瀬田の唐橋
瀬田の瀬田川にかかる橋。
全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。 勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。
宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされる。また、日本の道100選にも選ばれている。
琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。
瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。
昨晩も通った「瀬田の唐橋」今日も通りました。
多賀大社
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。
『古事記』にすでに名前の見える古社という。
祭神は伊勢神宮の親神として知られる伊邪那岐命・伊邪那美命の2柱日本最古の書物「古事記」によると、
この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、
我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、
鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。
お守りとして杓子(しゃもじ)を授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあり、これは「お玉杓子」や「おたまじゃくし」の名の由来とされている
※杓文字と杓子の違い
飯をよそうものが杓文字で、 飯をよそうだけでなく汁などをすくう 頭は小皿のようでこれに柄をつけたものが杓子
太閤橋
天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、
成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。
糸切餅
多賀名物の代表といえば、この糸切餅 。
普通の餅の4倍ついたきめの細かいこしあん入りです。
その昔、二度にわたる蒙古襲来を台風によってまぬがれました。
平和が甦ったことを喜んだ里人はおだんごを作り、蒙古軍の旗印でらる赤青三筋の線を書き、
これを弓のつるで切って御神前におそなえしました。これが今の糸切餅の始まりです。
糸で餅を切るのは刃物を使わず悪霊を断ち切る、即ち平和を意味しています。何気ない模様にも意味があるんです。
多賀大社からバスに向う途中の民家に
不思議なものを目にして気になって 調べてみました。
破風はふ
破風 下にある「水」の字は?
火伏せまじない 火災除けの願いが込められている との事でした。
※
帰り 高速で車3台の事故があって 1時間くらい ノロノロ運転で 帰宅したのは 23時に近かった。
でも無事に帰宅することが出来て
楽しい旅行を終えることが出来ました。
一緒に行った友達や お天気、旅行社の方々などにも 感謝 感謝です。