折紙教室で「ランドセル」を習いました。
家に帰って 忘れないうちにと がんばりました。
暇さえあれば折りました。 ミニは難しくもう作りたくありません。
背になる方は柔らかい「和紙」を使うと良いようです。
固いと大変で くっつけた所が外れ 何度もやり直しました。
今春小学校に入学される方にあげようと思います。
折紙教室で「ランドセル」を習いました。
家に帰って 忘れないうちにと がんばりました。
暇さえあれば折りました。 ミニは難しくもう作りたくありません。
背になる方は柔らかい「和紙」を使うと良いようです。
固いと大変で くっつけた所が外れ 何度もやり直しました。
今春小学校に入学される方にあげようと思います。
寒さ厳しく 霙、小雪の舞う天候の中バスを降り「梅宮」を訪ねる。
梅宮大社
日本最古の酒造の神
子授け、安産と造酒の神様
神徳、伝説
木花咲耶姫命は瓊々杵尊と結婚すると一夜にして懐妊したが、これを瓊々杵尊が疑う。
この疑いを晴らすため、木花咲耶姫命は砂の上に室屋をつくり、自身の貞節を天地神明に誓いその中に入り火を放ったが、
炎の中で何の支障もなく彦火々出見尊を安産したという。
この言い伝えにより、橘嘉智子皇后が懐妊したとき社殿の砂を床の下に敷いて仁明天皇を出産したが安産だったとされている。
始めて見る小さな椿がお出迎え
もぶれる程の椿の花!
猫がいっぱい
引いたけど末吉・・・
今年は寒いので 今頃見頃を迎えています。
松尾大社
松尾大社は賀茂神社と並び京都最古の神社といわれている。
現在の松尾大社の後方にある松尾山中頂上近くにある巨岩を信仰の対象とし、
一帯の住民の守護神としたのが神社の起源とされているようである。
朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、農業や林業を興したが、
大宝元年(701年)に現在の地に社殿を建立し、一族が社家をつとめたという。
平安遷都以後は皇室鎮護の社となり、行幸も数十回行われたとされ、貞観8年(866年)には正一位の位が与えられたといわれている。
これは、天平5年(733年)に社殿背後より泉が湧き出たとき、 『この水で酒を醸すとき福が招来し家業繁栄する』との松尾の神の御宣託があったことに由来しているという。 |
ここも日本第一??
資料館に展示の酒造り工程模型
拝殿
手水舎
「拝殿」の南側には軒下に酒樽が積まれた「神輿(みこし)庫」が建っている。
松尾大社は酒造の神様ということから、これらの酒樽は全国の酒造家より奉納されたものという。
樽占い
釣殿 奥に「本殿」があるが 非公開
亀の井
この井戸からの湧き水は、延命長寿、蘇りの名水と伝えられている。
酒が腐らないとも言われ、酒造業者はこの水を酒の元水として造り水に混和して用いるという。
酒造家はこの水を持ち帰り、醸造時に混ぜて使うという。また、この水は長寿の水として知られているようで、
多くの人がこの水を汲みに訪れているようである。
全国の酒造家や醤油、味噌、酢等の製造及び販売業者の方々から格別な尊崇を受けているのは、この霊泉のためである。
霊亀の滝
常夜灯 台座の「相撲取り」?形がみな違ってて 楽しい。
もうすぐ4月というのに凄い寒さ!
駅に行くと JR 新幹線は乱れ 45分も遅れていました。
今城塚古墳 いましろずかこふん
淀川北岸で最大規模の古墳
この今城塚古墳が真の継体天皇陵であるとするのが定説になっているようである。 しかし、景観、荘厳さ、雰囲気などからみれば、今城塚古墳よりも、太田茶臼山古墳のほうが天皇陵としての体裁は整っている。 ただ、太田茶臼山古墳は天皇陵であることを前提として整備されているから、これは当然かもしれない。 今城塚古墳が真の継体天皇陵であるという定説を否定することになるのではなかろうか。
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淀川北岸では最大の巨大な前方後円墳
今城塚古墳の呼び名は、この古墳が戦国時代に砦として使われたことに由来しているという。
古墳の規模は全長約350m、墳丘の長さ約190m、前方部の幅148m、高さ12m、後円部の径約100mとされている。
かつては墳丘や内堤にはハニワをめぐらし、二重の濠を持ち広大な墓域を誇っていたようで、
かつての周濠の一部が2004年まで残っており、水で満たされていた。
古墳が築造されたのは6世紀前半と想定されており、
古墳から高さ約1.7mで日本最大級の家形埴輪や、よろい姿の武人埴輪ほか色々な埴輪が出土している。
墳丘は伏見地震の地滑りでかなり変形したようであるが、
この西南隅部分(上述の古墳模式図の「築造当時の姿を残す場所」)は当初の姿を残しているとされている。
これは、発掘調査によって明らかにされたもので、テラス外縁をめぐる円筒埴輪列が発掘された場所である。
下の写真は古墳墳丘の北側で、写真左側が墳丘、右側が内濠跡の芝生地である。
中央部分に木が植わっている突出部が見えるが、これが「北造出」である。
北造出の盛り土は内濠側へ滑り落ちていたが、内濠から儀式に使われ、北造出に置かれていた壺など須恵器が発見されている。
写真からわかるように、古墳の公園化に際して墳丘の裾部分には法面の緩い石垣が築かれ、墳丘の崩落を防ぐ対策が講じられている。
公園として保存上とった措置であろうが古墳自体の景観としては少し違和感がある。
なお、これらの埴輪は史跡公園整備工事により整備された埴輪祭祀場に平成17年(2005年)8月28日に展示されたものである。 |
鵜 武人 盾
棺のあたりに置かれている
円筒形埴輪列は内堤上に限らず、発掘調査の結果から、墳丘部のテラスや墳頂部外縁にも巡らされていたのが認められ、
その総数は約6千本と推定されている。
最後に歴史館で説明を聞いた
大きな石棺の一つに 模型人形があって・・・
古墳の多くは奈良にあったが 後に 小型化し大阪方面に移ったらしい
最古の古墳とされる3世紀中頃の箸墓古墳は奈良にあります。
古墳時代前期には奈良に古墳が作られるのに、
古墳時代中期になると、大阪にこんなに大きな古墳が集まるようになる
ある学者は、王の本拠地は常に奈良にあり、お墓を造る場所だけ大阪に移ったのだと考えます。
またある学者は、お墓はその王の本拠地に造るものだから、奈良に本拠地をもつ勢力に替わって、大阪に本拠地を持つ勢力が王になったと考えます。
諸説あるようです。
始めて知ることばかりで 勉強になりました。
寒風吹きすさぶ寒い寒い一日でした。
日当たりの良い枝の蕾は・・・
ちらほら開花の木もありました。
桜の傍の木に実が
何の樹でしょうか?
梅は三週間ほど遅れたそうですが 桜は3,4日程の遅れと 新聞に載っておりましたが・・・・
サークルの茶話会がありました
年度末の恒例行事です
最後に今年度役員さんの手作り「短冊掛け」をいただきました。
先生と数人の会員がいただくことが出来 ラッキーでした!
短冊を買ってきて お礼に何か書いて送ろうと思っています。
上の写真の 右端も手作りです。これはみんなに一つずついただきました。
役員さんうろいろありがとうございました
来年度の役員さん よろしくおねがいします。
小さなちいさなかわいい花が咲きました。
まだ蕾があるので楽しみです。
「出雲大社赤やぶ椿」はまだ開花していませんが 今、沢山の蕾がついています。
主人の友人が「しろうお漁」をしているので 主人が泊りがけで行ってきました
ビニール袋に川の水としろうお一合と酸素を入れて市に出すそうです。
一袋が三千円くらいで販売されていて 短い期間しか採れないそうです。
袋から出して(川水) 水道水の中に食べる分を放し
ワンコは水が欲しいのか、しろうおが欲しいのか?
生きたままを三杯酢で食べる。
私は可哀そうでよう食べませんでした。 食べ残りは卵とじや吸い物に
細長いメダカみたいです。
珍しい旬の味覚です。