園八坂神社の氏子をはじめ、町衆、京都の人々により再開されました。
※参考資料より引用
郭巨山 太子山 保昌山
函谷鉾
辻回し
長刀鉾 函谷鉾
蟷螂山
鶏鉾 占出山
月鉾
ビル屋上から 「辻回し」を撮影しているカメラマンの姿が・・・・
四条綾傘 霰天神山 菊水鉾
芦刈山 白楽天山 外国人の引き手がチラホラ
木賊山 放下鉾
女人禁制とその緩和
江戸時代初期まで女性が参加していたことを示す資料が残っているが、江戸時代中期以降は女人禁制とされてきた。
これは過去に女人禁制を解いて女性が鉾に登った際に鉾が倒れて怪我人が出たり巡行不可能になった事が
近年も含めて何度か有り縁起担ぎの面が強い。
現在も、ほとんどの山鉾と巡行の先頭に立つ長刀鉾などは巡行時に女人禁制の伝統を守っているが、
近年では宵山飾りの時には女性が乗れる山鉾もある。
また、女性の参加を希望する山鉾町(保存会)がいくつかあり、
2001年(平成13年)に各山鉾町の判断で祇園祭山鉾連合会に届け出るという形で女性の参加を容認する方針が決まり、
南観音山で2名・函谷鉾で3名の女性囃子方の巡行参加が一部で認められた。
※参考資料より引用